あの「緊急事態宣言」から1年、コミックビームは生き残れたのか 編集長が語る、電子増刊『コミックビーム100』の狙い(2/4 ページ)
怒涛(どとう)の1年でコミックビームはどう変わったのか、奥村勝彦編集総長、岩井好典編集長、そして新たに創刊される『コミックビーム100』の本気鈴編集長に話を聞きました。
“雑誌感”を出せる最小のロットが100ページ
―― ちょうど話題が出たところで、『コミックビーム100』についてお聞きします。これはどういういきさつで創刊することになったんですか。
岩井:これについては僕から説明します。すごく率直に言うと、若い世代のライフスタイルから、漫画雑誌を読むというのが消えはじめている。もう消えた、と言ってもいい。
―― 前回奥村さんと話した時も、電車内の光景がすごく変わったというのはおっしゃっていました。
岩井:僕らが学生だったころは、電車に乗ったらみんな漫画雑誌を読んでたんですよ。今はそんな人全然いないですからね。
奥村:いないなぁ。
岩井:そうした中で、それでも新しい漫画を世に問うていくとしたら、やはり電子で雑誌を立ち上げるしかないだろうと。
―― 今の流れではそうなりますよね。
岩井:で、どういう形でやったらいいか、社内で電子書籍を扱っている部署にリサーチをしたんです。それで1つ分かったのが、「電子だと広がらない」と。
―― 広がらない?
岩井:ブランディングができない。例えばある人気漫画が公開されて、Twitterで告知する。そうすると、リンクからその漫画には飛んでくれるんだけど、読み終わったらそこで九分九厘戻っちゃう。
―― ああ……それはニュースサイトも同じです。個別の記事は読んでもらえても、なかなか他の記事には飛んでもらえない。これはネットというか、ブラウザの特性なのかもしれません。
岩井:これは奥村の口癖ですけど、自分が目指していたのは『あしたのジョー』が載っていたころのマガジンなんだと。そのころのマガジンって、『あしたのジョー』や『巨人の星』も載っていれば、『天才バカボン』や谷岡ヤスジなんかも載っていて。それから巻頭カラーで大伴昌司(※)の特集があって、ヘタしたら表紙は横尾忠則(※)がデザインしていたり。なんでも雑多に入っているのが雑誌なんだから、そういう“雑多感”を大事にしていきたい、というのがコミックビームの考え方なんです。
―― ビームは確かになんでもありですね。
岩井:ただそうなると、電子ではやはり、われわれが考えるような“漫画雑誌的な展開”というのは難しいということになる。じゃあ今、雑誌的なものをデジタルのフィールドで定着させるにはどうしたらいいのか? それで出たのが、100ページくらいの雑誌だったらどうだろう、というものだったんです。
―― 100ページなら雑多感を出しつつ、1回で読み切ってくれるだろう、と。
岩井:例えば30ページ前後の漫画を3本載せて、間に4ページと8ページのショートを挟む。で、5本並べると100ページになるようにする。多分“雑誌感”を出せる最小のロットが100ページなんじゃないかと。
―― もう1つのポイントである「100円」についてはどのように決めたんですか?
岩井:これが正解かどうかは社内でもものすごく意見が割れました。やはりデジタルでは0円と1円の間にものすごい壁があって、そこを越えさせるのは本当に厳しいですよ、という意見ももちろんあって。
―― そこはあえて有料にこだわったわけですよね。
岩井:よく「1巻無料」ってあるじゃないですか。あれ、うちでもやってみたことがあったんですが、1巻が○万ダウンロードとか行って「すごいじゃん!」って思ったら、2巻は○冊しか売れなくて。
―― えええ! 桁2つくらい間違ってませんか、それ。
岩井:それくらい0円と1円の間には隔たりがあるんですよ。鈴木みそさん(※)も、「絶対0円はやめた方がいい。10円でも50円でも、とにかく1回お金を払った人間でないと、その先でお金は払ってくれない」って言ってらっしゃって。
―― 鈴木みそさんが言うと説得力ありますね。
岩井:だから、どっちかしか選べないんだとしたら、やはりお金をいただく方向で行こうと。読者にお金を払っていただいて、それで生きていくというのが、これまでわれわれが歩んできた道だったので。
何か創刊する時になって、人手や企画が足りなかったりするとみんな本気さんを頼るんですよ
―― 今回、編集長をフリー編集者の本気鈴さんが担当されています。ビーム内からではなく、外部から編集長を呼んだのにはどういう狙いがあったんでしょう。
岩井:まず1つは、ウチのスタッフが作ると結局同じモノになるんじゃないかなと。
―― シンプルですね(笑)。
岩井:それならいっそ、1人の人間に任せちゃうのはどうだろうって。それでパッと浮かんだのが本気鈴さん。本気さんなら昔からビームを読んでくれていて、ビームのスピリットも分かってる。そしてなおかつ、今ビームに載っているラインアップとは違うものをやってくれるんじゃないかと。
―― 本気さんはどんなふうに誘われたんですか?
