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喪女が国境を越えた 4chan民が愛する漫画「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」40万部ヒット(1/3 ページ)

無料公開のWeb漫画が国境を超えて話題になっている。喪女が主人公の「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」だ。人気は日本に逆輸入。累計40万部のヒットとなったそのわけを作者に聞いてみた。

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 「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(以下、私モテ)――ドキッとするタイトルの漫画に今、熱い視線が注がれている。2人組の漫画家「谷川ニコ」が描くモテない女子高生の日常が、なぜかまず海外の画像掲示板「4chan」で話題となり、人気を逆輸入する形で日本でも支持を得て、単行本は現在累計40万部のヒットとなっている。連載先は、2008年にスタートしたWebマガジン「ガンガンONLINE」で、無料で読むことができる。

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 人気の理由は、その尖った内容にある。主人公の黒木智子はいわゆる“非コミュ”の喪女。JK(女子高生)になったらモテると考えていたが、入学して2カ月経っても告白されるどころか誰とも会話すらできていない。そんな日常に対して「この学校テロリストに占拠されたりしないかなー」と妄想するなど、痛々しい一面を持つ。一方、教師に挨拶したり、コンビニで会計を済ませるだけで「やべ〜イケメンと普通に会話しちゃった」とキュンとする仕草を見せる。彼女の痛い行動に潜む可愛さのギャップは多くの読者を惹きつけ、ファンからは“もこっち”の愛称で慕われている。

 一体、私モテはどのように生まれたのか、そもそもなぜ“喪女”をテーマにしたのか、海外でもヒットした理由は何なのかなどを、谷川ニコの2人と編集担当の木内さんに聞いてみた。

就職が決まらなかったから漫画家に

――漫画家を目指した理由は(※谷川ニコは、原作担当の男性と作画担当の女性による2人組)。

原作 22、3歳の頃、就職が決まらなかったんです。やることがないから漫画でも描いたら、もしかしたら食べていけるかなという感じでした。普通に仕事をするのは大変だなと思って、漫画なら家で作業できるなくらいの気持ちで。2人とも1度も漫画を描いたことはなかったのですが……。

――そんな経緯とはびっくりです。あらためて2人の出会いは。

原作 20歳の頃、アルバイト先が一緒でした。10年前になります。

――コンビで漫画を書こうとどちらから声をかけたのですか。

原作 僕です。

――2人でやっていて良かったことは。

原作 色々話し合って決められることです。やはり作画は大変なので、彼女(作画担当)が絵を描けることが大きいです。

作画 分業でできるところと、自分では思いもよらない話が出てくるところです。1人だと好きなことしかやらないのですが、他人は簡単に自分を飛び越えてくれる瞬間があって、そういう経験ができるのは良いなと思っています。

――作業するときは2人でどのようにやり取りしているのですか。

原作 電話とFAXとメールで連絡を取りながらそれぞれで作業を進めています。アシスタントさんには、仕事場に直接来てもらっています。

作画 今は仕事部屋があるんですが、以前は、カラオケボックスや漫画喫茶などで作業をしていました。自分はカラオケに行くような人間ではないのに(笑)。静かな漫画喫茶ではトーンを削ってる音を立ててしまって……いろいろ迷惑をかけましたね。

谷川ニコは「尖ってた」

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著者近影

――漫画を描き始めた頃のことを教えてください。

原作 8ページの漫画を描いていたら、5カ月くらいかかっちゃって……。こんなペースでは漫画賞に投稿できないなと思っていたとき、「月刊少年ガンガン」の「GGグランプリ」なら2ページでいけることに気が付きました(※「GGグランプリ」は、2ページで投稿できるギャグマンガ賞。5回連続で勝ち抜けば読み切り掲載権を獲得できる)

作画 今は2人組の漫画家も多くなったのですが、当時は漫画誌の編集部に行くと、2人だからという理由で断られることもありました。高いレベルで描けるならまだしも、(当時の自分たちのように)低レベルの作品だと、これを分担してやる必要があるのか?――という感じで、持ち込んでも誰も使ってくれませんでした。だから1人の名前を使って、ちょっとだましたりして……(笑)

――木内さんとの出会いも「GGグランプリ」の頃でしょうか。

編集 そうです。谷川ニコが「GGグランプリ」に投稿してきた時は、2人組であることを知りませんでした。あれ何回くらい勝ち抜いたんだっけ?

2人 掲載されたのが1度で1回も勝ち抜いてません。

作画 25歳くらいの時ですね。

編集 その後、「月刊少年ガンガン」の「月例マンガ賞 新G1ガンガン杯」に投稿して、評価が高かったので読み切り掲載という形に繋がったんです。

――それは何ページくらいですか。

作画 28ページです。初めて長編を描かせてくれたのが木内さんだったんです。それまで短編しか描いたことないのに……。

――長編に挑戦させた理由は何ですか。

編集 尖っていましたし、うがった見方をするギャグセンスがあったので、やってみたら面白いのではないかと思いました。

原作 それからその後に「フレッシュガンガン」にも載りましたね。

編集 「ガンガンPOWERED」の勝ち抜き投稿企画「4ページで4コママンガをやってみないか?」でも勝ち抜いて読み切りが載ったよね。

――そうなんですね。初期の作品を短篇集にまとめる予定はあるんですか。

2人 他社の作品もあるのでわからないです(笑)

――2008年には「ガンガンONLINE」で、谷川ニコにとって初めての連載作品「ちょく!」がスタートしました。思い出を聞かせてください。

原作 最初の方は描いていて楽しかったです。もちろん不安もありました。

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ちょく!(ガンガンONLINEより)

――終盤はどうでしたか。

原作 終わりが見えた時は大変でした……。

――終わりを告げたのは編集部の方から?

編集 そうです。そろそろ、終わりましょうと(笑)

2人 (連載は)1年半くらいでしたね。

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