田中芳樹氏「原作にできなかったことをゲームで」――ノイエ銀英伝が2024年にオンラインゲーム化、原作者とゲームプロデューサーの特別対談を実施
記事下部には直筆サイン色紙のお知らせも。
2024年にリリース予定の戦略シミュレーションゲーム『銀河英雄伝説 Die Neue Saga』(略称:ノイサガ)。タイトルの通り、TVアニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』初の戦略シミュレーションゲームである。
そして、このゲームのリリースに先立ち、クローズドβテストの開催が決定した。2023年12月27日から2024年の2月28日17:59までの期間に応募して当選すると、2024年3月から開催されるβテストに参加することができる。
そんな『ノイサガ』の開発が進んでいた今年9月、『銀河英雄伝説』(以下、銀英伝)原作者である田中芳樹氏と、このゲームの開発を担当する株式会社Aiming プロデューサー 小田知典氏による対談が実現していた。
SF・歴史小説の大家である原作者の田中氏と、学生時代に『銀英伝』と出会い夢中になったという小田氏。さらに司会進行はアニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』のエグゼクティブプロデューサーである郡司幹雄氏が務めた。
【以下、『銀英伝』シリーズ作品および対談動画のネタバレを含みますのでご注意ください】
12月27日(水)20時に公開された対談動画がこちらである。
この豪華な対談は、田中氏の独特なキャラクター造形の手法や、世界史から着想を得たストーリー、さらにはモンゴル軍の戦いからヒントを得た宇宙での戦闘描写に至るまで、『銀英伝』の話題のみにとどまらない縦横無尽の内容となった。
この対談に同席したねとらぼでは、対談の内容を今回たっぷりと紹介。12月27日(水)20時に公開された対談動画よりも一足早く、その内容を掲載することが許された。遠い未来の宇宙からはるか古代、さらに現代の国際政治を行き来しつつ語られた対話を、じっくりと楽しんでいただきたい。
勉強も手につかず読みふけった『銀英伝』
郡司 今回の対談はちょっと突っ込んだお話も聞かせていただきたいので、ゲームではまだ描かれていないところまで言及していただきたいと思っております。最初の質問なのですが、小田さんが最初に『銀英伝』に出会ったのは、いつごろのことなんでしょうか?
小田 初めて読んだのは高校2年生のときでしたね。ちょうど塾に行く途中で立ち寄った本屋で、徳間書店から出た文庫版が置いてあったんですよ。タイトルだけは聞いたことがあったんで、ちょっと1冊手に取って読んでみたところあまりにも面白くて、そのまま塾に行かずに夜まで読み続けてしまいました(笑)。その後1週間は全然勉強も手につかず、その勢いのまま10巻全部読んだ記憶があります。
田中 それは先生方に申し訳ないことをしました(笑)。
郡司 小田さんは、『銀英伝』のどのようなところに魅力を感じていらっしゃいますか?
小田 まずやっぱり、キャラクターの造形ですね。最初に読んだときは歳のせいもあって、ユリアン・ミンツに感情移入して読んでいました。それからも時間を置いて何度か読み返したんですが、例えば30歳を過ぎると今度はケンプにちょっと感情移入したりする。ミッターマイヤーやロイエンタールに先を越されて焦る気持ちとか、そういうところが分かるようになるんです。これだけいろいろなキャラクターの内面や心情が描かれているところは、やっぱり素晴らしいなと思っています。
田中 どうもありがとうございます。ただ、これだけ褒めていただいて申し訳ないんですが、この作品はあんまり頭で考えて書いていないんです。自然に出てくるものをそのまま書いていって、途中でちょっと数字とかが分からない部分や、ちょっとこれは変だなというところは調べて……という感じで書き進めていった。だからファンの方に「『銀英伝』の面白いところを選んでください」というような質問をいただいても、「そんなのわかんないです」と答えるのが常でした。
郡司 そうだったんですか。
田中 ずっと歴史ものが好きで、その手の本をたくさん読んでいたんです。そういった知識や情報が自分の中に入るだけ入って、もうあふれ出てしまうというような時期にちょうどお話をいただいたんで、『銀英伝』はそのはけ口になったんですよね。だから実のところ、出版社の方から「『銀英伝』は売れてるよ」と教えていただいたときも、うれしいけど「何でだろう」と思ったのが正直な気持ちです(笑)。
郡司 やっぱりそれは、それまで読まれていた歴史書とか、その中に書かれている人物だとかが蓄積されて……という感じなんでしょうか?
