アニメーション監督・新海誠が語る――映像を文字にするということ:『小説 言の葉の庭』発売記念(2/5 ページ)
4月11日、映画「言の葉の庭」を新海監督自らノベライズした『小説 言の葉の庭』が発売。映画と小説という異なる媒体で作品を作るとはどういうことか、新海誠監督にインタビューを敢行した。
観客やファンの人たちの声で動き出したストーリー
―― 小説では、1話につき1首短歌が出てきますが、これは先にストーリーを考えて、内容に見合った短歌を当てはめていったのでしょうか。
新海 そうですね。大妻女子大学の倉住薫先生という万葉集の専門家の方に短歌を選んでいただきました。各話の最後に万葉集から選んだ短歌を載せるアイデア自体は、僕の方から提案させていただいたんです。
『言の葉の庭』というタイトルから万葉集や短歌のようなものを連想すると思うんですが、内容自体はどちらかというと雨の話や靴の話ですので、このタイトルに疑問を持つ人もでてくると思ったんです。その辺りをある程度解消するためにも、1話終えたあとに万葉集を載せることにしました。
―― 映画で声優の方たちの演技を見た後、小説を書かれたわけですが、キャラクターのイメージは変わったりしましたか。
新海 例えば、花澤香菜さんっていわゆるすごくかわいらしい声をした方じゃないですか。でも同時に、実はすごく情報量のある声なんです。かわいらしさの奥に、悩みとか疲れとか、期待に応えようとする生真面目さとか、花澤さんご自身の魅力がたっぷりと横たわっている。ご本人がどう思われているかは分からないけど(笑)、少なくとも僕にはそう聞こえる声なんです。アフレコを進めるうちに、ああ、雪野って実はこういう声をしているんだな、なるほどなっていう実感がありました。
ですから、その声の独特さを文字でどういう風に表現すればいいんだろうと、とても悩みながら書きましたね。「声には甘い湿り気があってまだ子供のよう」とか、「心を直接撫でるような震えるあの声」とか。花澤さんの声があったからこそ出てきた描写です。
―― 映画を見た人たちの声によって、監督ご自身影響されたことはありますか。
新海 大きな部分でいうと、幸せな終わらせ方をしないといけないんだろうなと強く思いましたね。
僕自身は、映画版のエンディングは十分にポジティブなものだとは思うんです。孝雄と雪野にとって特別な一夏の経験があって、その経験は彼らのその後の人生を確実に豊かなものにするだろう。そこまで示すことができれば、映画としては完成なんです。何かを描き写し足りなかったという気持ちはありませんでした。
でも、観客の感想からは、その後あの2人がどうなったのかをもっと知りたいとか、あの2人にはもっと幸せになって欲しいとか、2人が離ればなれになるなんて悲しすぎるとか、そういう声がたくさん出てきたんです。僕が思っていたよりもずっと強く、孝雄や雪野に感情移入したり、自己投影して見てくださる方がたくさんいた。だから、小説版ではもう少し先の2人の姿まで示してあげなければという責任のようなものを、映画の公開後に強く感じました。
そういうこともあって、少しネタばれになってしまいますが、エピローグでは孝雄と雪野が再び会うということを映画版よりももっと明確に示したんですね。観客の想いに大きく影響された部分です。
あとは、この本の巻末に取材した方たちの名前を入れさせていただいているんですが、この中の何人かは、舞台あいさつで知り合った方だったりするんです。例えば、本職の靴職人の方が舞台挨拶に来てくれて、「靴を作っているんです」と名刺をくださって、それでお話を聞いたりしました。そのことで孝雄のその後の進路にも影響がありましたね。高校生活もいくらか書いていますが、高校生の観客の中に1人、いつもお手紙をくれる子がいて、その子にもお話を聞いたりしましたね。
―― いろんな人たちの意見を柔軟に取り入れていますね。
新海 そうかもしれませんね。ただ、「読者が読みたいだろうと思っているものを書こう」という気持ちだったわけではありません。何を書くべきか、何を書きたいかというのが、映画の観客の方々のお話を聞く中でより明確になっていった感じです。
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