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「食えなければ飢え死にしなさい」その言葉が紀里谷和明のキャリアに火をつけた 対談小説:鏡征爾(2/3 ページ)

開始10分。紀里谷さんは言った。不意打ちだった。「きみは何を恐れているんだ?」

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6 地獄の(東大)黙示録

 超高層ビルの豪奢なフロアで言葉を続ける。
「紀里谷さんは自分のパッションを大事にして突き進んでこられた方だと思うんです。一方で、その衝動についてまわる困難についても語っている。今回も相当大変だったと思うんですね。雪のなか、マイナス二十度の状況で撮影して。クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンっていう、あれだけの名優を使って。現場の人間だって相当優秀だったと伺っています。でも、優秀であればあるがゆえの大変さもまたある。その困難をもうちょっと聞きたいです」
「何事にも困難なんて付きまとうだろ。小説を書いていても困難なんて多分にあるじゃない。それを悪いことだと思わないでねっていいたいの」
「そうですね」自分の防衛本能を理性で封じ込めるように、僕は淡々と質問を続けた。「でもこれだけたくさんの人を絡めるわけじゃないですか。紀里谷監督の映像は2000年の最初の頃から知っいてます。ミュージック・ビデオの頃から知っている。監督の映像は一瞬で違いがわかる。わかるのに違いがわかる。だからきっと根本的につくりが違う。ウェルメイドなもの、つまり方程式に沿ったそこそこのものをつくるのと、新しいものをつくるのって、まったく別のものだと思うんです。だから現場でも葛藤があったと思うんですね。そうした葛藤を監督はどうやって乗り越えてきたんでしょうか」
そんな葛藤なんて想像でつくりあげてるだけの話じゃないか。じゃあそこの部分をどうクリアするのかって話なんだよ。それはきっちり話あわなきゃいけないし、やっぱり自分が見せていかなければいけないし、自分がどう思うかを言い続けていかなければいけないし。それは極めて情緒的な部分に対して忠実でなければいけないわけですよ。それはマーケティングとは違うものになっていくと思う。でもその情緒的なものが強ければ強いほど人はついてくるんだ」
 優しげなほほ笑み。鋭い眼光。
 一見相反する両者の奇妙な混同が、紀里谷監督の第一印象だった。
 表面的には物腰が穏やかなのに、内部にはすさまじいエネルギーが渦巻いていて、髪の毛の先から電子を放出している感じ。

 斬られる――。

 そんな殺傷力を秘めた、危険な男の匂いが、初対面からしていたが、やはり直観は正しかった。
 僕は自分を傷つける人間を嗅ぎ分ける能力に関しては、特段の自信を持っている。


紀里谷和明

7 機械仕掛けの阿修羅テープ

 僕は無心でテープを起こした。少しでも立ち止まると、レコーダーをどうにかしてしまいそうだった。
「おれがいいたいのはこういうことだ。おれのつくったものがいいと言ってくれる。それに対してリアクションがおこっている。だがそれはきみのなかに同じ景色が見えていないとそもそも合致しないんだよ『プチッ。キュルキュルキュ』」もうテープを起こしたくない。「ということはだな。多くの人たちにそもそも同じイメージが、存在している。あとは、それを具現化するのか。しないのか。という、ただその一点であるわけだ。よく、どうやったらそんなインスピレーションがくるんですか。とか。よく、どうやってそんなことできるんですか。といった質問がくるが、みんな同じようなものを持ってるんだよ……
『キュルキュルキュル』」
 もう10時間くらい同じ所をぐるぐるしている。
それを一つの炎としよう。みんな同じような炎を持ってるんだよ。それを、
必死になって具現化するのか。しないのか。それは極めてロジカルなパートだよね。わかるかな? いってること。情緒的には同じなんだよ。誰だってお花見たら綺麗だなって思うし。夕焼けみたら美しいと思うし。同じだろう?」
「GOEMON」の花が散る、印象的なシーンが網膜に蘇る。絶景絶景。そういって最後に、役目を果たした主人公の五右衛門は美しい星空を眺めて絶命する。
「これは常によく言うことなのだが。きみのなかの衝動が現れたと。いまから海を見たい。それで本当に行くのか、と。ほとんど行かないんだ。だがそこは努力して行かなければいけないんだ。その衝動があらわれたときに見に行かなければいけない。そして同時に感じなければいけない。どういう気分なのか受け止めなければいけない。『わお海だ』とか何でもいい。そこには『なんだ、たいしたことないな』という思いもあるかもしれない。そこも含めて感じていかなければいけない。それが非常におれは重要だと思う。それには極めて努力が必要なんだ。忍耐も必要なんだ。それは何故かというと衝動を形にするってことだから。それの連続で行くトレーニングが必要な気がするんだ



