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寒くなったらやっぱりおでん! 実は、大衆文化を体現したオモシロ料理なんです

おでんが今のようなかたちになるまでには、歴史をまたいでいくつもの変遷がありました。

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 本格的な冬も間近ですね。日に日に冷え込む季節になると、食べたくなるのがおでん。かつてはおでん屋台が、今ではコンビニのレジ横で煮込まれて、そしてスーパーには各種おでん種が。

 老若男女・大人も子供もみんな大好き。愛されてますね。でも、なじみ深くて身近なこのおでん、和食ばかりか、世界的にも類似する料理が見当たらない、特異な面白料理。そんなおでんが今のようなかたちになるまでには、歴史をまたいでいくつもの変遷がありました。

 そしてそこから見えてくるのは、現代日本の大衆文化と通呈する不思議な符合です。

「田楽舞に似たその姿。そなたの名は今より『田楽』ぞ」

 時は室町時代、すりつぶした味噌を豆腐に塗り串焼きにした料理が発案されました。その頃、盛んだった田楽。歌を唄い、楽器を奏し、まい踊って田の豊穣を祈念しました。その中の演目に一本の竿(鷺足)に乗って演じる曲芸舞「一本高足」がありました。この舞の姿に似ていると、この味噌つげ豆腐の串焼きは「田楽」と名づけられました。これこそがおでんのルーツです。

 「田楽」は、やがて江戸時代に入ると、外食文化の興隆とともに、屋台で豆腐だけではなくこんにゃくやサトイモ、ナス、魚などもくしに刺し、ゆず味噌や木の芽味噌をつけて石で焼いて提供されるようになりました。魚の田楽は「ぎょでん」ともいわれていたそうです。何だか魚に詳しい今の時代の某タレントさんがつけそうな名前ですが、まぎれもなく江戸時代の話。中でもこんにゃく田楽は女性に人気が高く、田楽の屋台が集中していた南千住の真崎神社付近には、今で言う渋谷のように、若者が若い娘を連れてこんにゃく田楽を食べさせる、なんていうデートもはやったようです。こうして、田楽にはこんにゃくと野菜、魚という新たな仲間が加わりました。

 やがて江戸も時代が下ると、焼き田楽ではなく、煮込み田楽が登場します。気の短い江戸っ子は注文して焼きあがるのを待つことがまだるっこしい。そこであらかじめ煮込んでさっと出せるようにしたということですが、煮込み田楽が普及した理由は何よりも、近郊の下総の野田や流山、銚子で香りのよい濃い口醤油と白みりんが開発されたことにより、これに鰹節のだしをくわえた関東独自のだし汁が完成したことにあります。またこのとき、さめのすり身で作ったはんぺんも加わり、これをからしをつけて燗酒で食べさせるスタイルに。

 田楽ははんぺんという練り物を加えて、煮込み田楽という第二シリーズに突入しました。

さつま揚げ? 天ぷら? 新たなパワーが加わる

 さて、この煮込み田楽、当初は鉄鍋で汁も漬け汁という程度でした。それが明治の中ごろ、本郷でひたひたの汁をたたえた鍋物の「改良おでん」として人気を博すようになりました。「おでん」というのは江戸期に将軍家に仕えた女官の「女房言葉」ですが、幕藩体制が崩壊して後、庶民にこの言葉が降りてきてひろがったわけです。この人気が関西にも伝わり、いわゆる田楽と区別して「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれるようになります。もともと関西で生まれた田楽がまったく違う形で関西に逆輸入されたわけですね。関西では関東のようなかつおだしではなく、昆布ダシ、薄口醤油で薄めの色に仕上げ、煮込む具にも蛸や鯨肉、牛筋などを加えて、屋台ではなく座敷でゆっくり食べる形になり、現代の「おでん」の基本形ができあがりました。煮込み田楽は「おでん」となり、さらに仲間が増え、スケールも大きく。

