インタビュー

ハリウッド監督・紀里谷和明2万字インタビュー×東大作家・鏡征爾:禁断の解禁 ここにあなたの悩みをひもとく全てがある<前編>(1/3 ページ)

インタビューは、映画「ラスト・ナイツ」の日本公開直後、2015年に行われた。

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 紀里谷和明。映画監督。宇多田ヒカルのMVでも知られる鬼才。ハリウッド進出を果たした「ラスト・ナイツ」を手掛けた彼に、小説家・鏡征爾が話を伺った。

 採録は2015年初冬。同行したのは開成高校出身の東大生・須田と「死にたい」劇作家志望の学部生K。<紀里谷監督がクランクアップから上映まで2年の歳月を要したように、私がこの対話を公開する勇気を持つまで2年かかった>これは地獄の東大黙示録である。対談小説と全2回のインタビューという合計4万字を超える異色の出来。須田と学部生Kの、東大生&若者を代表する質問も必読。

 この文章が、あなたの心の暗闇を照らす光になりますように。

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鏡征爾(写真左)と紀里谷和明監督(写真右)

鏡:紀里谷監督。「ラスト・ナイツ」鑑賞させて頂きました。

紀里谷:ありがとう。

鏡:強烈にこころに響きました。あのラスト。ラスト・シーン。

紀里谷:ありがとう!

鏡:僕は初日に見たんです。そして今回の企画は絶対に紀里谷監督にお願いしなければと思って。<映像が映像を超えていく瞬間を切り取った傑作>。鑑賞直後に送らせて頂いたメールにも書きましたが、そんな目眩(めまい)にも似たものを覚えたんです。最後のシーンは自分だって。これは監督だって。その瞬間、足が震えたんですね。

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 紀里谷監督はこの10年間、悩み、苦しみ、「死」すら考えたと仰っています。でもその悩みを超えて、奇跡を可能にし続けている。これは、奇跡と呼んでいい作品だと思うんです。そんな監督の経験を、伝えて頂けないだろうかと思ったんです。いや実際僕が知りたかった。

I 理想で暗闇を照らす

鏡:というわけで、今日は「ラスト・ナイツ」のお話を伺いながら、「理想と現実」をテーマに、若者の悩みにもひらいていけたらな、と思います。

「――理想で暗闇を照らす」という開始20分のバルトーク卿(モーガン・フリーマン)のせりふがあります。そうやって彼は剣を授けた。魂を託した。それがなぜか――僕らへのメッセージであるかのように思ったんですね。

 この強さはどこからくるのだろう。レイトショーで映画を見終えて延々街を歩きながら考えて、浮かんだのは監督の強さでした。紀里谷監督は理想で暗闇を照らし続けてきたように思うんです。理想と現実の壁を突き抜けた、と言い換えてもいい。監督はハリウッドに突き抜けて、アメリカに中学で突き抜けて、映像の表現からも突き抜けてしまっている。

 だからハリウッドの話、アメリカの話、映像表現の話。まずはこの3点について突き抜けるという観点から伺いたいんです。

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紀里谷:OK。では突き抜けるとは何かということだろう。突き抜けるということは何に対して突き抜けるのか、ということになる。それは壁であったり、さまざまな問題であったりする。だがいつも俺が言いたいのは「じゃあどっちに問題があるのか?」ということなんだ。突き抜ける方に問題があるのか。壁の方に問題があるのか。

 そもそも俺自身は何も特別なことをやっているつもりはない。いつも同じことを主張している。当たり前のことを当たり前にやっている。当たり前のことを主張して、当たり前に行動しているだけなんだ。しかしながらそれがとかく抵抗にあったり、きみがいうような「突き抜ける」という表現に変換されていくわけだ。それは一体なぜだろう? どちらが問題なのだろう? 問題なのは壁の方なのか。突き抜ける方なのか?

 俺は普通にやっているだけなんだよ。向こうも普通にやってるつもりなんだろうけどさ。だからそこなんだよ、問題は。まず壁というものを前提として肯定してしまって、それがあるから突き抜けなければいけないと思うのか。それともただ単に自分がやりたいこと、やらなければならないこと、当たり前だと思うことを徹底してやるのか。信念がないかぎり、突き抜けるがための突き抜けるという話になっていくわけだろう?

