伴名練『なめらかな世界と、その敵』 最高の読み手による最強のSF短編集
SF愛に満ちた短編集。
こうも傑作といって差し支えない作品が集まっていると、端的に怖いな、と思ってしまう。発行から2週間がたち、瞬く間に5刷を重ねた『なめらかな世界と、その敵』(早川書房)。2010年の『少女禁区』以来約10年ぶりとなる伴名練の著作であり、初のSF短編集である。
まず強く思うのは、本書にキャッチコピーとして添えられた“SFへの限りない憧憬”という言葉についてだ。このフレーズは今この現在、まさにこの一冊のために存在しているといって差し支えないだろう。過去幾多の作家たちが記し、書き伝えてきた物語たちが、2019年のこの時にまで生き続けてきたことの証明として、本書はあるといっていい。
それは本書の収録作が、中井紀夫「暴走バス」広瀬正「化石の街」のような国産古典SF小説、翻訳クラシック、電撃文庫から出版された古橋秀之の「むかし、爆弾がおちてきて」(『ある日、爆弾がおちてきて』収録)や伊藤計劃「The Indifference Engine」といったゼロ年代以降の作品に加え、石ノ森章太郎「サイボーグ009」、はてはWeb発漫画であるユエミチタカ『超日常の少女群』といった漫画までひっくるめ、総じて血肉としたうえで、アップデートを重ねられたものであるからだ。SF読者にとってはかつての作品たちに対する思い出と共に感慨がよみがえり、新たな読者にとっては新鮮な読み心地となっている。
それぞれの収録短編は、「平行世界」「結晶時間」「テクノロジーとアイデンティティ」といった既知のジャンルに基づいて書かれている。巻末の初出を見れば分かる通り、各作品はもともと著者の属していた京大SF研の会報誌やサークル同人誌、「改変歴史」や「伊藤計劃」といったテーマを巻頭に掲げた同人誌に記載されたものが半数を占める。主題を意識し、それを元に組み上げられた作品たちがいずれも、今後ジャンルを語るうえで触れずにはいられない作品となっているあたり、著者の確かな手腕に驚かされる。
まず「結晶時間」をテーマとした本書書き下ろし作品、「ひかりより速く、ゆるやかに」。日常に現出した時間的異常事態とそれを通して描かれる社会のかたちという構成は前述した「暴走バス」を下敷きに、おそらくはボブ・ショウ『去りにし日々、今ひとたびの幻』を参照している。加えてティプトリー「故郷へ歩いた男」にマッスン「旅人の憩い」を引用しつつ、ファイラー「時のいたみ」に対する返答ともとれる結末には『SFマガジン』1977年1月号「時間SF特集」収録の11作を1作でやり切り、その先へいってしまったような印象を受けた。
また主人公・伏暮速希のある正体については意図的にぼかされているが、作中少々過剰に繰り返されるある単語、それがもともとどのような意味を持つものであったかを踏まえながら叔父の言葉をよく読めば、本作がもともとどのような構想だったかに迫ることは可能であり、初版249ページ前後にその名残であろう苦心の跡が残されている。
人々が無数の平行世界を縦横無尽にジャンプし続け生きるようになった世界を書いている表題作、「なめらかな世界と、その敵」。同作では神林長平「かくも無数の悲鳴」やラリイ・ニーヴン「時は分かれて果てもなく」のようにダークテイストになりがちな平行世界ものに対し、長谷敏司『円環少女』のエッセンスを加えつつとびきりライトな青春小説に仕上げながら、その裏では今 敏の映画「千年女優」をテキストでやってのけるというちょっと考えつかない離れ業を成し遂げている。
本作品集全体としていえることだが、今作の素晴らしい点は「画期的なゼロからのアイデア」が使用されているわけではなく、既存の要素をフルに活用し見事に次の次元へと押し上げている点だ。一度でもSF小説を書こうとした人間は膝を打って悔しがるのではないだろうか。私は悔しい。
