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アドベンチャーゲームに未来はあるのかCEDEC 2007

CEDEC 2007最終日となった9月28日には、「アドベンチャーゲームの復権」と題したセッションが開催された。成り立ちから現在に至る歴史を振り返りつつ、アドベンチャーゲームの未来を考えてみた。

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ハードウェアのスペックが低いほど、ADVの名作は生まれる

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 「アドベンチャーゲームの復権」と題したセッションには、東京大学 情報学環 特任講師 吉田正高氏のほか、ベックの芝村裕吏氏、キャビアの牧野隆一氏、原田真幸氏、ニトロプラスの鋼屋ジン氏、アルケミストの浦野重信氏、哲学者・批評家の東浩紀氏がパネラーとして登場し、それぞれがプレゼンテーションする形で進められた。モデレーターは板垣貴幸氏が務めた。

 ちなみにこのセッションは、昨年開催された「わが国におけるPCゲームの現状と今後の展望―恋愛SLG市場の成熟と家庭用ゲーム機への移植を中心に―」というセッションを受けてのもの。今回は、一時衰退を見せていたアドベンチャーゲームが、携帯電話や携帯ゲーム機の性能向上を受けて復権の兆しを見せていることをとらえ、このジャンルの成立過程と発展の歴史を振り返りながら、パネラーとともに考察するというものだ。

 まずは吉田氏がアドベンチャーゲームの歴史を振り返ると、その話題を受けて芝村氏は「吉田さんが『アドベンチャーゲームはテーブルトークRPG(TRPG)から生まれた』と話したが、ここの“テーブルトーク”が分化してアドベンチャーゲームになった」とひもとく。「RPGとは何か、といった場合には、トークが一番おもしろい。会話型で進むシーケンスを表現したのがアドベンチャーゲーム」(芝村氏)。

 そのうちにRPGでは、システム的におもしろい部分が進化したが、アドベンチャーゲームは“T”の部分しか移植していなかったので、舞台やキャラクターを自在に変形し、ミステリーものまでが描かれるようになったと芝村氏は語る。「なぜアドベンチャーゲームがテキスト入力から進化したかというと、トークをやりたかったから」(芝村氏)。

 また、ファミコンのディスクシステムで、なぜアドベンチャーゲームの名作が多かったのかという点について、「メモリは少ないわでおもしろいゲームを作るのが非常に難しいハードだった」と芝村氏。「ハードウェアのスペックが低いほど、アドベンチャーゲームが強くなる」(芝村氏)。

 なお、恋愛シミュレーションゲームが恋愛アドベンチャーゲームへと移行していった点については、ユーザーの大部分がパラメーター管理に疲れて、もっと流れを重視したいという声が強くなってきたことに理由がある、と芝村氏は語る。

 続いて牧野氏は、ビジネスの面からアドベンチャーゲームについて解説した。牧野氏はハードの性能が向上していったことに連れて開発費も高騰した結果、全世界で売れるタイトルに開発が絞られていったことに触れ「欧米と日本では笑うポイントも違うなど、同じゲームでも、同じ表現とはとらえられず、作り手としては訴えたいことが訴えられなくなってきた」と語る。このため、欧米と日本では違う市場が形成されてきた、と牧野氏。このため、“ギャルゲー”と呼ばれる分野を代表とする、日本市場に絞った、よりコアファン層を持つキャラクターゲームにフォーカスが当てられてきたわけだ。これらのゲームは比較的低コストで開発できたほか、PCゲームからの移植の場合は数字が読めることになる。

 ただ、アドベンチャーゲームが多くなると、市場に似たようなゲームがあふれてしまい、ユーザーに飽きられてしまう。このため数年前から市場的な飽和が見えてきた、と牧野氏。「フルボイスであったり、アニメーションであったりするのは当たり前になってきた。ゲームデザインとしてどう作っていくかが課題。PCゲームではFlashを応用したりとアニメーションが多用されているが、コンシューマーでハードの性能を使い切ろうとすると開発費が上がってしまう。同じ理由でプレイステーション 3やXbox 360は基礎開発で2〜3億かかるため、アドベンチャーゲームはなかなか育たない」(牧野氏)。