II 突き抜けるのではなく突き詰める

紀里谷:例えば俺は肩書自体がどうでもいい。映画監督という肩書自体もどうでもいい。俺は何かになろうとしているわけじゃない。ただ当たり前のことを当たり前としてやりたい。自分がつくりたいものをつくりたい。ただそれだけなんだよ。難しいことをやっているつもりは、俺自身には微塵(みじん)もないんだ。

鏡:その強さを聞きたいんです。

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紀里谷:それが強いというところが、俺から言わせると、逆になぜあなた方はそんなに弱いのかという話になるわけだよ。

 俺は当たり前のことを当たり前に、やりたいことをやりたいようにやっている。ただそれだけの話。単純で明快な話。そこに強さも何もないと思う。

鏡:監督は思春期の頃からそうなのですか?

紀里谷:うん。だから、そこで自分はその環境にいられなくなって……(珍しく少し考えて)……まだ子どもだったから。そこに抵抗するための手段も知らなかったから。それで日本にいられなくなって。そして僕はアメリカに行ったんです。でもそこには自分自身の判断もあったと思うし。14歳になる男のね。

 だからそれを強さとしてくくってしまうと、それは特別なものになってしまう。こういう話をしていると、よく「熱いですね」とか「すごいですね」とか言われるんだけれど、「いやいや冷めてるんでしょあんた方が」って思うんだよ。

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 極めて多数決の話なんだよ。それはつまらない話なんだ。大多数の人間が多数の人間と同じように、同じような生き方をしているからこちらが特別だと言っているだけの話であってさ。それは極めて退屈な議論だよ。

 俺は特別な生き方をしているつもりは微塵もないの。みんなと一緒だと思っているわけ。それなのに、そういった質問がくる。なぜそんなに強いんですか? なぜそうなったんですか? 熱いんですか?

 俺からするとそもそもそんな特別なつもりでやってない。

鏡:だからあれだけのものができる?

紀里谷:でも、当たり前のことだと思うんだよ。ハリウッドといっても当たり前のことなんだ。向こう(海外)の人からすると、別に特別でも何でもない。

 だから全てが相対論になってしまっていると思う。いわゆる日本国という既得権益を信じてしまって、そのなかにいて。その日本国の国の日本語の言語を喋るという既得権益のなかで、いわゆるそこが当たり前だと思ってしまって、その当たり前同士の比較でしかない。相対的な話でしかないわけだ。別にみんな当たり前にやってんじゃん。スピルバーグとか。デヴィッド・フィンチャーとかさ。普通に映画監督なわけじゃん。それがなんでハリウッドっていう、今回マーケティングで使ったけれども。……普通のことじゃね?

 だから自分たちで壁をつくりすぎだよ、多くの人たちは。日本人とすら俺は最近言わない。多くの人たちは自分で壁をつくりすぎだと。自分たちで檻(おり)に入っていくわけじゃん。例えば東京大学という檻があって、日本では最高権威とされているような檻である。しかし檻でしかないわけだよね。それは檻に入ってしまったらその東京大学という権威に縋る。でもそこで何を学ぶかってことが重要なわけでしょう? その行為でその行為を何に接続させるていくのかということが重要なだけであって、それは単なるラベルでしかなくて、肩書でしかなくて、でもそれが既得権益になってくわけじゃん。東京大学っていう既得権益。それはつまらないことだよね。だってそこには自分がいない。

III 千の悩みと書いて洗脳と解く。その心は「参考にならない」

鏡:表現についても伺いたいんです。表現方法、つまり「How」の部分ですね。本当にすごいと思うものを突き詰めていって監督のいまがあると思うんです。極めてロジカルな部分を押さえた上で突き詰めている。作品をあらためて見ると基本的な部分がすごくしっかりしていることに驚かされます。「traveling」や「Passion」のミュージック・ビデオもそうだし、「GOEMON」のジャケットだってそう。「ラスト・ナイツ」はさらに、極めて合理的な――いわばハリウッド的シナリオの構造に沿っている。

 でも新しく見える。新鮮に見える。ラストのクライヴ・オーウェンの一瞬を切り取った表情がこれまで見たことがない彼の表情になっている。

 監督はどうやってこういった胸を打つ表現を生み出してきたんでしょう。その、僕は、何か――このインタビューではクリエイティブの人間にも参考になるようなものが欲しいんですね。

紀里谷:参考になんねえんだよ(キッパリ)。

 なぜならそれができたらみんなできているから。みんな聞くだろう?