田中 そうだと思います。小学生のころ、偕成社から出ていた浅野晃という人の書いた少年少女向けの世界史の本(ねとらぼ注:『少年少女世界史談』と思われる)が出たんですが、これがとても面白くて、それ以降片っ端から歴史に関する本を読んでいきました。その中で『三国志』に出会ったのが運の尽きで、大変失礼な話ですが「もう理系の教科なんかどうでもいいや」という感じで、歴史ばかりやっていました。
ヒントは「野球のポジション」にあった!? 田中流キャラクター創作法
郡司 先ほど小田さんがおっしゃっていたキャラクターの造形についてなんですが、まずラインハルトとヤンという二人の主人公が、非常に複雑な人物として描かれているように感じます。ラインハルトは理想的な専制君主ではありますが、完全な人物ではありません。ヤンも理想に向かって動いてはいますが、自分の中にいろいろなものを抱えています。戦争を忌避しているにもかかわらず、作戦や戦略について考えているときが一番生き生きしているというヤンの描写は、特に印象的でした。そういったキャラクター造形というものを、どうやってお考えになっているのかを伺いたいです。
田中 登場人物を考えるときは、ある1人だけを考えるということはあまりないんです。大体2人セットで考えて、その2人の違いを大きく広げていく。ものすごく乱暴な例えですが、例えば「相手から100発殴られて仕返しをする」というシチュエーションで、100発ちょうど殴り返す人と、おまけをつけて101発殴り返す人、99発でやめてしまう人と、これだけで大体3つの人間の典型ができるわけです。
郡司 対比でキャラクターを立てることが大事なわけですね。
田中 「こっちは女好きだけどこっちは女嫌い」みたいな、そういった対比を意識して作っていきますね。例えば無人島に1人だけ登場人物がいるという状況だと、「気が短い」とか「諦めが早い」とか、そういった特徴が書けないんです。『ロビンソン・クルーソー』だって、途中から召使い役のフライデーが出てきて、これがもうロビンソンより有能だったりするわけです。やっぱり人と対比して「AはBよりも気が長い」「CはDより優しい」とやっていかないと、人間の性格を描くというのは難しいんです。
小田 『銀英伝』には相当たくさんの人物が出てきますが、それも今伺ったような形で対比を作って人物像をちょっとずつズラしていって……という形でキャラクターを作っていったんでしょうか?
田中 そうですね。ヤンとラインハルトはそうですし、ミッターマイヤーとロイエンタールもそうです。あとはそれに付随して、チームを作るわけです。
郡司 チームですか。
田中 『銀英伝』を書いていたころ、私はプロ野球も好きだったんです。だから、野球チームのポジションを応用して、「このキャラクターはどのポジションにむいているか」という点を考えたんです。「俊敏で足が早いからショート」とか、「肩が強くて体がでかいからキャッチャー」とか。そういうのを一応配置してから、またちょっとズラす。「図体(ずうたい)が大きくて一見もっさりしているけど、実は足が早くてショートを守ってる」とか、「小柄で俊敏だけどキャッチャーをやってる」とか。それでまた新しいキャラができるんです。そういう具合に、ひとつベースを踏むと次のベースができてくる感じですね。
小田 まさにヤンファミリーというか、ヤン艦隊の面々やラインハルトの部下たち、例えばビッテンフェルトがいてミュラーがいて……みたいなキャラクターの配置は、そうやって作られたんですね。
郡司 田中先生が作られたキャラクターは、主要登場人物だけではなく名前のついている人物全員が非常に魅力的に描かれていて、それが『銀英伝』の魅力のひとつだと思います。
田中 ありがとうございます。偉人の伝記を読んでいても、偉人そのものよりその周りにいる人の方に興味が向かったりします。例えば野口英世という人は国民的英雄として知られていますが、その野口英世にお金を貸して踏み倒された人というのもいます。そういう人の方に「何でお金を貸してやったんだろう」と興味が向かったりするんですね。返してもらえないと分かったときに絶交してしまうのか、それとも見放さないのかといった具合に、一人の人間のひとつの行動がその周囲の人たちにどのような反応を起こすのか。そして、その反応によって周囲の人たちの性格も見えてくる。理屈としては、そういうことになりますね。
郡司 人間には二面性みたいなものが非常に強くあると思っていて、善人か悪人かをきれいに分けることはなかなかできないと思うんです。例えば功を焦ったラングも実は愛妻家で、福祉施設に寄付をしていた。この人物像がすごく好きなんです。そういう人間社会らしさが、『銀英伝』にはすごく詰まっていると思います。小田さんはいかがですか?
