石田祐康監督、難産の「雨を告げる漂流団地」で抱いた決意 キャラの衝突を避けたら「いい部分が引き立たない」(2/3 ページ)
「すれ違いからもう一度わかり合えたときの気持ちよさを描いてみたかった」。
苦しい状況も逃げずに描きたかった
―― 石田監督の過去作品は主人公とヒロイン、1対1の関係を描いていたと思っています。「漂流団地」は主人公2人だけではなく、7人が対等な関係にある物語として書かれていましたが、「群像劇」という形式を選んだ理由は?
石田 元となるイメージボードを最初に描いたときから、複数の少年少女たちが漂流する『十五少年漂流記』のようなお話に挑戦したかったんです。
なぜかといえば、子どもたちが連携したりケンカしたりしながら前に進んでいく話、またそういう映画が好きだからなんですよね。ちょっとしたすれ違いでのもどかしさ、すれ違いからもう一度わかり合えたときの気持ちよさを描いてみたかった。
―― それが監督のおっしゃる「複雑性」ということですね。
石田 そうですね。以前に「ペンギン・ハイウェイ」を作ったときもその傾向がなくはなかったんですけど、あの作品ではアオヤマ君とお姉さんとの結び付きがちょっと強かったかもしれない。
―― 「連携したりケンカしたり」ということですが、大人のいない厳しい環境に置かれた少年少女が協力し合う他、激しくぶつかり合う場面もかなりありました。バランスという点でかなり難しかったのでは?
石田 なるほど(笑)。衝突の描き方って確かに難しくはありましたし、下手すると見る側にとってちょっと不快に向かっちゃうリスクはありますよね。ただ、描かざるを得なかったっていうのはあります。
例えば後半で団地が沈んでいく中、のっぽ君を一緒に連れていくか否かをみんなで議論している場面。夏芽が「このまま置いていったら沈んで一緒に死んじゃうよ!」って訴える一方で、令依菜が「いや、私たちがこうなったのはあの子が原因なんでしょ、連れて行かない方がいい!」ってまさに対照的で。子どもたちの見解がひとつの議題に対して大きく対立するんですよね。
描いているときに思い出したのが、映画「ブタがいた教室」のお話です。ある小学校で実際にあったことらしいんですけど、卒業間近のクラスでブタに名前を付けてかわいがって育てます。しかし、卒業時には処遇をどうするか決めないといけない。食べるか否かをです。
でも、みんなで会議をすると「最初から決めてたことなんだから食べよう」「いや、これだけ一緒に過ごしてきたんだしもう自分たちの仲間じゃん。だから食べるのはやめよう」っていろんな意見が飛び交って結局割れるわけです。
―― 「漂流団地」とそのまま同じ状況になっているんですね。
石田 ジレンマにおかれた子どもたちは、それぞれが問題をどう考えているか、何に重きを置いているかを問われながら苦渋の選択を行わざるを得ない。そういうときって、一人ひとりの性格もハッキリと浮き彫りになってきます。
そういう苦しい状況を自分なりに、できる限り逃げずに描きたかったっていうのはありますね。作っている側も鑑賞する側もそれぞれつらいんですが……。
ただ同時に、極限のシチュエーションでこそ、キャラが本当に「人」っぽくなるというか、そのぐらい生きた感じになるという感触もあったんですよね。それが、団地が漂流しているこの一風変わった状況を本当のことのように思ってもらうためには必要だった、ともいえそうです。
キャラ同士の激しい衝突から見えるものも
―― ひとつ気になっていたことがあります。ステートメントでは「団地に思いを寄せた作品」と書いていた一方、作中では航祐が「(自分たちが過ごした団地は)大切だけど、縛られてはいけない場所」だと言い切っていました。この食い違いの狙いとは?
石田 そう全然違います。それは自分の中でもかみ合わせるのがなかなか難しいことではありましたけど……なんかもう自分自身の気持ちとどう折り合いをつけるかっていう部分の話なんですよね。作中のキャラたちとどうしてもシンクロしてきちゃうところではあるので難しかったです。
さっき話した子どもたちの苦渋の決断を描く意図とちょっと近いのかもしれないですけど、どちらか片方だけの立場を描くと「全部を言えていない感じ」というか、キャラのいい部分が引き立たないっていう気持ちもなんとなくありました。
―― 「全部を言えていない」とはどういうことでしょうか?