 ただ牧野氏はニンテンドーDSやWiiには注目しているそうだ。「“Touch Generations”を初めとした流れで、これまで以上にライトなユーザーがゲームを遊んでいる。ちょっとしたプレイで楽しめるアドベンチャーゲームは、今後ニンテンドーDSでは増えていくのではないか」(牧野氏)。

 引き続き鋼屋氏は、自身がかかわった「機神咆吼デモンベイン」について、その成り立ちをひもときながら解説した。同氏は美少女ゲームの流れはリーフの「雫」、「痕」、「To Heart」が築いたノベルゲームの流れが続いていると語る。そしてそのうちにKeyの「KANON」や「AIR」といった“泣きゲー”の登場で人気を博したことで、似たようなゲームが出てきたが、こうなってくるとジャンルとして飽和してしまったという。そこから差別化の動きが始まり、そのような中で始動したのがニトロプラスだった。同社は美少女ゲームにハードボイルドな世界を持ち込むことで成功したが、それはあくまでもシナリオライターである虚淵玄氏の世界だった、と鋼屋氏。この文法を逆転させ、何でもありのはちゃめちゃな世界を描くことで、逆に「デモンベイン」シリーズは成功したと同氏は分析する。

 「アドベンチャーゲームを創作する世界は、そこに行き着くのではないか。アドベンチャーゲームだからテキストで表現するといっても、最適ではない作品もたくさんある。なぜこれを選んだかについては、予算がないとか、技術がないといった理由もあるだろうが、むちゃをする人たちは必ずいるだろう。そこがターニングポイントになって、次のステージへと移っていく」(鋼屋氏)。

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 そして浦野氏は「ひぐらしのなく頃に」を例に挙げて、メディアミックスがなぜ成功したのかについて語った。「ひぐらしのなく頃に」は、ご存じのように同人ソフトからスタートした作品。これが受けた一番のポイントは、絵のインパクトに加えて、「正解率1%」というキャッチコピーが重要だったのでは、と浦野氏。「挑戦的なキャッチのため、“おれが答えを出してやる”とユーザーをあおることに成功した。実際にプレイするとおもしろかったが、伝えることができず“とにかく買ってやってみろ”となり、バイラル的な成功を収めた」(浦野氏)。

 また本作はコミックマーケットのみで販売されたためタイムラグがあり、ユーザーが作品について語り合う時間があったので、そこにコミュニティが生まれたと浦野氏は分析する。このため“信者“と呼ばれるコアユーザーを獲得できた、と浦野氏。今後の展開としてライトユーザーの獲得が鍵となったときに、アルケミストにより家庭用向けに移植された。「デジタルノベルではなく、選択肢のあるゲームソフトとして、原作が本来制作したい形として提供した」(浦野氏)。

 また、「ひぐらしのなく頃に」のメディアミックスが成功した原因については、原作者がいい意味で固執しなかったからだと浦野氏は語る。このためそれぞれのクリエーターへのリスペクトが生まれ、短期間で各種のメディアミックスが成功していった。「原作者も腰が低くて人柄がよく、担当者も同じだった。このためお互いが連動する形で結びつき、積極的なメディアミックスが推進できた」(浦野氏)。その結果、新しいユーザーたちが原作を知り、「ひぐらしのなく頃に」の世界観を知るユーザーが増えていった。「結論から言うと、若干宗教的になるが、成功に必要なのは“愛”。こまできて愛かよ、と言われそうだが、自分だけではなく、まわりの幸せを考えて行動することで、人との出会いを含めて自分に幸運が返ってくる」(浦野氏)。