小田 人物にまつわる小ネタみたいな部分こそ、『銀英伝』の面白い部分なんじゃないかと思うんです。例えば僕はリュッケがけっこう好きなんです。「僕」って言っちゃってから「小官」って言い直すとか、そういう細かいネタにキャラクター性が表現されている。こういうところが、『銀英伝』のキャラクター描写の面白いところだと、非常に感服しています。
田中 なんだかんだで締切には苦しめられましたが、やっぱりそういう部分を作っていくと楽しいんです。そうやって自分でも楽しめたからこそ、読者の方々にも喜んでいただけたのかなと思っております。
特徴的なセリフ回しやキャラクターの“二つ名”も、読者の心を掴んでいた
小田 セリフも特徴的なものが多いですよね。目の前の人にしゃべっているというより、第三者にしゃべっているような話し方をしていたりとか。先生のあの文体でキャラクターを表現する上で、ひとつ特徴的な点かなと思っております。
田中 演劇にはあまり深入りしませんでしたが、『シラノ・ド・ベルジュラック』などは読んだことがあります。それらから、これは観客に向かって言っているんだろうなとか、そう言いかけて途中でやめて、その後何を言おうとしたのかを観客に想像させたりとか、そういった手法を自然に覚えていきました。
小田 それこそシェイクスピアにちょっと似たような演出の方法、まあ小説なので演出という言い方でいいのか分からないところもありますが、そういうふうに私は感じていました。
田中 シェイクスピアと言われるとあまりにも相手が巨大ですが、ただ、あのときの演劇にはヒーローとヒロインが悲劇的な会話をしている横で道化師役が「ああは言ってるけど」とおどけるというようなことがあるわけです。これは影響があるかもしれません。あと、『ドン・キホーテ』ですね。作中でのドン・キホーテとサンチョ・パンサの対比は、これは文学史上ナンバーワンと言っていいくらいよくできている。最後の最後、ドン・キホーテが死ぬときにサンチョ・パンサが、ドン・キホーテのことをいつの間にか好きになっていて、「旦那様、しっかりしてください」となるという、この辺りは印象に残っています。
小田 一緒にいるうちに感情がそっちに流れていく……みたいな感じですね。
田中 そうですね。ドン・キホーテというのは、ちょっと言い方を選ばずに言えば頭のおかしくなっている人なんですが、実のところ心が純粋すぎて、その純粋さのままに振る舞っているだけだというのを、サンチョ・パンサがだんだん理解するんです。最初は頭から馬鹿にして、お金のためだけについていくんですが。
小田 ちょっと違うかもしれませんが、例えば『銀英伝』でも描写されていた、貴族が間違ったことをしているのにそれに従ってしまう……みたいな状況に近いところがあるんでしょうか?
田中 そうですね。人間は、そういう状況で大きくリアリストとロマンチストに分かれると思います。リアリストというのは、「これはダメだ」と思ったら見放してしまうんですね。一方、ロマンチストはダメでもついていく。『三国志』で言えば、司馬懿(しばい)がリアリストで諸葛亮がロマンチスト。諸葛亮はもう皇帝がダメだと思っていても、先帝との約束を守ってそれに殉じようとする。一方リアリストの司馬懿は、ダメな奴についていったら自分も世の中もダメになると見切って、ある時点から離れていく。そういう例が、小説にも歴史の中にもたくさんあります。それを片っ端から拾い上げて頭の中で組み上げて、文章になって出たものが『銀英伝』でしょうか。
郡司 それが自然にあふれてくるというのがすごいですよね。あとちょっと話題としては違いますが、キャラクターの言い回しもかっこよかったですよね。高校や大学時代に『銀英伝』の言い回しにハマってしまった人も多いと思います。
小田 「蒙(もう)を啓(ひら)いてやらねばならない」とか、ビッテンフェルトの「言やよし」とか。
田中 ビッテンフェルトねえ。あのキャラクターに女性ファンがつくとは思っていなかったんですが、けっこうビッテンフェルトが好きだと言ってくれる方がいるんですよね。
郡司 ビッテンフェルトは純粋なキャラクターですからね。
小田 でも、ちょっと下品な発言もあるからあまり女性には好かれないと思われたんでしょうか?
