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“男”城主!? 直虎~新史料に見る井伊の黒幕と黒歴史(前編)

発見された“他見無用の書”には何が書かれていたのか。

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はじめに

 NHK大河ドラマ「女城主!直虎」

 その制作が決定したとき、知らない方は誰と聞き、歴史マニアはなぜと言ったものだ。

 せっかく「真田丸」という大作の予感がする大河ドラマがスタートするのに、なぜ水を指すのか。

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 そもそも、井伊直虎とはどういう人物で、どういう理由で大河制作が決まったのか。

 制作決定理由について、プロデューサーは一言「女性の主人公を探していたところ、女性でありながら、男性名を名乗った井伊直虎という人物に興味を持ったからである」と話している。

 直虎の地元浜松では、天地がひっくり返ったほどの驚きとともに、直虎の知名度を上げようと苦心し、こぞって直虎を調べ上げたが目新しい話はおろか直虎の趣味、好物、本名ですら明確にできるものはなかった。

 そして、誰もが若干の徒労感を感じつつ、あるいは期待値の低さも手伝い、その話題はすぐに日常に溶けてしまっていた。「真田丸」が歴史ファンの中でも名作として、ラストへ向けてその階段を駆け上っていたところ、あのニュースが世間を騒がせたのだ。

 ――井伊直虎、実は男!?――という急報である

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 かつて、日本史の教科書の中で、「小野妹子」が男性だったということに衝撃を受けたときよりも、それは確実に関係者の思考回路をストップさせるには十分であったし、何よりも「女性だから選ばれたのでは?」という根底が崩れたことに、一種の悲壮感と苦笑があった。

 そして、歴史ファンの中では誰もがその真相を知りたがり、さまざまな臆測は直虎に残っている資料以上に話題となった。

 ある者は、即座にそれはガセであると断じ、ある者はもともとファンタジーだと笑い、ある者は直虎女性説こそが虚構であると断じていた。

 私の周りでも、相当数の歴史マニアがその頭脳をフル回転させ、ネットではさらにその幾倍もの臆測が飛び交っているが、出元の資料が少ないのでモヤモヤした議論で終わってしまった。

 それもそのはず、今回の情報ソースである井伊美術館の井伊達夫館長(以下、井伊先生)の下に史料があり、ニュースや公式サイトの情報以外は得ることができないのだ。

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 そこで今回、井伊先生に特別取材をお願いしたところ、快く受けていただくことができた。

井伊達夫(兵部・直達)プロフィル

1942年彦根市生れ(旧姓中村)。幼時より歴史と甲冑武具に興味をもち、先祖柄井伊家の歴史、特に軍事・軍制について研究をはじめる。史料や史話の採集と保存にもつとめ、実戦刀術・古兵法を探求する。無住心剣竹斗会々主。岡本宣就系上泉流血脈相承伝系保存。1970年彦根藩甲冑史料研究所、1985年戦陣武具史料館(京・下鴨)、1999年甲刀修史館(京・東山)を開設。一方歴史文学にも志し、「越の老函人」で北日本文学賞(井上靖選)、「宮王守」でグラフィック茶道小説新人賞(多岐川恭選)、その他小説サンデー毎日新人賞に「断絶の本懐」「妖怪」「異聞勝川の鎧」で三年連続最終候補(選者 柴田錬三郎、川口松太郎、村上元三―その後同誌は休刊)。2005年井伊家嫡流名跡相承後、甲刀修史館を「井伊美術館」と改称。現京都井伊美術館館長、日本甲冑史学研究会会長(同会主任鑑定員)、その他彦根藩史料研究普及会、日本甲冑研究交歓会、甲刀倶楽部など甲冑史学関係団体を主宰。

井伊家研究の第一人者、井伊先生を直撃

 この取材により、大河ドラマの筋書きが変わるわけでもなく、変えようという意図もない。むしろ、大河ドラマがスタートして意外にも面白いという声が多くなってきた今、一歴史ファンとして、また全国の歴史ファンの代表として、井伊先生にご教授いただくつもりである。

