遠藤雅伸に聞く:ゲームデザイナーとなるには、ゲームの面白さを知るには、どんな本を読めばいいのか?(4/5 ページ)
ゲームデザイナー&研究者・遠藤雅伸インタビュー。
研究者になったきっかけ、ゲームの面白さを研究すること
―― 今度は学術団体DiGRA Japanに参加されるに至ったいきさつをお伺いしたいのですが。
遠藤 2006年にDiGRA Japanが作られた。2007年の国際大会を目指していたんですね。そのときの私はバリバリの経営人だったんですが、東京大学情報学環のコンテンツ系授業を受け持っていて、そこへ「産業界からの意見も欲しい」という馬場章先生(元東京大学大学院情報学環教授)からのお声がかりで2007年理事になりました。
学会に入って最初の仕事は、研究委員長になったことです。でも「研究って何ですか。私は知らないんですが」と申し上げたところ「かえってその方がいい」とのお答えでしたので、受けることになりました。
やりたいようにやっていい、方向性が違ってきたら馬場先生が修正する、という方針でした。
―― 2007年の時点から研究者・教育者という意識を持たれたのでしょうか?
遠藤 いや、そのころは研究者・教育者ではなかったですね。たまたま教育をしていた。
そもそも当時は学術団体が何なのかよく分からなかった。そんな中で研究委員長をお引き受けして、やがて「学会とは研究発表をする場である」ことが分かってきたので、それでは発表の大会を充実させていきましょう、自分自身でも発表しましょう、という方針を取るようになりました。DiGRA Japanに入っていなければ研究者に至る道が見えていなかったでしょうね。
馬場先生と関わりを持つようになるのも、東大の情報学環のプログラムに関わらせていただいたおかげです。また今は退官されている原島博先生(現・東京大学名誉教授)のお考えにも感化されています。
原島先生の考えというのは「工学はテクノロジーを作り出すが、それは人に使われて文化となって始めて、テクノロジーとして生きてくる。工学が文化を作る」というものでした。「ゲームデザインとはそもそもソフトウェア工学である。」という認識に至ったのも、この考えのおかげです。だから今は工学的アプローチでもってゲームデザインを考えている。
そこでうちの研究室では、検証の結果・行動を調べてみた結果こうだったからこうする、そうした工学的アプローチを採用しています。逆に雰囲気が良さそうだとかフワッとしたことは言わせない。
―― それで遠藤先生は、ご自身のブログでも活動を記載されていらっしゃるように、学術調査をかなり重視されている……?
遠藤 研究者にできて他の人にできないことは何か、といえばそれは学術調査が圧倒的にパワーを持っているんです。自身でも熱心にやるようにしていますし、学生にも学部の3年〜4年目で調査を行うよう指導しています。
2016年のDiGRA Japanにおける研究大会で指摘されたような「この調査は遠藤さんじゃなきゃできないんじゃないですか?」的な批判に対しては、なるほどTwitterでちょっと声を出しただけで1000人くらいから回答が集まってくれることは私の特徴であるけれど、通常の調査で1000人の回答を得るのにどれだけの費用を要するのかを考えれば、ズルいと言われようともできるうちにできることをやっているだけです。
SNSを使った調査なら、ネット上に告知するだけで個人情報も取らずに情報収集できるので、いろいろ答えてくれる人も多い。
―― 別の質問に移ります。面白いゲームを作るには何を学べばいいのでしょうか。学術調査に関する本も学生に薦めていますか?
遠藤 学術調査のことも一応言ってますが、むしろ大事なのは「面白さは時代によって変化する」という点です。
永続的・普遍的な面白さを求めるのはアメリカの研究者が好むところですが、日本のクリエイターは絶対そこから外れた作品を出してくる。外れるものを作ってこそクリエイターだと思うんです。
このように学術と創造性とは全く相反するものでして、学術がまとめたらそのまとめから外れる物をつくるのが日本のゲームクリエイターです。
むしろ逆に考えていって、人が面白いと思う対象がずれていく、それを調査することで特定方向にデザインした方がいいんじゃないかと探っていき、そこから新しいゲームデザインを試みていくのがよろしい。
ポイントは人がゲームの面白さを変えているということ。例えば、1980年代のゲームには難易度にメリハリを持たせることでクリアしたときの達成感「やった!」が得られる手法があったが、今それをやったとしてもプレイヤーは「ナニコレ?つまらない、やめた!」という印象しかもたない。むしろ今のゲームデザインですと難易度のメリハリは無くて大丈夫という方向です。
私が今研究しているゲームの中に、同一難易度・同一コンテンツの「マッチ3ゲーム」があり、評価ポイントとして星を幾つ付けるかで示されたりします。あれに星3つ付くという事実から考えていき、スキルレベルの高いプレイヤーの満足度、その閾値がどこにあるのかを探っていくことで、同一のゲームでさまざまな人々に満足感を与えられる。その方が工数は少なくてよい。
そういうゲームデザインの仕方、満足度のしきい値を一体どの程度に見積もればいいのか、それの実証をいま試みています。これこれの件数のうち上位何%がこうだった、これが星3つだった……そのくらいまでしてやっと納得性が生じる。そういう挑戦をしています。
―― そうした同様の研究をしている人々の中で誰が先駆的とお考えですか?
