沖縄から東京まで片道50時間! フェリーの日本最長航路「飛龍21」に乗ってみた(2/2 ページ)
沖縄−東京間を飛行機で1時間半・1万円以下で移動できる時代に、そののんびりとした乗り物はあった。
さっそく暇期突入、客室の様子
午前10時に港を出てから4時間、船内をめぐったりレストランでカツカレーを食べたりしたが、もう飽きた。外はあいにくの雨模様。思う存分楽しむつもりだった海景色がいまいち冴えない。どうすんだこれ。
実はぼくは、2010年の夏も飛龍21を利用したことがあった。そのときは東京の有明港から鹿児島の志布志港までで、距離も日程も半分。なんといっても繁忙期なので室内やデッキに人がいて、話し相手には困らなかった。あのときは知ってる音楽フェスのTシャツを着た男の子に話しかけて盛り上がり、その子のおばあちゃんからアイスクリームをごちそうになるなど楽しい時間がいっぱいあった。
今回の利用客室も、2段ベッドが2つ置かれた2等寝台。ただし宿泊客は3日間ともぼく1人ということになっていた。室内のトイレ・シャワーが気兼ねなく使えるのはありがたい。一方で、たまたま同室になった人と入浴の時間を相談したりとか、そういう絡み合いが今となっては恋しい。
メインフロアに出てもなかなか話しかけられる人がいない。ほかのお客さんはほとんど部屋にこもるか、1〜2人がフロアのイスで本を熟読しているといった感じだ。
こんなときはスマホをいじりだすのだが、電波は寄港地以外は基本的に圏外だ。この「フェリー暇だよ!!!」という想いをツイートできないのは、個人的にストレスを少し感じてしまう。客室にはテレビ用のコンセント差込口が1口あるだけだったので、充電もできない。アプリなども控えないと……モバイルバッテリー買っておけばよかった。
船の揺れも格段ひどくないので、フロアのイスで本を読むことにした。もし飛行機で帰ってたら自宅で読めていたのかな、という考えはなるべく払いのけながら。窓からは水平線が大雨でぼやけて見えた。
港の喜び、そして村社会化するフェリー
1日目午後6時半ごろ、ようやく1つ目の寄港地・奄美大島の名瀬港に到着。変わらぬ海景色に飽きまくっていたところに島、しかも民家が立ち並ぶなんて観察しがいがありすぎ!
さらにはその1時間前から空が晴れ渡り、夕陽が海を茜色に染めるのを背にしての入港となった。退屈を忘れ、奄美大島と夕陽にカメラのシャッターを切り続ける。下船後にこのとりとめのない写真を見返しながら、そんなに刺激に飢えていたのか、オレよ……と、自分に同情することになるとはまだ知らない。
寄港が船旅のハイライトの1つであるのはほかの乗客も変わらないようだ。
デッキには3〜4人が出てきて、手すりに寄りかかって波止場を見下ろす。ぼくと同じ20代はおらず、ほとんどが60歳前後の男性だった。
寄港中とはいえ船から降りることはできない。ぼくも隣で寄りかかり、なんとなくぽつ、ぽつ、と会話し始め、残り2日をともに過ごす相手のことを知っていく。
乗客が10人前後となると、フェリーは“村社会”化するのかもしれない。どういうことかというと、あまりにもすることがないおじさんたちが、ほかにどんなお客さんが乗降するのか観察しすぎてしまうのだ。
おじさんたちが乗客の状況を異常に把握していると感じたのは、翌朝7時ごろに本島の志布志港にも寄港し、あとは東京を目指すだけとなってからだった。
初日に会話したおじさんとまた遭遇すると、「志布志で1人、バイクで乗ってきた人がいたよ」「あの親子は突然船内に現れたから、車で乗り込んできたんだろう」「あの人? 奄美で降りていったよ」と、現在どんな乗客いるのかをほとんど掴んでいた。
ぼくもぼくで、「あー、あの人バイクで日本周っているっぽいですよ」と情報提供したりして、互いに船の状況に詳しくなっていく。暇なのだ。大体お互いの素性を知ってしまうと、こういう共通の話題を語りがちになっていく。この状況が、あまりにも話題に乏しいため、近所に誰が引っ越してきたかなどにいちいち注目する村社会にそっくりだと思った。
どうしてぼくらは長距離フェリーに乗るのか