 原田氏は「e’tude prologue 〜揺れ動く心のかたち〜」の制作を例に、「アドベンチャーゲーム制作の今後に対する挑戦」と題して話した。原田氏は、作品が持つ、特徴やおもしろさのポイントをしっかりと把握し、調整の中で壊さないように細心の注意を払うことが大事だとしながらも、本作については「実際にはギャルゲーを知らないスタッフもいた。たとえ知らなくても作ることは可能なのだが、現スタッフで作るのは不可能だと判断して方向転換をした」(原田氏)そうだ。そこで取ったのは「ドラマ仕立てのストーリー」にすること。「ギャルゲーはやっていなくても、ドラマを見たことはあるスタッフはいるから」(原田氏)。最終的に、新機軸と考えられるたいていの事柄は、すでに他人が考え付いている。しかし、課題や問題の発生により、成立していないだけだと原田氏。課題や問題の発生は当然と考え、解決に向けて努力することが大事だと語る。

 アドベンチャーゲーム制作の今後について原田氏は、ファンはすでに数多くのアドベンチャーゲームを体験しており、クオリティに厳しいのが現状としながら、オーソドックスなスタイルの中で、ストーリーや演出、またシステムに対する“こだわり”の追求に挑戦すること、そしてスタイルそのもののあり方を考え直し、新しいスタイルに挑戦することが大事だと述べた。

画像 昨年同様、今回も満員の来場者となった

 芝村氏はこれらの話を総括。まずアドベンチャーゲームの定義について、ストーリー性があること、プレーヤーが入力する場面があること、コンピューターからの応答があること、であると語る。またアドベンチャーゲームの歴史を考えると、初期はテキスト入力で進行したが、そのころはマルチエンディングではなかった。第2世代になって、グラフィックが出るようになる。そのうちに市場が拡大して差別化が図られるようになり、コマンド入力方式が採用されて、作業量が減った分、マルチエンディングが登場することになる。そしてテキスト出力をやめて、グラフィック中心で進めるゲームも登場。ただしこれはマンパワーがかかるので、これ以上進化しなかった。そして戦闘シーンが登場したりと、ほかのジャンルと合体するものも出てきた。「なんで3タイプも登場してきてしまったかというと、テキスト入力自体に技術的な限界があったからと考える」(芝村氏)。

 テキスト入力に対する限界と対処がアドベンチャーゲームの歴史だ、と芝村氏。「テキスト入力のためにはキーボード配列を覚えなければならず、汎用的にするにはコマンド入力になる。ワードの受け付け範囲も難しい。自然言語を理解させようとしても、局所的な対応以外には育たなかった。しかもワードを探しているシーンではテンポが悪い。そして作業量が膨大になる」(芝村氏)。

 またアドベンチャーゲームは、低スペック、低予算、小規模でも制作できるので、それほど大きくない組織でも生産できた、と芝村氏。「小規模ほどアドベンチャーゲームは強くなる。またテキストで表現するので、汎用性に優れる。逆に言うと、心理描写を延々と続ける内省的なゲームもできれば、きゃっきゃうるうるな展開から哲学的論争までなんでも可能」(芝村氏)。これ故に、あるものを表現するまでの段階的な手法として、シミュレーションゲームは使われてきたとも。

 この結果、開発の規模がそれほど大きくなく、発展途上で決定打にかけるジャンルは、アドベンチャーゲームという手法が今後も主力になりえる、と芝村氏。「そして浮いたお金はゲームシステムへと回っていく。『ひぐらしのなく頃に祭』がそうだったかもしれないが、一般化するためにゲーム性を追加したのと同じようなこと。そのうちにアドベンチャーゲームという方式が壊れてほかのゲームシステムと合体したりと、成功しているジャンルではそうなる。アドベンチャーゲームというのは、常に過渡期というか、封建的な市場に一瞬だけ存在するあだ花のようなもの」(芝村氏)。

 では、本当の意味でアドベンチャーゲームはどこで復権するのか。芝村氏は昔であれば解決できなかった手法で、解決できる場合がある、と芝村氏。「テキスト入力についても、現在はたいていの人がキーボードに慣れ親しんでおり、問題がなくなった。ワードの受け付け範囲も、技術的に解決しつつある。テンポの問題も、場面によってテキスト入力とコマンド入力を切り替えて受け付けるなどすれば解決できるかもしれない」(芝村氏)。

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