遠藤 先駆性な研究という点で自分が気にしているのは、イェスパー・ユール(デンマーク王立芸術アカデミー准教授)だけです。先行研究を調べていくと、いつも壁のように「ハーフリアル」の著者イェスパー・ユールの名前に出会う。そういえば彼はアメリカ人でなくデンマーク人ですね。
―― それはユールの先行研究を特に注目されているという意味でしょうか?
遠藤 というよりも、文献を読んでいくと「またか……」という感じで彼の名前を目にする。私がやっている分野にとっては、先駆的・網羅的・実証的な研究者であり、自分より若いがリスペクトしています。
―― ではここで質問を変えまして、日本のゲーム文化を把握するための参考文献、アメリカや他国とは違う日本独自の点を知る術をお聞きしたいのですが。
遠藤 既存の文献にはないですね。先述した小川先生の「日本デジタルゲーム産業史」は参考になりますが、いずれは自力で書かないといけないと思っています。
―― そうすると、例えば外国のゲーム研究者が日本のゲーム文化を知りたいと考えて来日するなら、何を紹介すればいいでしょうか?
遠藤 そこは全然分かりません……あえて言えば、自分より優れた研究者である井上明人先生を紹介します(現・関西大学総合情報学部特任准教授)。
―― すると「日本のゲーム文化を網羅的に知りたければ井上先生に会いに行け!」ということですか?
遠藤 そうですね、その認識で間違っていないんじゃないでしょうか。彼が一番手広く研究されている上に真面目な方ですし。
―― さて今度はゲーム開発者にとって修士号・博士号の持つ意義についてお教えいただけませんか。日本のゲーム業界にはいまだに学位に対して否定的な声もあるのは耳にしますが、その点も踏まえてお答えお願いします。
遠藤 学位については、かつて私も「面白ければどうでもいい」という感覚でした。
しかしアメリカですとゲーム開発者が博士号持っていて活動している。それは技術主導だからという背景がある。対して日本はコンセプト主導ですから学位保持者が少ない。そういうことを見て「日本はゲームで遅れている」と主張される向きもある。
「遅れてないよ」と私は考えるんですが、遅れを主張するのは一般の方だけでなく研究者さえ「調査結果として『遅れている』と出ている」という人もいる。そういう人たちに反論しようにも、向こうが博士号を持っているというのが社会的に大きい。
間違った声を正すにはこちらも博士号が要る、というわけです。
それだけでなく、何らかの発表をしていく中で、発表者として権威を持つなり第一人者になろうとするなら、キチンと手順を踏んで後に残していかなければいけない。残す際に書籍でなく学術論文で出していく方が世界に発信する力がある、と感じてもいます。
井上明人さんだけに任していてはダメなんだ。ヒットゲームの制作者も学術的発信を行う方がよほど大きな力がある。制作者かつ博士号取得者という方も数名いますが、自分は博士号をとってから言いたいことを言いたい。
―― それは、研究者にとって情報発信が最大の使命だ、とお考えだとお見受けしましたが?
遠藤 その通りです。学位取得した上での情報発信によって信頼性が上がりますから。「それはあなたの持論にすぎませんね」といわれるのはイヤですし。それもゲームを作ったことのない人に言われるのが納得できない。
例えば「FPS(ファースト・パーソン・シューター)こそゲームの最大市場だ」と仰る方々は、セールスの観点からでしかゲーム産業を見ることができない人。数字だけで判断するのはおかしなやり方です。考え方が違うしターゲットも違う。
そもそもFPSが売れているアメリカの市場が世界的にみて極端な大きさだから数字が出ているので、むしろアメリカは特殊であり、ある意味「田舎」である、その点をヨーロッパの研究者と共同で見極めていく。そうすることでアメリカを除いて世界のゲーム産業を見ていくことができると考えています。
―― 先ほどもゲーム開発に関連して「日本はコンセプト主導」と繰り返されましたが、遠藤先生の論文では情緒も強調されています。例えばゲームのエンディングを迎えたくないから故意にプレイを引き延ばす、といった情緒の点でご関心ある研究者、おススメの文献はどんなものがありますか?