田中 要するに猪武者ですから。「よし、一丁やったれ」で行くばっかりという。
郡司 「勝利の女神は下着をちらつかせているぞ!」とかですもんね。あと、自分の艦隊を黒く塗装して「シュワルツ・ランツェンレイター(黒色槍騎兵艦隊)」って名乗っているところとか、かっこいいし印象的なキャラクターだと思います。あと、キャラクターに“二つ名”がありますよね。あれがかっこよかったんですよね。「ヘテロクロミア(金銀妖瞳)」のロイエンタールとか。
田中 これもやはり物語から学んだことですが、読者の方の反応を見ていると、やはりそういうところがウケたのかと確認することが何回もありました。やっぱり二つ名はウケるんだなあと。あと人数ですね。「獅子の泉の七元帥」とか。これがすごくウケるんです。『アルスラーン戦記』でも十六翼将というのを出して、「最後の一人は誰なのか」というところでものすごく反響をいただきましたし、そもそも『三国志』でも蜀びいきの人は五虎大将軍とかがお気に入りだったりします。
郡司 日本史でもそういう、人数が結びついたネーミングはよくありますよね。賤ヶ岳の七本槍とか武田二十四将とか、徳川四天王とか。
田中 だから、そちらの方面から考えても、1人で単独行動させるよりはチームを作った方がいいんです。チームを編成すると、どれか心に引っ掛かったキャラクターがいた読者の方は応援してくれる。なるほど、という結果になりましたね。
「民主主義のオルタナティブ」が描かれた『銀英伝』
郡司 ちょっと次の話題に入りますが、『銀英伝』の特徴のひとつが「単純な善悪二元論になっていない」という点だと思います。われわれは民主主義政体の国に住んでいるので、それまで見てきたエンタメ作品では「民主主義が正しくて、専制政治が悪」というステレオタイプが強かった。ですが、『銀英伝』では帝国のラインハルトの方が正しい政治をしていて、同盟側の方が腐敗している。これについて、初めて読んだときにすごくびっくりしたんです。こういった部分はこの作品の大きな魅力かなと思いますが、小田さんはいかがでしょうか?
小田 僕もそこはすごく興味深いと思っていたところです。アリストテレスが「専制政治が続くと暴君が現れて革命が起きて民主政治が発生し、民主政治が続くと腐敗が発生して強いリーダーが現れ、また専制政治に戻る」みたいなことを言っているんですよね。確か『銀英伝』にも「最悪の専制政治から最善の民主政治が生まれることがある」みたいな形で書かれていたと思うんですが。専制政治と民主政治の国家ふたつを同時に並び立たせながら物語を進めることで、その辺の対比がうまく描かれているのだな……と、自分は感じていました。
田中 自分はやっぱり子供のころからひねくれていまして、プロ野球でも巨人じゃなくて南海ホークスを応援したりしていたんですよ。というのも、プロ野球のテレビ中継なんかを見ていると、みんな巨人を応援している。うちの父もそうだったんで、「何で巨人を応援してるの?」って聞くんですが、「いや、それは巨人だからな」としか答えてもらえない。日本シリーズにしてもセ・リーグの代表は巨人という時代でしたから、クラスメイトもみんなセ・リーグ代表の巨人を応援している。何でだと聞いても「決まってるだろう」としか言わない。そこでちょっと不思議になったんですね。巨人1チームだけでは野球もできないし、相手チームがある以上はそのチームのファンだっているはずだろうということで、僕だけ南海を応援していた(笑)。
郡司 なるほど。
田中 そういう「数が多ければ正しい」ということに対する疑問があったのと、あと多数決でものを決めるということに関して、それの嫌なところを中学生のころに見たことがあるんです。吃音のある生徒をわざとクラス代表に選んだりしていたんですね。そういう例があったから、「多数決が正しいとは限らないよな」という疑問は、ずっと頭にあった気がしますね。
小田 それがまさに衆愚政治というか、腐敗している同盟の状況につながるわけですね。
田中 あと気になったのが、そういう状況を作った連中が全然責任を感じていないところですね。「選ばれたんだからやれよ」というばかりで、自分達が投票で誰かを選んだ責任はどうも全然考慮していない。こういうことが続くと堕落するよな……と、中学生のころから思っていました。
郡司 それに関して言えば、大学生で初めて読んだ『銀英伝』で衝撃だったのが、ルドルフがなぜ皇帝になったのか、ヤンが父のタイロンに聞いたときの返答なんです。タイロンはこの疑問に対して「民衆が楽をしたかったから」と答えているんですが、確かにわれわれの民主政治というのは投票で代表を選んでいるものの、その後は全部政治家に投げてしまって、そのことに責任を感じず生きている。これはエンタメですごいことをやっているなと感じました。
田中 投票に行くだけマシで、それにすら行かないですからね。この間の統一地方選でも、投票率20%台というところがいくつもありましたから。それで文句だけはつけるというのは、それはないだろうと思います。