 こうして私たち取材班は、京都祇園かいわいにある井伊美術館を訪ねた。

 祇園かいわいは京都の中でも山裾で底冷えし、ある種の凛とした空気が張り詰める町である。

 神社の裏へと続く小道を曲がると、そこには立派な門構えの「井伊美術館」が現れた。

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 門を潜り、中にご案内いただく。庭先には所狭しく古美術品が置かれており、中庭から奥の部屋へと案内いただく通路には、所蔵品なのか陰干しされているのか、多くの甲冑が整然と置かれている。

 とにかく、人ひとりがようやく通れるほどの通路を横歩きに進み、2階の部屋でお待ちしていると、井伊先生が階段を上ってこられた。

 井伊先生は井伊氏や甲冑研究における第一人者で、最も井伊家のことに詳しい御方である。さすがに緊張しているわれわれに向かって、柔らかな口調で珈琲をお勧めいただいた。

 傍らには若い女性の中村さんが控えておられる。失礼ながら、「お孫さんですか?」と聞く私に、「よく言われますが違います」とはにかまれていた。聞くところによると、研究員の方なのだという。将来が楽しみだ。

 すさまじい数の収蔵品は、先生が若いころから集められた物や、現在修理を依頼されて預かられている物、引っ張り出して解読を進めている古文書であるとのこと。

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 部屋の片側には、井伊家伝来の赤備え甲冑(朱塗桶側腰菱綴二枚胴具足)や木俣守安の馬印(鳥毛の棒)などの逸品が展示されている。

 その異様な光景の中で、先生と歓談しつつ体が温まったあたりで、いよいよ話を本題へと進めさせていただいた。

井伊直虎に関する新資料はどこから出てきたのか?

井伊先生 どんな質問でもお答えします。

 先生は親しげに笑みを浮かべながら、カップを置かれる。とはいえ、気を悪くされるようなことは聞きにくいであろうと半ば前置きをしつつ、ずけずけと聞きたいことを聞いていくのが私の役割でもある。

―― まず、誰もが聞きたいところからお伺いします。

 ひと呼吸置いた後、核心に触れる。

―― 今回の直虎が男性であるとの新資料はどこからどのようにして出てきたのでしょう?

井伊先生 あれは、彦根の古道具屋から買い上げたものです。

 50年ほど前になりますが、当時、私は彦根におりまして、その際に何軒もあるなかの古道具屋で見つけて分けていただいたものです。

 あのころは、井伊家の紙に書かれたものは粗末にされ、あるいは古い家は恥とされ、貴重なものが焼却されたりしていました。赤備えでも足軽クラスのものは、前の胴と後ろの胴を絡めて、軒先にぽぃっとつるされて雨がかかっている状態でした。

 僕はいずれこれらが役に立つと考え、自分の及ぶ範囲で買い集めていたのです。

―― 50年前にそんな状況だったとは……。

井伊先生 それが今ごろになってようやく役に立った。今回出てきた史料「守安公書記-雑秘説写記-」は12冊あり、公にしたのは3冊の中の3項目だけです。


守安公書記-雑秘説写記-

―― その3項目とは?

井伊先生 1つ目に、井伊谷(いいのや)の知行は、新野左馬之助親矩のおいである井伊次郎直虎に与えられ、新野が後見したということ。

 2つ目に、井伊次郎直虎は、今川家宿老関口越後守氏経の子であるということ。

 3つ目に、井伊谷は、当時それぞれの地侍が好き勝手に所領を取り合っていたので、今川氏真の命により若い青年武将が井伊次郎直虎として派遣され、戦のときは新野親矩が井伊谷衆を率いたこと。

