「合い言葉はBee!」へ至る道のり――「ツインビー」:ゲイムマンの「レトロゲームが大好きだ」(3/3 ページ)
ツインビーの雰囲気を味わうために、ベルがいっぱいあるテーマパークへ。そこは思っていた以上に、ツインビーの舞台、ドンブリ島っぽかった。わたしも昔ハマっていた、“ウインビー国民的アイドル化計画”の話も。
そして「合い言葉はBee!」へ
アイドル化計画は、1993年10月、文化放送で「ツインビーPARADISE」がスタートしてから、また新しい展開を見せる。番組中でラジオドラマが放送され、ゲームのキャラクターたちが、ゲームとは違った魅力を発揮した。
「合い言葉はBee!」というフレーズも、この番組から生まれている。
わたしも一度、番組リスナーの集まりに行ったことがある。
詳しいことは覚えてないが、特にイベントというわけではなく、確かパーソナリティーの國府田マリ子さんが、リスナーに、それぞれ地元の待ち合わせ場所で集合するよう呼びかけたのがきっかけだったはず。
そのときに國府田さんが、「例えば渋谷ならハチ公」と例を挙げていたので、ハチ公前に行ってみると、そこはリスナーの人々で埋め尽くされていた。
かなりの人数だったので、ハチ公前からどこへ移動するのにも苦労した。あちこち動いた後、宮下公園に落ち着いて、最後は宮益坂のマクドナルドでおしゃべりした記憶がある。
その後の「ツインビー」シリーズは、1994年に横スクロールアクションゲーム「ツインビー〜レインボーベルアドベンチャー〜」(スーパーファミコン)や、アーケードのパズルゲームにツインビーのキャラクターを使った「ツインビー対戦ぱずるだま」(プレイステーション)が発売された。
そして1995年、「ツインビーヤッホー!」がゲームセンターにお目見え。「ツインビー」シリーズのアーケードゲームは「出たな!!ツインビー」以来、シューティングゲームは「Pop'nツインビー」以来となったが、やっぱりムチャクチャ難しかった。
わたしはプレイステーション版(「出たなツインビーヤッホー!」)をプレイしたので、「出たな!!」同様にコンティニューしまくって、エンディングまで見た。
アイドル化計画のほうでは、1994年だったと思うが、イベント、グッズなどそれぞれの委員から、委員長を選出して、本格的にイベント開催やグッズ製作などの活動を始めようという話が持ち上がった。各委員長は、立候補した委員の中から、委員全員による郵便投票で選ばれた。
……で、確かそのときわたし、「シナリオ委員長」に選ばれた記憶があるんだけど……。
委員長を選んでから間もなく、「どんぶり島通信」が休刊になってしまう。一応、雑誌(徳間書店の「Virtual Idol」だったか)の1コーナーとして活動を続けるという話だったが、結局その後、「アイドル化計画実行委員会」としての活動はなくなった。ウィンビー主演のゲームすら、とうとう発売されなかった。
あー、この原稿書いてたら、ツインビーのキャラクターを使ったアドベンチャーゲームを作りたくなってきた。コナミさん、いかがでしょう? 一応シナリオ委員長なので……。
もっとも、わたしの考えるシナリオって、知り合いのゲームデザイナーさんが言うには、「マニアックすぎて売れなさそう」ということだが。
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