郡司 小田さんはどうですか、この辺りに関して。
小田 本当に、塾をサボってでも読んでおいてよかったと思っています(笑)。
田中 本当にどう先生方にお詫びしたらよいやら分かりませんね(笑)。
郡司 あと、『銀英伝』でもうひとつ印象的だったのが、「後世の歴史家の視点」が入っていることでした。「後世の歴史家はこの人物をこう評している」みたいな。僕はちょうど大学が歴史学部だったんですが、初めに習うのが「現代の価値観で過去の人を裁いてはならない」ということなんです。今は評価の高い人物も、100年後には全く別の評価を下されているかもしれないし、その逆もありうる。そういう俯瞰した視点をエンタメの中に持ち込んでいたことに対して、これはすごいと思ったんですね。
田中 確かに、今の価値観で2000年前の専制国家を否としたりするのは、ちょっと無責任かもしれません。ただ、やっぱり普遍性というものがあって、専制君主を評価する場合でも、むやみに戦争をして一人だけぜいたくをする人よりは、自分は質素に暮らして民を豊かにするという人の方が名君として高く評価されている。それはもう普遍的なものだろうと思うんです。だから一方的な批判については用心するにしても、現代の目から見てもこれは変だろうというところは書いておいた方がいいかと思っています。
小田 例えばヤン・ウェンリーというキャラクターにしても、読んでいる人たちからすれば英雄に見えると思います。が、見方によっては戦争を長引かせたというふうにも見えるわけですよね。
田中 それで後世の歴史家から見たらヤン・ウェンリーはどう評価されるのかということについて言うと、やっぱり表面的なその人の言ったことやったことだけでは評価できないということですよね。やはり一定の時間というのは必要で、それがあるからこそ歴史学というものが存在する意義があると思うんです。
「海賊」と切っても切れない人類史、そして宇宙海賊
郡司 次の話題に入りたいんですが、『銀英伝』ではゴールデンバウム朝の初代皇帝であるルドルフは宇宙海賊の討伐で名声を得たという設定があります。今回のゲームでも宇宙海賊は出てくるそうですが……。
小田 今回、全ユーザーの敵となる勢力として、宇宙海賊を配置しています。やはり星間貿易があるような世界なので、ラインハルトたちの時代にもまだまだ海賊はいるんじゃないかと個人的には思っているんですが、田中先生いかがでしょうか。
田中 それは結構なことだと思います。そもそも海賊というのは、人類史の初めのころから存在していたんですね。陸にいられなくなった連中が海に逃げ出して、徒党を組むことになったわけですが、例えばユリウス・カエサルなんかも海賊退治で名を挙げたわけです。ただ、若いころに海賊の捕虜になっちゃって、カエサルはいいところの生まれだから海賊も身代金を取ろうとするわけです。それでカエサルが海賊に身代金をいくら要求したか聞いたら、額の少なさにカエサル自身が怒るんですよ。「俺の値打ちはそんなもんじゃない、もっと要求しろ」って。海賊がその通りにしたら実際にその通りの金額が支払われて、それで解放されたらすぐに自分の海軍を率いてその海賊をやっつけてしまった。
小田 地中海の海賊は、『銀英伝』の世界の海賊に似ているのかと個人的には思っています。カエサルもそうですし、ポンペイウスも海賊討伐で名を上げていますよね。一方で『銀英伝』ではルドルフもそうですし、ウッド提督も宇宙海賊の討伐を行なっています。『銀英伝』の歴史の中でも、海賊討伐のあった時期というのは古代ローマに近しいものがあるのかな……と思って読んでいました。
田中 そう読んでいただけてありがたいです。実際のところ、歴史上で海のあるところには必ず海賊がいるんです。陸にいられなくなった連中が海に逃げ出して、反抗する拠点として海を利用したという歴史は必ずある。中国史を見てもインド史を見ても、アラビア史でもヨーロッパ史でも、必ずいます。だから海賊を退治するときには各国が連合して戦うという国際法も生まれていますし、あるいは敵の船でも沈みかけているときには乗員を助けなくてはならないという国際法も存在します。何千年の歴史の中で、海賊への対処は呉越同舟で手を組んでやろうという、そういう建前が成立しているんです。だから今でも自衛隊がジブチ(アフリカ北東部にある国)に行ったりしている。そういうことを考えると、宇宙時代になってもちゃんと開発されていないようなところに拠点を作って、航路を通る船を狙うというようなことは必ずあると思います。自分の目では見られないと思いますが(笑)。
ゲーム性を崩すアムリッツァの会戦、そして宇宙戦争とモンゴル軍の関係
郡司 次の話題なんですが、今回のゲームは戦略シミュレーションなので、ゲーム内の軍事バランスが片方に傾いてしまうとゲーム自体が成立しなくなってしまうという問題があります。そんな事態を避けるために「アムリッツァの会戦が存在しない」という設定になっているとのことですが……。