遠藤 そうですね、ゲームに対する日本人の行動の中に日本のゲームを成長させてきた要因があると思っていまして、そこで行動分析をしていく調査の中でみつけた、自分では「インテンショナル・ステイ」(Intentional Stay)と呼んでいますが、意図的にゲーム内にとどまろうとするプレースタイルについて国際学会へ論文を投稿したことがあります。でもリジェクトされました。「訳が分からない。エビデンスを示せ」と言われたわけです。
日本のそうしたプレースタイルは禅とか茶道と似ているんです。または「残心(ざんしん)」という言葉の感覚を持ちながら日本人はプレイしている。でも海外からは「そのソースを示せ」といわれる。そこでソースを示すため、まず博士号を取得して論文を出しつつ、そこを土台として発信していく予定です。
とはいえ理論武装が不足している。あとは日本と国外との認識の差ですね。漢字文化圏の人、アルファベット文化圏の人、それぞれ認識能力が異なると聞いています。その点をゲームでも見つけてきて、例えばゲームにおける「見立て」の力を追究していく。
より具体的には、ゲーム「ファイナル・ファンタジー」と「コールオブデューティー」はどちらもリアル志向でありますが、片やファンタジー色、片やオジサンばかりの登場人物なのはどういう理由からなのか、という点を「見立て」という文脈の文化的差異から解明していきます。研究には定年がないので死ぬまでにどれだけ積めるのか、ということでもあるんです。
―― 遠藤先生がそこまで研究に努められる、その根っこのリビドーやモチベーションとは何でしょうか?
遠藤 自分は探求のモチベーションは高いですね、ゲームをやりこんでいる感じです。
研究はゲームだと言い換えてもいい。ゲーム教育に関してもそれ自体がゲームでありたいと思っている。「遠藤は最近ゲームつくっていない」と批判される向きがあるかもしれないが、自分はゲーム教育のための演習教材、そのものがゲームデザインだと考えています。
演習教材にしても、ゲームのモチベーションでもってその演習を受講したくなるルールを構築する、それは全くのゲームデザインです。そのことは近々に国際学会で発表を考えています。
企画力を上げる教育関係の演習も同様ですね。CEDECの「ペラコン」(PERACON)、それを圧縮した「ラピッドプランニング演習」が効果的であることは分かっているので、その点も発表したい。
―― その「ペラコン」(PERACON)はコンセプト重視が評価基準でしょうか?
遠藤 確かにコンセプトは大事ですが、むしろ面白いゲームを考えてそれを他人に伝える、その伝えるための技術を重視しています。
ですから「ペラコン」は提出された全作品に対する全審査員のコメントが公開されており(サーバ不具合により一部欠落あり)、それを使って勉強可能となっている。
実際に提出作品の中には前年のコメントに影響されて修正されたのが分かる内容もあります。学生が挑戦して上に行くのもあれば、若手のクリエイターが書いて落とされるのもある。「ダメなものがどうダメか」という指摘もまた勉強になる。
自分が昔書いた企画書が残るのは恥ずかしい、そう考える人には企画書を書く意義は全くありません。学部1年のころに最下位だとしても、2年、3年、4年目にベスト10入りを果たしてゲーム業界で成長すれば、かつて最下位だった事実さえ伝説の一部と化していく。
逆に言うと、順位が低かったからといって向上しない人は、ゲーム業界に入らない方がよろしいわけです。
そんな「ペラコン」の審査員は「今年できます」「できません」と言い合って集まってくださるのですが、その審査員の方々が出してくれるコメントは確かに若手の向上に寄与しますし、いろいろな方が好評・酷評を出すことで日本のゲーム業界の土台が分かってくる。あのイベントが年1回しかないのは惜しいことです。
とはいえ審査員側にとってもコメントつけるのは地獄ですね。自分は審査委員長なので「せめてオレたちだけでも全作品にコメ付けよう」とやってます、副委員長の方々も頑張ってくれていますが、しんどい。でも審査委員の中ですと特に下田賢佑さん(ゲームデザイナー)が全作品に個性的なコメントをつけてくれています。
―― 若手の件でおうかがいします。1980年代のゲームは海外進出で受容されたようですが、いまのゲーム開発で世界に打って出ようとする際の参考文献にはどんなものがありますか?
遠藤 参考文献といえるのはないですね。ただ今の日本と世界との間でゲームの面白さに乖離(かいり)が生じているのは確かです。
とはいえゲームは言語に拠らないものを作ることができますので、例えばピクトグラム(絵文字)を勉強するのもいいでしょう。アイコンでもって全て制御することも可能なはずです。世界的にゲーム好きは簡単な英語なら分かるでしょうが、とはいえ言語依存的でないゲームを作る方が売れやすい。それはアクションゲームで成立していますが、日本には文字を使わないでナラティブを表現する手法もある。
その辺りの第一人者は上田文人さん(ゲームデザイナー)ですね。カメラワークも使いながら非言語的ナラティブを構築している。そういうものを求めています。
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