―― なるほど、青年武将というのも判明しているのですか。

井伊先生 そうです、若いからこそ派遣された。今川家重臣の新野左馬助こと新野親矩が後見役となって、井伊谷の政(まつりごと)を動かしたということです。

―― つまり、直虎と次郎法師は別人で、実際には今川氏真の命で、新野親矩らが関口氏経の子である井伊次郎直虎を擁立して井伊谷を支配していたということですね。


 何ということか、早くも新説の根本ともいうべきところに到達してしまった。なるほど、直虎と氏経の連署状があるのも親子であれば説明がつく。

 井伊先生は珈琲を下げさせると、ヒーターの向きを変える。京町家は風通しが良く、甲冑類の管理には良さそうだが、故に骨を刺すような寒さがある。

 先生の後ろには多くの古文書や修理依頼の甲冑が整然と積まれている。赤備えの甲冑たちは、さらに寒かったのであろう彦根の冬を数百年乗り越えて来たのだろう。

 その数百年前の話に戻る。

井伊先生 今回見つかった史料の中には、井伊直政やその一族に関するスキャンダラスな記述もあり、他見無用の書とされ、決して表にはでませんでした。

―― ましてや、井伊家は幕府の大老の家ですから、見つかれば大変ですね。

井伊先生 戦国時代の出来事ですが、江戸時代は朱子学や儒教の観点からスキャンダラスな内容は公にできない。

 「守安公書記-雑秘説写記-」記録者の木俣守貞は儒学者服部南郭の高弟であり、井伊家の家老ですから述べて作るようなことをする必要がない。ただ、真実は伝えておかねばならぬと考え、まとめ書いておいたのでしょう。

―― 新資料の元筆者木俣守安とはどのような人物だったのでしょう?

井伊先生 木俣守安は、新野親矩の娘を母にして生まれた彦根藩の筆頭家老で、大坂の陣では井伊隊の先鋒(せんぽう)を務め、真田丸に一番乗りをした剛の者です。


 なるほど、人物相関はややこしいが、木俣守安がいかに井伊谷時代の井伊家を知る人物たちの中枢にいたかは判明した。

 そして、今回の新史料では、当時の実力者である新野親矩の妻や子、その周辺から聞いた驚くべきことが記録されているのだ。

井伊直虎は男だった! 発見の秘話

―― 今回の新史料はあまりにもタイミング良く発表されました。それでさまざまな臆測や疑いの目を向けられたのではないかと思うのですが?

井伊先生 まさにその通りです。本当にこんな史料が出てくるとは思っても見ませんでした。狙っていたのではないかといわれる方も多いのですが、全くの偶然です。

―― そうなのですね。そこのところをもう少し詳しくお聞かせください。

井伊先生 私は戦史研究が専門なのですが、この史料も関ヶ原、大坂両陣のことが詳しく書かれていたため、いつか役に立つと思い置いていたものでした。

 ちょうど、NHKのBSプレミアムで放送されている「美の壺」という番組の取材を受けたときに、細川忠興甲冑の講評を終え、宮本武蔵の鍔を探していたところ、古文書の山をのけた際に、たまたまこの史料が顔を出したのです。

―― ほほう、それはまさに天啓といえる偶然ですね。

井伊先生 この史料は50年も前に手に入れたものです。いつ放映されるか分からない大河ドラマに合わせて保管しておくということができましょうか。私も全く読んでいなかったため、現在も読み込んでいる最中です。

―― 史料発見は2016年8月末のことですね。

井伊先生 そうです。大河ドラマのこともあり、これを黙っておくべきかとも考えたのですが、メディアの方々に相談すると、今だからこそ記者会見を開いて表に出した方が良いとの話になりました。


 なるほど、大河ドラマが終われば直虎への注目も薄れてくるだろう。

 今回の発表では、世間的には賛否両論があったものの、実は研究者の間では即座に賛同や激励の連絡が多かったらしい。

 大河ドラマ選定にも関わられた磯田先生は、本資料の発表写真をご覧になり、既に直虎は男性だと推測されており、さらに、女性である次郎法師の実態も政治基盤が大変弱く、領主であったのも一時のことであったのではないかと推測されているとのことであった。