石田 例を挙げると、令依菜は夏芽に向かっていろいろ言いたい放題でしたよね。でも、この子がどんな形でも問いを投げないと、夏芽が内に秘めているものを引き出せない。
そしてまた、令依菜自身も夏芽とは違えど、この子なりに経験した過去の出来事とか、心の底で大切にしていた場所があったりします。夏芽の場合は団地、令依菜だったら遊園地と、ただ対象の違いなだけであって、通底する部分で理解し合えないことはないっていう、ひとつの願いというか願望というか、そんな思いもこもってしまっているかもしれないですけど。
そういうところでちょっと自分の迷いも表れている気がします。
―― そこが先ほどから話している「難しいところ」だと。
石田 そうですね。令依菜や夏芽のケースに限らずですけど、何かしらのぶつかり合いがあった場合、何を中心に据えてキャラの言動をどう扱っていくかは、作品に携わる人によってやっぱり違うので。
何が物語にとって一番の答えなのかは難しかったし、自分で決めるしかなかったので内容については相当悩みました。
―― 拝見して、ウソが全くない作品だと感じました。
石田 そう言ってもらえるだけでも良かったです。
―― 監督にとって、「漂流団地」は劇場作品3作目となります。次作で実現したいことを教えていただけますか?
石田 自身のオリジナル作品だということも加味すると、主に2つ。
まず技術面です。プロの絵描き集団の中で、説得力をもって物事を進めていくためには、絵などの部分でやっぱり一定の高いスキルが要るんですよね。基本的に監督業ばかりの10年間だったので、その点が抜けているのは正直あります。
もう1つはさっきも少し触れた、作品のキーになる考えや感情をどう据えて創作していくのかという点。作品そのものを形作るための何か、自分の作品との付き合い方ですね。
今回はとにかく「当たって砕けろ」「痛みを感じながらでもやるしかない」という思いでギリギリ完成させた部分もあるので。それはすごく持続性がなく、ある意味プロのやり方ではないとさえ思ってしまうので、何かを新しく得ないといけないなと。
―― 石田監督にとって、そうした意味で理想的な人は?
石田 中学生のときに出会った今敏監督です。キャラや作品の雰囲気がかなり大人で作品の方向性こそ全く違えど、ひとつの作品をまとめ上げる際の視点や方法が好きなんです。
―― 具体的にどの部分に憧れたのでしょう?
石田 今監督はビジュアルやイマジネーションが豊富な方で、絵もめちゃくちゃ上手い一方、そこに溺れることなく作品をあくまでエンターテインメントの商業作品としてものにする。
作品の落としどころの見つけ方、つまり切るべきところは切った上で、これさえ押さえておけばお客さんがちゃんと面白いと受け止めてくれる部分の見定め方が鋭いと感じます。「千年女優」(※)が好きかな。
※「千年女優」 今監督による2001年のアニメ映画。伝説の大女優・藤原千代子が30年ぶりのインタビューに応じるうち、自らの人生の記憶と映画の世界とが入り交じっていく構成を取っており、国内外で当時高い評価を得た。
―― 私も「千年女優」好きです。実はこのインタビューの前日、『海帰線』を偶然読み返していたので、今のお話にビックリしました。
石田 そうなんですか! 正直、あれほどの絵が描けて演出力まで発揮できる人だったら、ともすると芸術面にふった方向へいこうと思えばいけるはずなのに、「いや、そうじゃなくて、みんなをちゃんと楽しませてこそ自分の仕事があるんだ」ってギリギリのところでちゃんと止めて、見る側をワクワクさせてくれるんです。そのバランス感覚がなんだか不思議でしたね。
公開情報
・「雨を告げる漂流団地」
監督:石田祐康
脚本:石田祐康・森ハヤシ
キャラクターデザイン:永江彰浩 キャラクターデザイン補佐:加藤ふみ
出演:田村睦心(航祐)、瀬戸麻沙美(夏芽)、村瀬歩(のっぽ)、山下大輝(譲)、
水瀬いのり(令依菜)、花澤香菜(珠理)、小林由美子(太志)
主題歌・挿入歌:ずっと真夜中でいいのに。
制作:スタジオコロリド
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