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「新感染」監督が問う善悪の彼岸 映画「我は神なり」ねとらぼレビュー

心の深部を揺さぶる一作。

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 「新感染 ファイナル・エクスプレス」「ソウル・ステーション/パンデミック」に続き、ヨン・サンホ監督の「我は神なり」が10月21日に公開された。

我は神なり 「我は神なり」

 9月より日本公開されてきた同監督の2作は韓国社会全体にはびこる恐怖をゾンビというメタファーを通じて描いたものだった。 同作を続けて見た方は、「新感染」のフレッシュかつウェルメイドな作風と「ソウル・ステーション」の悪意と政治的主張に満ちあふれたダークなそれの差にショックを受けたことだろう。そんななか公開となる本作が描くのは、われわれを含む海外の観客にも伝わりやすい極めて普遍的な問いかけである。それはすなわち「ウソと真実」「正義と悪」、ならびに「信仰と依存」の線引きだ。

 舞台はダムに沈む田舎の村。国家からの補償金を受け取りながらも転居に踏み出せない年老いた住民たちは、街にやってきたエセ宗教団体に支配されていた。神の水を飲めば万病が治る。寄付金で教会を建てれば神の国で幸せになれる。住み慣れた家を捨てざるを得ず、少ない補償金を手に都市に流れ着いた者の行き先は「ソウル・ステーション」の浮浪者たちによって示された通りの惨めな終わりだ。そして彼らに甘い言葉をもってつけこんでくるのがソン牧師を頭に据える宗教団体であり、そのなけなしの補償金ですら吸い尽くそうとしている。観客には彼らがインチキであり、正義のない非道な人間たちであることが開始数分で、極めて暴力的な不快をもって示される。

 その悪を看破する男がミンチョルだが、彼もまた正義ではない。家に帰ってきたかと思えば娘の貯めた進学費用をばくちにつぎ込み、妻に暴力を振るい、残りの金で酒を飲むこちらも典型的な非道である。たまたま寄った街の飲み屋と連行された交番にて宗教団体の長老=ギョンソクが指名手配中の詐欺師であることを知った彼は、仮設中の教会に乗り込み信者たちに叫ぶ。「お前たちはだまされている。神などいない。この男は詐欺師だ――」。しかし彼らは村の鼻つまみ者である彼を信じず、逆に悪魔だと糾弾してしまう。この状況を打開できるのは、唯一本物の宗教的伝道者としての立ち位置を示すソンだが、彼もまた一筋縄ではいかない。一見人格者に見える彼がなぜ詐欺師に手を貸しているのか? ミンチョルは彼らの「悪」を暴けるのか? 彼らは、そしてこの映画は、一体どこに向かおうとしているのか?

我は神なり

我は神なり

我は神なり

 あらゆる人間にその正義があり、なすべきことを持っている。アラン・ムーアはコミック『ウォッチメン』にて2つの正義を取り上げた。それはとあるキャラクターが世界にもたらす偽りの平和であり、もう1つはロールシャッハによる真実の暴露だ。多くの人間を救うウソがあったとき、そこに残酷な真実を本当につきつけるべきなのか? 2017年4月、オレゴン州のマイケル・ガーランド・エリオット氏は死の直前、元妻より「トランプが弾劾された」とのウソのニュースを聞き、安らかに亡くなった。生前同氏への不満をことあるごとに繰り返していた彼にとって、ウソは救いとなった。その場に乗り込んで、「目を覚ませ、マイケル。トランプは今も大統領だ」と彼の耳元で囁くことのできる人間がいるだろうか?

 そしてもう1つは信仰と依存の問題だ。それらはまさに神一重であり、多くの村民たちは神父に傾倒するあまり次第に混乱に陥っていく。肺病を病んだ老婆は薬を捨てて神の水に頼るようになり、全財産の寄進によって誰よりも早く救いを見いだそうとする。彼らは安心を買うことに必死になる。「これだけやったのだから報われるはず」という幻想は、宗教に限らずわれわれの生活の中にでもいくつも例をあげられるだろう。今後の不安に溺れそうな者たちにとって、安心はいくらあっても足りない。一度はソン牧師に向けられた疑いの目も、彼を信じたいという目的、われわれは裏切られてはいないという巨大な幻想を前に頓挫してしまう。

 本作は決して悪徳宗教の告発や、巧みに村人をだます彼らの問題を描いた作品ではない。いかなるときに人間は「この人を信じたい」と考えてしまうのだろうか? 本作は観客の中にあるウソと正義の判断基準、そして誰か、ないし何かを信じる、ということは何なのか? そういった人間それぞれが持つ心の根本を強烈に揺さぶることに成功している。

 普遍的であるがゆえに稚拙になりがちな問いかけをインパクトあるものにするため、監督はあらゆる手段を講じている。特に「新感染」で見せた脚本テクニックは本作でも光っていた。ミステリー仕立ての長編デビュー作「豚の王」(2011年製作・日本未公開)にて少年の死の真相を異なる2人の立場から巧みに魅せたように、ソン牧師、ミンチョルの対立する視点から、全ての人物があらかじめ定められたカタストロフへと行進する。舞台を閉じた村に限定することによって、村は世界そのものとなる。全ての人物がヒーローでもヒロインでもないという挑戦的な設定が生み出す本作のラストは、すさまじい寓話として見るものの胸を打つ。

 正義が悪を討つ映画。確かにこれは楽しい。悪が正義に勝ってしまう映画。そういう映画がスカッとするときもある。

 本作は明らかにそのいずれとも異なる。単純明快な解決も、浅薄な問題提起もここにはない。本作が提示するのは、正義もウソも真実も悪も全てが混ざり合った、ゴールは自分で見つけなければいけないとでも言っているような、まさに作中の荒れ果てた空模様のような混濁だ。

 そこから何を読み取るのも自由だ。メッセージは何か、と解説をあさるようなものでもない。果たして誰が正しかったのか、そもそも正しさとは何なのか? 自分なりに考えるのも楽しいだろう。唯一の信じられる答えなどないのだ。

 神は導いてはくれないのだから。

監督・脚本:ヨン・サンホ 製作総指揮:キム・ウテク 声の出演:ヤン・イクチュン/オ・ジョンセ/クォン・ヘヒョ/パク・ヒボン

2013年/韓国/ドルビーデジタル5.1ch/原題:サイビ/英題:THE FAKE/101分 (C)2013 NEXT ENTERTAINMENT WORLD INC. & Studio DADASHOW All Rights Reserved.

配給:ブロードショウ  配給協力:コピアポア・フィルム


将来の終わり

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