「原作を守りつつ頭悪いことを」 “アメイジング翻案家”架神恭介が語る、「こころ オブ・ザ・デッド」への義務感(3/3 ページ)
単行本第1巻発売を記念したインタビュー。
架神恭介と行く、夏目漱石ゆかりの地
ここからは、架神さんと行った夏目漱石ゆかりの地散策の様子をお届けする。最初に訪れたのは東西線早稲田駅近くにある「夏目漱石誕生之地碑」。
読んで字の如く、漱石誕生の地を記念して建てられたものだが、やよい軒の店先にひっそりとそびえており、ちょっと寂しげだ。
続いて、そこから南へ伸びる「夏目坂」へ。漱石の著書「硝子戸の中」によると、この辺りの名主だった漱石の父・夏目小兵衛直克が自らの姓を名付けたものだそう。最初は定着しなかったが、後に地図に載るようになった。現在は漱石の功績を称えて新宿区が標識や記念碑などを建てており、どちらかというと夏目漱石の坂となっている。
架神さんは早稲田大学時代にクラスコンパで一度だけこの辺りを歩いたそうで、「いやあ、運命を感じますね」とのこと。
続いて訪れたのは、そこから徒歩10分ほどのところにある「漱石公園」。ここは漱石が亡くなるまでの10年間を過ごし、芥川龍之介や寺田寅彦らが訪れ、かの有名な「木曜会」も開かれた「漱石山房」があった場所で、現在は漱石にとって初の本格的な記念施設となる「漱石山房記念館」が建設中(2017年9月開館予定)。ここには漱石の胸像と猫塚、そして道草庵と名付けられた小さな資料館がある(2019年3月には工事のため全面休園となる)。「キレイな場所ですねえ、運命を感じます」と架神さん。
そして、架神さんにとって十数年ぶりとなる早稲田大学へ。漱石が前身となった東京専門学校で英語の講師を務めていたことがあり、そのためここもゆかりの地となっている。架神さん、敷地内を見回し「キャンパスがキレイになっててむかつきますね。ハイソ面しやがって」とぼそり。
陽が傾き始めたこともあり、最終目的地の雑司ヶ谷霊園へ。ここには漱石の他に、永井荷風や小泉八雲、竹久夢二ら名だたる作家たちの墓がある。ご遺族への許可申請が間に合わず、残念ながら漱石の墓は撮影できなかったが、架神さんと大藤編集は墓石を見て念仏をつぶやきながら、「まるで異世界の扉みたい」「なにかここから出てきそう」と漏らしていた。その言葉通り、巨大な扉めいた形をしていた。
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