 「どうやったら金持ちになれるんですか?」「どうやったら成功できるんですか?」「どうやったらダイエットできるんですか?」。いっぱいでてるよそんな本。そこには方法論が延々書いてある……でも結局それは意志の力なんだ。自分がどこまでしてそれが欲しいのかという力の強さの問題なんだよ。

 「あなたどれだけ金持ちになりたいんですか?」「どれだけ痩せたいんですか?」。問題はそこさ。

 だからそれが欠落したまま、中途半端に私は痩せたいとか、何でもするという強い意志もないまま金持ちになりたいとか。中途半端に中途半端を重ねているだけの話なんだ。もちろんそれが100パーセント機能しないとまで俺は言うつもりはないよ。だけど話はそこまで簡単じゃない。その程度で望みがかなえられるなら誰もがかなえているだろう?

 結局、何を差しだすのかということだと思うんだよ。痩せなかったら自分の子どもが死ぬんだったら、みんな痩せているよそれは。自分の家族が死ぬんだったら徹底的に痩せるよ。金持ちになれるかどうかはさておき、少なくともダイエットに関してはそういうことだよ。だからどうやったらそうなれるとか言っていること自体が甘いと思うし……ああ、また言っちまった甘いとか。こういうこと言うから、怒られるんだよな(笑)

鏡:(笑)

紀里谷:俺は、極めてロジカルに話してるつもり。たった一つのことを話しているつもり。みんな洗脳されてるんだよ。どこか。心のどこかで。何か、こうすればできるんじゃないだろうかという幻想に浸っているんだ。スーパーマリオやってて攻略本見ちゃうような人たちなわけだろ?

 別にそれはそれでいいんだ。でも、そんなやり方で攻略して、あなたは本当にそこに喜びがあるのかと聞きたい。

鏡:監督はこれまで出てきたものも参照されているんですか? それとも見つつもゼロからつくるくらいの感じでやられているのでしょうか。

紀里谷:いやそれはいろんな作品いっぱい見てきてるし。いろんな経験をしている。だからこれはいえるよ。まずどれだけの経験をしたのかってことがすごく重要だと思う。何を見たのか。何を感じたのか。何を聞いたのか。どこに行ったのか。どんなこと考えたのか。何と接触したのか。最高のものから最低のものまで。その幅が重要だと思う。で、それは極めて困難なことなんだよ、実際。だって、例えば、これはいつもよく言うことなんだけど――きみのなかの衝動が現れたと。

鏡:はい。

紀里谷:いまから海を見たい。それで本当に行くんですかって。ほとんど行かないんだよ。でもそこは努力して行かなきゃいけないんだよ。その衝動があらわれたときに。そしてまた海をみたときに感じなきゃいけないんだよ。どういう気分なのか。わお海だ。とか。そこには「なんだたいしたことないな」って思いもあるかもしれない。そこも含めて全部感じていかなければいけない。

 それが非常に僕は重要だと思う。それには極めて努力が必要。忍耐も必要。

 それはなぜかっていうと衝動を形にするってことじゃん。ココイチのカレーでも何でもいいんだよ。

鏡:衝動を形にするためにどれだけの犠牲を払ってもやる。

紀里谷:そう。それをきっちりやるってこと。やりきるってこと。ココイチのカレーが食いたいなら食いに行きなさい。しかしほとんどの人間がカレーを食いたいと思っても忘れてしまうんだ。

鏡:すぐ行けと。

紀里谷:そう。俺はそれの連続で行くトレーニングが必要な気がするんだよ。

鏡:監督はそうしたトレーニングってされました?

紀里谷:いやそれは行くし。やっぱり。その前に俺は見つめるんだよ。何をやりたいのかって。自分が何が欲しいのかって。昨日の夜もずっと考えていたんだ。常に思う。毎回毎回思う。いつも思ってる。

「俺は一体何が本当に欲しいんだろう?」って。

 その答えは、ここ(脳を指さして)ではわからない。ここ(脳)は、考えているようで考えていない。そうではなくて、ここ(ハートを指さして)は一体何を求めているのだろうか。当たり前の話なんだけれど、その当たり前の話が極めて抜け落ちているから、この世界はヘンテコなものになっている。

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