2日目は午後からずっと雨だったので、読書と惰眠を繰り返しながら、レストランやロビーでたまーに会う乗客との会話を楽しんだ。その都度、どうして彼らはこんなに非効率的な乗り物を利用するのかを探っていた。
計6人と話して分かったことは、ほとんどが「仕方がない」からだった。飛行機に乗れない、または車かバイクで移動しなくてはならないといった、フェリーで移動しなくてはならない事情を抱えていた。
親友の訃報を知り、20年ぶりに地元の沖縄へ帰ったという62歳男性も、飛行機が苦手だった。坂本九さんも亡くなった日本航空123便墜落事故の報道を見て以来、乗るのが怖くなったのだという。
船の上は退屈で、前回東京に来るときは台風で大変だったと言いながらも、笑顔を見せる。まだ100人くらいの利用客が大広間で雑魚寝していたような時代で、波が荒れすぎて90人ほどが口から漏らす大惨事だったらしい。痛快すぎてぼくも笑ってしまった。
志布志港で乗ってきた70代の男性は、定期的に鹿児島から全国各地へアメリカンバイクで走り周るのを、定年退職後の趣味としてきた。今回有明港から富士五合目まで走れば、とうとう全47都道府県をバイクで制覇したことになる、とニヤリ。バイク旅にフェリーは欠かせず、「フェリーはあくまで移動。長い時間の乗船は暇だよね」と眉間にしわを寄せた。
数ある交通手段の中で、2泊3日船の上で過ごす時空間を求めて、この日本最長航路を選ぶ人はほぼいなかった。仕方ないと割りきった上で、この時空間を楽しむか退屈がるかは、人それぞれのようだけど。
1人だけ、飛行機も船も利用する上でフェリーの退屈さが好きだという、沖縄出身の62歳男性がいた。ぼーっと海を眺め、たまに飛び上がる小魚を見つけたり、白波の違いを探したりするのが好き。のんびり本を読むのが好き。「何もないところか楽しみを見出すのが人生だと思う」そうだ。
なんて達観した人生を送っているんだとぼくも感動。ただし、いよいよ有明港に着くときに感想をたずねたら、「飽きた」と顔をしかめていた。さすがにぼくも「え!?」と声を出してしまい、理想すらもぶち壊すフェリーの暇さに驚く。
到着、長距離フェリーは果たして必要か
東京スカイツリーの影を捉えて、東京ビッグサイトとフジテレビ本社の姿が徐々に大きくなる。3日目の朝9時30分ごろ、約47時間を経て、飛龍21はようやく有明港に到着しようとしていた。
やっと陸に上がれるのか……。正直この日本最長航路、めちゃくちゃ退屈に苦しむかと思ったけどそうでもなかった。幸いにも船の揺れは心地よい程度で、本やマンガを読めば時間は潰せる。疲れてきたらベッドで眠ればいい。“日本最長の深夜バス”で15時間も座席にいた池谷記者のことを考えたら、「快適すぎてさーせんwww」といったところだ。
ただしその快適性と、飛行機に替えた場合に浮く約45時間と約1万7000円を天秤にかけると、後者を選ぶ人がほとんどだろう。ほかの乗客のように、車やバイクを移動させないといけないなどよっぽどの事情がなければ、多くの人がほかの安くて早い交通手段を選んでしまうはず。それはオフシーズンのこの乗客の少なさが物語っている。
それでもなお、外階段を降りて2日ぶりの地上に足をおろした瞬間、ほっとすると同時に切なくなった。スマホがサクサクとニュース記事を表示するのを見て、日常の喜びをかみしめながらも「自分ってせわしいな」と感じた。
この飛龍21ののんびりとした時空間は愛さずにいられない。だらだらと気になっていた本を読み、普段は交わらない人と話し、今までの自分になかった考え方を知る――日常の喧騒さに嫌気が差したときは、そんな時空間に2万7000円を出す価値は大いにあるはずだ。
黒木貴啓(@abbey_road9696):フリーライター(2012年〜)。1988年生まれ、鹿児島県出身。Web媒体を中心に日本の奇祭や風習、マンガ関連の記事を執筆。マンガコミュニティユニット「マンガナイト」メンバー。関心分野は民族仮面/日本のダンス文化/ロックンロール/志村正彦。
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