 そして大正。関東大震災がおき、関西から炊き出しの職人たちが駆けつけて被災者に関西風改良型「関東煮」を提供します。さつま揚げ類がこのときにおでんに加わります。「すり身を油で揚げたものをてんぷらという」という文言が「海鰻(はむ)百珍」という江戸時代の書物に書かれていたために、関西ではさつま揚げを天ぷらと言っていました。そのために、今でもおでんに入っているさつま揚げ類は「○○天」という呼び名なのです。

 はんぺんにはない油分がさつま揚げから溶け出して、汁の味はまろやかさとコクを増し、ますますパンチが出てにぎやかになってきました。

全国展開・地方ダネ登場

 関東に戻ってきたおでんは、関西風の薄色の仕上げ色も踏襲・包含しながら昆布とかつおだしのあわせだしに進化、さらには近郊の漁村でよく取れるいわしつみれ、それにちくわぶ、戦後にはゆで卵やソーセージなどの洋風のネタを加えて現代のおでんへとつながってゆきます。

 関東と関西の行き来の間には、中間地点の愛知や静岡などでそれぞれ独特のアレンジを加えた地域おでんが生み出され、さらに関東から地方へと伝わったおでんがそれぞれの地域での独自の味付けやタネを加えてソウルフードとして発展していきます。北海道や東北では山菜やタラの精巣や貝類、信州では蕎麦、九州沖縄では馬肉や豚肉、といった具合に何でもありのバラエティ。

 でも、こうして百を優に越えるだろうタネがありながら、お気づきでしょうか。おでんではほかの鍋ではありえないことが成立しています。しゃぶしゃぶやすき焼きなら肉が主役で他は脇役。牡蠣鍋なら牡蠣、鮟鱇鍋ならアンコウ、寄せ鍋だっていくつかのメインキャラと脇役という分け方ができます。しばしば「洋風おでん」と紹介されるポトフも同様。もともとブイヨンを取るためのものだったということはともかく、ポトフの具にも主役と脇役がありますよね。

 ところが、おでんはすべてのタネ、つまりメンバーが同等に存在して、主役になるのです。たくさんあるメンバーの中から、思い思いに好きなタネを選ぶ。人気のあるなしは当然ありますが、それは世代によっても地方によってもちがってくる。すき焼きで牛肉が主役でなくなることはありませんが、おでんではどのタネもナンバーワンになる可能性があるのです。

増殖し続けるメンバー、推しメンを語るファン、人気投票……おでんは国民的アイドルグループの原型

 その証拠に、「おでんで好きなタネは?」というアンケートや論争が、何度となく繰り返され、ランキングが作られたりしています。これは人気投票選挙を繰り返す人気アイドルグループのようではないですか。地方に行くと、地方独自のメンバーがいていくつものバリエーションがあるのも同じ。そして自分の好きなタネのよさを熱く語るおでんファンたち。それはアイドルグループのファンとそっくりです。

 さらに、おでんの歴史を見ればわかるとおり、最初のたった一人の豆腐というルーツから次々と新たなメンバーが参加し、増えるたびに新たなシリーズへと変貌を遂げて大所帯になっていくのは、戦後生まれのほとんどの世代が慣れ親しんできたウルトラマンや仮面ライダー、戦隊もの、あるいは美少女戦士ものと同じ展開です。

 増えれば増えるほど楽しくて、ずらりと並んだメンバーの中から、思い入れのあるキャラを選ぶ。もちろんいくつ選んでも自由。そんな他の料理や鍋物にはなかなかないうきうきする楽しさこそ、おでんがこれほど愛されている理由なのではないでしょうか。

 今や日本の漫画やアニメなどの「オタク系」サブカルチャーは世界中で人気です。その大衆文化を魅力を生み出した日本人の感性や発想力は、かたやおでんという料理を創造したのではないでしょうか。オタクサブカルの聖地・秋葉原で長くひっそりと「おでん缶」なる変わり缶詰が自販機で売られていたことも、決して偶然ではないように思えます。ちょっと節操ないけど、そこがユーモラスであたたかく楽しいおでん。これからもまた新しいメンバーがくわわっていくでしょう。あなたの「推しメン」は何ですか?

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