少女漫画の「男に片思いする男」が希望を教えてくれた――一条ゆかり『デザイナー』『砂の城』と、恋愛にしっくりこない私(2/2 ページ)
報われないキャラクターに救われた経験を、イラストつきで振り返ります。
親友の恋を見守る男・フェラン――『砂の城』
一条ゆかり作品には、柾以外にも男に叶わない片思いを抱きながらずっとそばに居続ける男が割といる。『砂の城』のフェランは、つい思いあがって「これは私だ!」と号泣してしまうくらい好きなキャラだ。
『砂の城』という物語は、富豪の娘ナタリーと孤児のフランシスが駆け落ちに失敗し心中したが、ナタリーのみが生き残ってしまう場面から始まる。しかし実際には、フランシスは別の地で記憶を失くしたまま家族を作って暮らしていた。ナタリーとフランシスは再会するが、その後フランシスとその妻は急死してしまう。再び残されたナタリーは、フランシスの息子を引き取り、その息子をフランシスと呼んで育てていく……。そのような子育てと恋愛の物語だ。序盤の説明だけで疲れてしまいそうなくらい波乱万丈である。
フェランはフランシス(息子の方)の寄宿学校時代のルームメイトで、育ての親ナタリーに恋をするフランシスをそばでずっと支え続ける親友だ。本当はフランシスを深く愛しているのだが、それでもナタリーとフランシスの関係を守るガーディアンのような立ち位置にある。先程出てきた柾とは正反対の行動を真摯(しんし)に選択する、健気なキャラだ。
フェランがそのような頼りがいのある親友になるまでには、いくつかのプロセスがある。もともとフェランは不良だったが、家族関係の複雑なこじれ(刃傷沙汰を含むレベルである)をさまざまな場面でフランシスに救われたのだ。いわばフェランは、フランシスのおかげで更生を遂げたのである。それ以来フェランはフランシスの苦境に必ず寄り添う、牛若丸にとっての弁慶のような存在になっている。
2巻で出てきた「ルームメイトを反省室に送り込む天才」の不良フェランと、6巻のフランシスに常に的確な助言をする冷静で大人な親友フェランを見比べて、フランシスからフェランが受けた多大なる影響と、フェランからフランシスへの忠心ともいえる愛を感じてほしい。
一条ゆかりは自身のエッセイの中で、『砂の城』は「子育て漫画」であると表現している(一条ゆかり『恋愛少女漫画家』集英社、2003年)。確かにメインキャラのナタリーも主に子育てされているフランシスもどんどん成長して変わっていくし、脇を固めるキャラも同じように長い年月をかけて誰もが変わり先に進んでいく物語だ。その中でも私はフェランの選んだ道を好んだ。
最終的にはナタリーが先に死んでしまって、フェランは残されたフランシスをその後もずっと支え続けることになる。私は拳を握って「ナタリー死後のフランシスとフェランで二次創作描けそうなエンドだ! ありがとう!」とよろこんだ。一条ゆかり作品のメインカップル以外に感情移入していると何かと悲恋や別れをよろこんでしまい、若干の罪悪感を覚える。しかし一条ゆかり自身、先程あげたエッセイで『砂の城』だとフェランが好きでとても楽しんで描いたと記しており、「屈折した人にしか楽しみを覚えないのよね」とまで言い切っている。一条ゆかりももしかしたら、決して思い人には振り向かれない助演のキャラを楽しんで描いて、よろこんで屈折させているのかもしれない。
「片思いの男」が見せてくれた希望
私は好きな友達の彼氏やその周辺の恋愛話を聞く度に、心がざらざらして一瞬死にたくなる。しかし、自分と同じようには愛してくれないであろう者のために(方向は違えど)全力を尽くす柾やフェランの存在を思うと、私はまだ好きな友達のために友達として生きられると感じる。「私は今フェランだ」と思えば、何年も愛したこともある友達の恋愛話に、平気な顔をしてふざけた返答ができる。
『砂の城』には、ナタリーをじっと見るフェランに気付いたフランシスが、フェランはナタリーが好きなのかと勘違いする場面がある。フェランはひとしきり笑った後、「なあフランシス うわっつらなんてそんなものさ ほんとうのことなんか見ようとしなきゃ見えやしない」と返す。
『デザイナー』では、「ぼくを愛してる?」と問う朱鷺に、柾はただ「私はここにいます」とだけ答える。
彼らは愛する相手を本当に「手に入れる」ことはできないと悟っているキャラクターだ。最近はハッピーエンドのレズビアンやゲイのラブコメも増えてきたので、それらの作品と比べると、柾やフェランのような、ただ愛する人を健気に影で支えたり「愛してる?」と訊かれてもそれを隠す同性愛者のキャラクターは、もしかすると世界的には時代遅れな表象なのかもしれない。でも、きっとこの先もこの時代遅れの国で一人で生きるかもしれない私にとって、返ってこない愛に絶望することもなく強く生きる柾やフェランは間違いなく希望的な存在だ。
少女漫画を貸してくれた学生時代の友達、もう誰の連絡先も分からないけれど、誰がどの作品を貸してくれたか全て覚えている。少女漫画は私にとって彼女達に通じる扉であり、見知らぬ愛を知る窓であり、今現在も私にエールを送ってくれる大切な友人だ。これまでの、これからの、少女漫画に自分の分身を探しながらずっと飽きずに読み続けていくだろう。
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