「美亜羽へ贈る拳銃」は2011年の同人誌版『伊藤計劃トリビュート』発行後、Web公開された後編・アナザーエンドが書き足されたものである(その後に収録された電子書籍での改版、『拡張幻想』収録時のバージョンから、更に加筆されている。紙の同人誌版には”手書きの巨大文字”が現れる以後の展開が収録されていない)。長谷敏司「allo,toi,toi」、グレッグ・イーガン「決断者」と、脳をいじって幸せになる作品群へと大量のオマージュをささげながら、構成も含め伊藤計劃各作品のサンプリングにとどまることのない独創的な結末を提示している。これをハッピーエンドと見るのか否か、悩んでしまうところも含めて。
「ゼロ年代の臨界点」はテーマを「ゼロ年代」とした同人誌が初出だが、一行目でもうわかったよお前の勝ちだと言わざるを得ないとんでもない怪作でありながら、正しく物書きとしての力をいかんなく発揮しており、末恐ろしさを感じさせる。「少女禁区」を経てより「彼岸花」へと続く、すさまじい設定を文体の力でねじ伏せる力業の一編だ。
同作や「シンギュラリティ・ソヴィエト」に顕著だが、注目すべき点として、伴名は各作品ごとに文体を大幅に変えている(これが最もとがっているのは『NOVA 10』収録の「かみ☆ふぁみ!〜彼女の家族が「お前なんぞにうちの子はやらん」と頑なな件〜」)。これは彼の手広さを表すと同時に、ジャンルの先人達に対する強い敬意を感じさせるものだ。書き捨て・読み捨てといわれることも少なくない短編小説、それが確かに存在し、そして誰かに届いている、そのことの意義を強く信じているからこそできることだ。そしてそれら全てを含めた上でーー市川崑や岡本喜八、円谷英二、それらへのリスペクトを大いに取り入れた『新世紀エヴァンゲリオン』が現在、庵野秀明テイストと呼ばれているようにーー本作品集はまさしく、伴名練の小説足りえている。
いうなれば本作は、著者が今まで愛してきたものを凝縮した最高のアンソロジーなのだ。通常のアンソロジーと異なるのは、著者が彼一人であるということである。
伴名は早川書房のnoteにて短編小説に対する愛、とりわけアンソロジーに対する妄執といってもよい熱意を表明している。2008年に創元SF短編賞が登場し、2018年に書き下ろしSF短編アンソロジー『NOVA』シリーズが再始動、Web上の小説投稿プラットフォームがその数を増やし続けていながら、商業の場として短編SF小説を発表する場はいまだに充実しているとはいえない。伴名のデビューのきっかけとなった角川ホラー小説大賞も、短編賞を取りやめて久しい。
無理に書籍化せず短編のみを電子書籍で販売する、という形態が簡単になったとはいえ、このままでは読者の目に触れないままひっそりと消え忘れられていく、それこそ現在50年前のSFクラシック短編が陥りつつある事態と同様になってしまう。伴名の作品に限っても、現在「少女禁区」「chocolate blood, biscuit hearts.」(ともに『少女禁区』収録)、上述の「かみふぁみ」を読む機会は限られる。どれも既に収録本は絶版、電子版も未刊行だからだ。
それを定期的に掘り起こすのが伴名のいうアンソロジーの役割だが、現在日本のSF界では大森望、中村融、山岸真、若島正といった一部編集者・翻訳者の多大な尽力によってその多数が編まれている状態にある。作家の編むアンソロジーは米澤穂信『世界堂書店』や西崎憲『短篇小説日和 ─英国異色傑作選』、現在刊行が続いているものでは平山瑞穂『変態』『耽美』等があるものの、決して多くはない。そんな中で伴名が編むアンソロジーを読めるのであれば、強く惹かれる。
「自分が小説家になれるはずはない」。「自分で作家を名乗る日は来ないでしょう」。「少女禁区」発表時、彼は受賞に寄せたとは思いがたい言葉と共に世に現れた。デビューから約10年、彼は腕を磨き、進化を続けてきた。
多くの読者に望まれていた本作はその彼が、名実ともにはじめて”作家”を名乗り、送り出した待望の作品集である。末長く愛されることを願う。
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