小田 ちょっとこれは原作を改変してしまっていて申し訳ないんですが、早い段階でアムリッツァが行われてしまうと同盟側の勝ち目がなくなってしまうんですね。ゲームでは同盟と帝国に分かれて戦うという内容にしておりますので、アムリッツァのちょっと前の段階からユーザーたちが戦いに参加するという形にして、あの大敗はなかったという前提で開発を進めております。歴史にifはないと言いますが、アムリッツァがなければもうちょっと展開は変わっていたかも……というのは、田中先生的には考えられますか。
田中 それは大いにあります。ファンの方はご存じだと思いますが、『銀英伝』は最初の一巻だけで終わる予定だったんですよ。だから僕としても「最後に思い切り派手な場面を作らないと」と思ってアムリッツァを出したわけです。だけど、3巻まで、次に10巻までと巻数が後から増えまして。最初から10巻だと言われていたら、アムリッツァは5巻くらいでやる流れになっていたはずなんですよ。何で小出しに巻数をふやすかなあ……と、僕としては非常に残念なところだったんですけども。
小田 そうなんですよね。ゲーム化前提で何度も読み返したんですが、何回読んでも「ここでアムリッツァが起きてしまうと、ちょっとゲームとして厳しい……」というふうに思いました。
田中 もうそういうことなんで、これはもうゲームの中で私の恨みを晴らしてください(笑)。
物語を描くために生まれた「航行不能宙域」 という制約
郡司 このアムリッツァにも絡むんですが、『銀英伝』の設定として「航行不能宙域」と航行可能な「回廊」というものが出てきます。これが作中の戦闘描写を面白くしていると思うのですが、この設定はどのように思いつかれたんでしょうか。
田中 宇宙空間での戦闘をどう描こうかと考えたときに参考にしたのが、モンゴル軍の中央アジア征服なんです。ちょっと頭の中に地図を描いてみてほしいんですが、中央アジアの中心にはタクラマカン砂漠があって、北に天山山脈があって、南に崑崙(こんろん)山脈がある。山脈の麓の線に沿って水が湧き出ていて、オアシスがある。そうなるとオアシスに人が集まって都市国家ができるわけですね。そういう土地なので、砂漠のど真ん中にいきなり攻めていってもどうしようもない。だからモンゴル軍の征服は、オアシスの稜線に沿ってひとつの都市を陥落させて、その次の都市へと向かうという形になるわけです。
田中 僕はその中央の砂漠を宇宙空間の航行不能な領域に見立てて、オアシス都市間を結ぶルートが航路になり、同時に戦場になる宙域というふうに見立てたわけです。宇宙空間をどう移動してもいいということになったら、敵味方が出会う確率はものすごく低くなりますからね。
小田 何万という艦隊で戦っても、宇宙空間からすればごく小さいものですからね。
田中 オアシス都市が惑星だとすると、惑星同士を結ぶルートも自然にできて、そうするとさっきおっしゃった海賊の場合でも、そのルートを狙っていけばいいということになる。ただあてもなく宇宙をうろつき回っても、何の獲物もないですから。戦略や戦術というのは地形的な制約があるからこそ生まれるもので、どこをどう攻めてもいいということになったら、両軍が勝手に走り回ってなんにもならなかったということになってしまいます。オアシス都市が並んでいるという条件があれば、Aを落として「次はBを狙うぞ」と宣言しておいてから、脇道に逸れていきなりそれと離れたCを落とす。そしてAとCでBを挟み撃ちにするとか、そういう戦術が出てきます。制約のないところには、戦略も戦術もないんです。
そうやってルートを作ると、そのルートの真ん中あたりに「兵家必争の地」というものが生まれるんです。つまり、長い歴史の中でなぜかそこが何度も大会戦の舞台になっているという、そういう土地が西洋にも東洋にも必ずあるんです。例えば関ヶ原の戦いは有名ですが、その1000年ほど前の壬申の乱のときに、大海人皇子と大友皇子の両軍が同じ関ヶ原付近で激突しています。
また、私が今年の初めに出した中国ものの小説(『残照』祥伝社刊)でアイン・ジャールートの戦いについて書いたんですが、このアイン・ジャールートというのも「兵家必争の地」でして、モンゴル軍の戦いの2000年前にダビデがゴリアテを討ち取った場所なんです。だから、アイン・ジャールートという土地を手に入れると、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三方向を手に入れることができる。だから大会戦になって、ここでモンゴル軍が負けたから彼らはアフリカに進出することができなかった。そういう、歴史を変える戦いの舞台になる場所というのは必ずあるんです。
そういう具合に考えて、広大な航行不能宙域というものをでっちあげたわけですね。
小田 物語の中でそういう戦術を描くために、その宙域を作り上げたという感じですか?
