ねとらぼ

少しずつプレイヤーに「見えてくるもの」が変わっていく、視界コントロールの巧みさ

 一方これはシナリオの話なのですが、プレイヤーにとっての「見える範囲」の調整具合、という要素も重要です。

 アドベンチャーゲームの一番のキモは、「情報開示の調整具合」だと思っています。物語の、あるいは謎解きの、どこまでを見せてどこからは見せないか。隠された事実、シナリオの核心を、どの時点でどうプレイヤーに開示するか。時には、最初から色んなことが開示されているんだけど、当初はその意味がわからず、あとから「そういうことだったのか!」という納得感に襲撃される、なんて場合もあります。

 「ゴーストトリック」はその点どうなのか、というと、ひとことで言うと「マジで良質」です。

 例えば、シセルの「死者の力」の中には「電話線を伝って移動する」という能力もあり、これを使ってシセルは色んな場所に移動できます。電話がかかってくると、その電話の先に移動できる。これ、物語の序盤から、結構あちこちに行けるようになるんですよ。

 ただ、「死者は、死んだ当初記憶を失っている」という設定のため、シセルも記憶を失っており、プレイヤーもシセルの視点を共有しています。結果、「色んな場面や会話を目撃するんだけど、その意味、そこで何が起きているかが、その時点ではさっぱりわからない」という状況が、色んな場所で発生するわけです。

 これが少しずつ、「あ、あのとき見たことってそういう意味だったのか!」と、まるで霧が晴れていくように視界が広がっていく。その、いわば「納得感の強い驚愕」とでもいうような感覚が、これまたものすごく気持ちいいんですよね。同じ巧舟さんの「逆転裁判」でも卓越していた要素ですが、「ゴーストトリック」では更にそれが際立っていると思います。

 色んなキャラクターとの会話だけでなく、場面の描写、ステージに置かれている物、ステージの仕掛けに至るまで、全てに「情報」が散らばっていて、あちこち調べれば調べるほど、「これはなんなんだ?」「あ、そういうことだったのか!」が、どんどんプレイヤーの前に開けていきます。

 これは特に、「一度クリアしてからもう一度プレイする」ことで最大化する傾向がありまして、周回プレイがここまで楽しいAVGもそうざらにはないと思います。是非、何度もプレイして「そういうことだったのか!」を楽しんでいただきたいと思う次第なのです。

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