8 もう駄目だ

 テープを何度も何度も何度も止め、暗闇の部屋で考える。
 それは理解不能な相手に出会ってしまったが故のつらさじゃない。
 圧倒的に理解できる相手に出会ってしまったが故の絶望だ。
【それを希望と呼ぼう】
 おそらく世間で最も有名な東大生――古市憲寿なら、そんな風に上手にパッケージングするのだろうが、僕はそこまで器用じゃない。そんなに器用だったら今頃メリル・リンチに就職してる。
 開始10分。紀里谷さんは言った。不意打ちだった。
「きみは何を恐れているんだ?」
 インタビュー記事にはそこで黙り込んだと書いたが、
 実は……あまり書きたくない続きがある。



9 自分が絶対値という名の居場所

 そして僕は自分の悩みを吐き出していた。
「僕は居場所がないんです。ここ5年で5000枚以上ボツ原稿を出している」
「きみは何かを怖がってるんだ」
「どんどん人が死んでいく」
「踏み出すことを恐れているんだよ」
「僕は家にも街にも東京大学にも居場所がない。文芸にもない。デビュー時は死ぬほど丁寧に対応してくれた人が目も合わせてくれない。自業自得なのは分かってます。編集者には感謝をしている。三年おきに編集者が移動するのが大手出版社の暗黙の了解だから、受賞時にお世話になった編集者はあらかた去っている。でもこの天国と地獄の落差はさすがに想定外でした。もらったのが十年に一度の賞だったから期待されたし、僕もした。人生で一番嬉しかった。でも自分が駄目になると駄目な人ばかり寄ってくる。小説を出す出す詐欺する人間ばかりになる」視界がどんどん暗くなる。僕は脈絡のない言葉を一心不乱に喋り続けた。「ようやく出版の目途がたった作品は、レーベルが潰れてポシャる。担当編集は音信不通になって逃亡する。こないだ尊敬する、ある大学の教授にね。『夢なんて追ってるからだよ』なんて言われたわけですよ。夢という言葉が陳腐なのはわかる。そうみえるのもわかる。でもじゃああなたは何のために生きているんですか? って思っちゃった。死にたいとか安易にいうけど誰よりも死にたいのはこっちだよ」
 僕はなぜか怒っていた。理不尽な、あまりに幼稚な、やり場のない怒り――それをぶつけていたのだ。でも紀里谷さんは優しかった。
「東大とか作家とか形の話はどうでもいいよ。それは本質を覆い隠す。でも大事なのは何で居場所がないのかってことだよね」
 それから先のことは、正直あまり覚えていない。頭が真っ白になって、目の前にいる紀里谷さんの顔も仕草も表情も景色の向こうに飛んでしまって、ただ罅割れた声だけが、頭上から絞首台に落下する死神の鎌のように降りてくる。
「居場所がないってこと自体が考える必要がない。きみが居場所なわけだから。相対的にみるから居場所がないって言い始めるだけの話なんだ。きみはきみが居場所だろう。君が絶対値だろう。おれが若い頃言われたことと同じ事を繰り返すよ。売れない?それじゃ食えない? いいんだよ。食えなくていいんだよ。
そしたら飢え死にすればいいんだよ。きみはやりたいことをやって食えないのなら死にしなさい。……『プチッ』」
 そこで僕はテープを止めた。限界だった。
 ごめんなさい。
 僕はもう聞きたくありません。
 紀里谷監督ごめんなさい。

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