田中 物語と設定は割と並行して考えていましたね。「ここでこう戦わせるためには、この航行不能宙域が必要だな」とか。その辺の前後はけっこう曖昧ですが。
郡司 ゲームの中にも航行不能宙域は出てきて、戦術に作用するそうですね。
小田 ひとつひとつのマップで戦うという感じなんですが、そのマップにはある程度航行できないところを用意していまして、「ここでぶつかるよね」というポイントをある程度制御して、この制約をゲームの中で戦術として使えるようにしようと思っています。
田中 それはもう、私も本当に願ってもないところですね。よろしくお願いいたします。
郡司 『銀英伝』には要塞も出てきますが、これもやっぱり現実にある砦の延長としてイメージされているんでしょうか?
田中 ルートができると、敵はこっちからやってくるだろうというのがある程度見えるわけです。そのルートの中でこの辺りが一番大事だなと先に考えついた方が、そこを確保するために要塞を作る。
小田 春秋戦国時代の函谷関みたいな感じのイメージでしょうか。
田中 映像で見たことがありますが、函谷関はすごいですね。「これは通れないな」という迫力があります。あと、中国史でいうと清が明を滅ぼしたときに、山海関という場所がキーになっているんですね。ここは万里の長城の東の端っこですが、そこを通らないと中国国内に進撃できない。だから必死で清も攻め立てるけど、どうしても落ちない。その間は明も国を保てたんですが、裏切り者によって関を明け渡すことになってしまって、清が中国本土に流れ込んで明が滅びた……という歴史があります。あとは、中国のちょうど中央あたりに襄陽(じょうよう)という都市があります。ここは北の勢力が南を征服するためには必ず通らなくてはならない場所なんです。
郡司 襄陽は先生の歴史小説『海嘯』に出てきましたよね。確か二重都市だったような。
田中 そうですね。で、そうすると守る南側も絶対ここを攻められることが分かっているから、そこに大要塞を築く。例えばモンゴルはここを征服したわけですが、戦力を襄陽に集中させても陥落させるまでに5年かかっているんです。でも、5年かかろうが10年かかろうが、ここを落とさないことには絶対に相手を滅ぼせないということが分かっているんですね。だから犠牲や時間はどうでもいいと。だからやっぱりそういったルートや要塞という要素で制約を設けないと、戦いというのは作ることができない。どの民族も満足できるような広大で豊かな土地があれば、そもそも土地を巡って戦争は起こらないわけですけども。
「戦略」と「戦術」の違いは、みんな『銀英伝』で学んだ
郡司 これは最後にお聞きしたいことなんですが、『銀英伝』が他のエンタメと大きく違うところが、戦略と戦術という概念を大きく区別している点だと思います。多分小田さんも僕も同じだと思いますが、昔読んだ戦記物とかは作戦の妙を競うものであって、少数で多数を破ることがすごいことだというイメージがあった。でも、『銀英伝』ではそもそもそれは奇術であって、大軍をそろえてその大軍を支える経済を養うことこそがそもそもの勝利だとはっきり書かれています。これ、小田さんは最初に読まれたときどう思いましたか?