本気:ある日岩井さんから「ちょっとお話が……」って言われて、来てみたら「雑誌をやってみませんか」「全部任せますから」って言うんですよ。「えっ?」って。
―― それは……けっこうビックリしませんでしたか。
本気:ビックリしましたよ。「やらせていただきます」とは言ったけど、なくなるんじゃないかって思っていました(笑)。
―― 岩井さんや奥村さんと知り合ったのはどういう経緯だったんですか。
本気:もともと由木デザインっていう編集プロダクションにいたんですが、そこから月刊少年ジャンプに出向で行ったのが漫画作りとしては最初です。そこで仕事をしているうちに麻宮騎亜さんと知り合って、『快傑蒸気探偵団』という漫画をはじめて。それが1994年くらいです。
―― 『快傑蒸気探偵団』! 懐かしいです。アニメにもなりましたね。
本気:それから『快傑蒸気探偵団』がウルトラジャンプに移って、ちょうどいいから自分も一度、月刊ジャンプを離れて、ウルトラジャンプの方でも担当をさせてもらおうかなって。その時にフリーになって、それからあっちこっちから「うちでもやってもらえないか」って依頼がちょくちょく来るようになったんですよ。
―― 最初は集英社系のお仕事が多かったんですね。
本気:それから週刊プレイボーイで『キン肉マンII世』を担当したり、別冊少女コミックの方も見てくれってことで吉田秋生さんの『YASHAー夜叉ー』を担当したり(※)、週刊少年ジャンプの椛島(良介)さん(※)がMANGAオールマンを立ち上げた時にも手伝ったり……。
―― ジャンルがものすごく広いですね。
本気:そうなんですよ。そのころは8本くらい連載担当を抱えていました。
岩井:聞いてるだけで気が狂いそうになりますね。
―― このころはまだ岩井さんや奥村さんとは会っていない?
本気:もうちょい先です。宝島社のスピードコミックっていう雑誌でも仕事をしていたことがあったんですが、その後スピードコミックの休刊が決まって、そこで連載していた『風奔る』っていう漫画の続きをやらせてほしい――ってヤングチャンピオンの沢(考史)さん(※)が連絡してきたんですよ。
―― 秋田書店につながりましたね(※)。
本気:と言っても『風奔る』は僕が担当していたわけではなくて、実際に仕事でお付き合いするようになったのは、沢さんがチャンピオンREDを立ち上げるときに「手伝ってほしい」って呼んでくれたのが最初です。そのときに立ち上げたのが、麻宮騎亜さんの『JUNK -RECORD OF THE LAST HERO-』と、清水栄一さん・下口智裕さんの『鉄のラインバレル』。で、聞いたら沢さんと岩井さんが同期だと。
―― おお、やっと出てきた!
本気:で、僕は昔から奥村さんのファンだったので、「奥村さんに会わせてくださいよ」ってずっと言ってたんです。それでようやくお会いすることができて……。
岩井:一晩ずっとバカ話してたよね。
本気:完全に浮かれてましたね(笑)。漫画編集者大好きなんですよ。それからビームのお仕事もいただくようになって、という感じです。
奥村:縁だよなぁ。
―― 奥村さんファンというのは、どういうきっかけでなるものなんですかね(笑)。
本気:いやもう、桜玉吉さんの漫画が大好きで。強烈なキャラクターじゃないですか。漫画の企画のためにバンジージャンプしたり。
奥村:あらぁマジだからなあ。
本気:あと生徒と偽って漫画学校に潜入したり。あれはやられたって思いました。
―― あれは最高の企画でした。
奥村:あれもマジです。
岩井:今回の『コミックビーム100』もそうですけど、オールマンとかREDとか、何か創刊する時になって、人手や企画が足りなかったりするとみんな本気さんを頼るんですよ。そうやってこの四半世紀、実はマンガ業界のすっごい広いところで下支えをしてくれている人なんです。
本気:なんか業界ゴロみたいな怪しいやつですね(笑)。
岩井:でも一方で、マンガ大賞を取った吉田秋生さんの『海街diary』とかも起こされたりしていて。吉田さんは表に出ない人なので、本気さんが代わりに受け取ったんですよね。
本気:あのときは自分の担当作品が大賞取ったのもうれしかったけど、奥村さんと同じ壇上に立てたぞ! っていうのがうれしかった。
岩井:奥村さんも『テルマエ・ロマエ』が大賞取ったときに、ヤマザキマリさんの代わりに受け取ったんですよね。
本気:そういうところに感激しちゃうんですよ。
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