 そこで、当時の井伊家はほとんど実力が無かったのだろうかという疑問をぶつけてみた。

井伊先生 井伊家の男系はほぼ死んでおり、次郎法師と親族が辛うじて残ってはいるが、直親も行方不明のため、ほとんど絶えたような状況でした。

 仮に今川家が没落しなければ、派遣されてきた次郎直虎の事績も残っていたのでしょうが、永禄11年にはもう駄目になっていた。実質的な所は新野親矩が取り仕切っていたのです。

 その新野が戦死した後、家老の小野政次などが台頭していました。そのころには、次郎法師はとうに政治の中枢から離れていたと考えられます。

鍵を握る人物・井主と、謎の豪商瀬戸方久(せとほうきゅう)

―― 新史料に出てくる「井主」という者は何者でしょうか?

井伊先生 学者の中には、井主とは井伊谷の領主のことで次郎法師である、あるいは井主は次郎直虎であるとされている方もおられますが、正しくは人名であります。

―― なんと、人名ですか!

井伊先生 井主が私を仕り候いて……という一項で、これは井主が勝手なことをしておるということですが、従来は混濁されていました。人名とする学者も、史料が出ていないので勝手に推測していました。

 例えば「井伊主水」といった具合です。ここは井上主馬でも構わない。この者の正体も史料で判明しました。

 偶然ですが、推測されていた「井伊主水」は実在し、誰かということも分かりましたが、まだ発表はしません。断定する史料はありますのでもうすぐ公開します。

―― では、井伊主水が井伊谷の実権を握っていたことになりますか?

井伊先生 そうです、実際に井伊谷を握っていたのは井伊主水で、徳政令の延期を行っていたとみています。

―― なんと! 次郎法師最大の実績である徳政令延期も井伊主水の仕業なのですね。そうなると次郎法師はどういう状況だったのでしょう?

井伊先生 次郎法師は、井伊谷の豪商であり武士である瀬戸方久に逆らえる状況ではなかった。このころ、方久は井伊谷の土地をかなり手に入れている状況で、次郎法師は土地を取られた者たちの担保証明をする程度のことしかできなかったのです。

―― なぜ瀬戸方久は商人でありながら、井伊谷を支配下に置くことができたんですか?

井伊先生 井伊谷に限らず、戦国時代は米の出来不出来は重要な問題です、不作だと生活ができないから米を買わねばならないが、金が無いために土地を担保にする。瀬戸方久はそれらの者に金を貸しながら、次々と土地を手に入れ、やがて次郎法師や井伊主水も取り込んで力をつけていきます。

―― では、裏の実力者は、瀬戸方久ということになりますね。

井伊先生 方久は先見性に富む武器商人で、貨幣経済の凄さに気付いた先駆者の一人といえます。

―― あの時代にしてはかなり早いですね。相当な切れ者ということになりますね。

井伊先生 もし彼が明治に生まれていたら、維新の豪商に名を並べていたでしょうな。


戦国魂プロデューサー 鈴木智博

 この日、私は取材班の発案で直垂での取材となっていた。井伊家のイメージに合わせた赤い直垂である。当初畏まって正座をしながらの取材であったが、話し込んでいるうちに撮影を担当していたカメラマンもいなくなり、足を崩すことにした。

 心地よい痺れを感じながら、頭の中の井伊谷はまさにまひ状態だ。

 まさか、次郎法師の有力なバックアップをしていたとされる方久が、裏のフィクサーだったとは。徳政令を凍結したい井伊主水と徳政令を出されると困る方久の思惑が一致したということか。整理すると、この時代の井伊谷を牛耳っていたのは井伊主水であり、その裏には瀬戸方久がいた。

 そうなると、井伊主水なる人物と新野親矩、関口氏経らとの関係が明らかになることで、当時の実態が見えてくるのではないか。

 ただ、井伊主水については現時点では明らかにされていない。井伊先生の研究成果が待たれる。

 そして、この後、新聞発表では知られていない、衝撃の井伊家黒歴史が明らかになったのだ! つづく

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