小田 みんな、戦術で勝つとかっこよく感じちゃうんですよね。なんですが、その裏側にある戦略こそが重要だろうという、そこに着目されていたのが本当に面白かった。「そうなのか!」という驚きを感じました。
田中 中学生のころとかに第二次大戦の将軍列伝みたいなものを読んでいたんですが、そこには「ドイツ軍のロンメル元帥は戦術家である。マンシュタイン元帥は戦略家である」と書いてあって、それはどう違うんだろうと思ったことがあるんです。それを試験前だというのに調べたりしていたんですが(笑)。例えば戦略目標があって、それを実現させるために戦術があるという。そういう状況なんだなと思ったんです。
田中 すると、源義経は戦術家であって戦略家ではない。その場その場での戦闘では勝つけれど、それが何を意味する戦闘なのかは分かっていないんですね。とにかく平家が憎いから、目の前の平家をたたく。あるいは、真田幸村なんかは戦略家として評価されているけれど、実は「家康の首を取る、そうすれば天下は覆せる」という戦略目標があって、そのために戦っている。それならばこちらは戦略家と言ってもいいかもしれない。その後そういった歴史書を読むたびに、自分の頭の中で勝手に「こいつは戦術家としては90点だけど、戦略家としては20点」とか、偉そうに点をつけていました(笑)。
小田 ゲームを作る上で『銀英伝』を何度も読み返したんですが、この中に書かれている戦略的な部分をそのままゲームに取り入れると、言ってしまえば「将棋をやるときにコマの数を相手の倍用意できれば、そりゃ勝てるよね」ということになってしまうんです。それだとゲームにならないので、ある程度制約を用意して「ゲームだからコマの数は一緒だよ」「でもコマの強さはひとつひとつ違うかもね」というレベルの戦略性に落とし込んでいるんです。
田中 戦略でゲームをやっても面白くないですからね(笑)。
原作の良さを生かしつつ、「これが『銀英伝』の世界だ」と言えるゲームへ
郡司 小田さん、最後に、現在どのようなゲームを目指して製作しているかをお聞かせいただけますか。
小田 やはり、『銀英伝』を読んだ読者が一度は考えるのは、「自分が艦隊を指揮してこの戦場で戦うなら、一体どうするだろう」ということだと思うんです。なので、それを『銀英伝』の世界の中で実現することを目指しています。先ほど田中先生には実際のゲームの映像を見ていただきましたが、今の状態よりももっとパワーアップさせて、「これが『銀英伝』の世界だ、これが艦隊戦だ」と思っていただけるようなゲームを作りたいと思っております。
郡司 田中先生、最後に一言、小田さんへ何か激励の言葉をいただけますか。
田中 もう、原作のことはあまり考えず、どんどん作っていただければと思います。というのも、原作者としては「原作でできなかったことをゲームで実現してほしい」と思っているんです。自分が書いたものをそのまま別のジャンルに持っていって再現されても、原作者としては別に面白くないですから。なので、もうどんどんやってください。やはり原作者としては「グラウンドを作るまではやったから、その中で選手たちにいいプレーをしてくれればそれが一番うれしい」という気持ちなんです。だから、まあしょうもない連中ばっかり出てくる作品ですが、よろしくお願いいたします。
田中氏の歴史に対する造詣の深さ、そして権力と民主主義に対する考えが伺える内容となった今回の対談、いかがだっただろうか。田中氏の膨大な歴史に対する知識、そしてそれをベストのタイミングで活かすアイデアがあったからこそ、『銀英伝』は傑作たりえたことがよく理解できたように思う。
そんな『銀英伝』の世界が、オンラインゲームという媒体ではどのように描かれているのだろうか? 幾多の『銀英伝』ゲームとはまた違ったゲーム体験が味わえることを楽しみにしたい。
ますます期待感が高まってくる「ノイサガ」の最新情報は、公式サイトおよび公式Xアカウント(@Ginei_NeueSaga)でチェックできる。
【編集部より】 田中芳樹先生直筆のサイン色紙を1名様にプレゼント
今回のインタビューの収録に際して特別に、ねとらぼ読者に向けて田中芳樹先生から直筆のサイン色紙を頂きました。 こちらを計1名様へプレゼントする企画も合わせて実施いたします。
応募にはX(Twitter)の公開アカウントが必要です。下記の応募要項をご覧いただき、奮ってご応募ください。
キャンペーン概要
【応募期間】 2023年12月27日12時00分~2024年1月14日23時59分
【応募条件】 X(Twitter)で「@itm_nlab」をフォロー&以下の投稿をRPいただいた方
【当選発表】 当選された方には配送先詳細をお聞きするために、「@itm_nlab」よりDMをお送りします。配送先詳細をご記入のうえご返信いただいた方に、プレゼントをお送りします。
プレゼント内容
田中芳樹先生直筆のサイン色紙を1名様にプレゼント
該当ツイートへ、「インタビュー動画で印象的だったエピソード」をリプライや引用RPすると、当選確率アップの可能性……!?
当選無効となる場合
当選DMへのご返信期限は、送信から3日以内といたします。4日目以降にご返信いただいても、当選は無効となります。また当選時にフォローが解除されていたり、ユーザーネームが変更されているなどでDMが送信できない場合も、当選権利が失効となります。
応募上の諸注意
アカウントの投稿を必ず「公開」にした状態でご参加ください。賞品のお届け先は日本国内に限らせていただきます。また、発送は2024年2月ごろを予定しております。お預かりした個人情報は、アイティメディア株式会社の 「プライバシーポリシー」に基づいて厳重にお取り扱いいたします。
本キャンペーンは株式会社Aimingによる提供です。
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提供:株式会社Aiming
アイティメディア営業企画/制作:ねとらぼ編集部/掲載内容有効期限:2024年1月14日
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