星座といえば、みずがめ座、いて座などの「黄道12星座」、あるいは北半球と南半球で見える全「88星座」ですよね。
これらの星座は、古代バビロニアや古代エジプトで発祥し、古代ギリシャのプトレマイオス48星座を経て、最終的に1928年に国際天文学連合が正式に88星座を採用したものです。
しかしこの88星座の影には歴史に埋もれて消えていった「幻のトンデモ星座」も存在しました。
トンデモ星座はどこで生まれたか?
紀元前30世紀までさかのぼる長い星座の歴史の中で、特に16〜18世紀は、星座新設の黄金期!
大航海時代に出会った南半球の星々を、珍しい生き物や航海で使うアイテムに見立てた星座で埋め尽くしただけではなく、天文学者達が趣味で星座を作ったり、パトロンに星座をささげたり、当時には目新しかった機械を星座にするなど、比較的フリーダムに星座が作れる時代だったのです。
しかし趣味で作った星座が周囲に認められるはずもなく、この時代に作られた多くの星座は、歴史に埋もれた「幻のトンデモ星座」となってしまいました。
甥っ子と星をみた記念に「へきめんしぶんぎ座」
“しぶんぎ座流星群”という流星群だけに名を残している星座が、かつて「りゅう座」にありました。この星座を設定したのはフランスの天文学者ラランド。
壁面四分儀(へきめんしぶんぎ)とは、星の高さなどを測る道具の名前です。ラランドは、この壁面四分儀を使って甥っ子と一緒に天体観測をした記念として、1795年にこの星座を設定したそうです。ラランドは相当この甥っ子がかわいかったのかもしれませんね。
同じような観測道具の星座として「ろくぶんぎ座」がありますが、こちらはドイツの天文学者ヘベリウスが設定したもの。愛用の六分儀を火事で失った悲しみの中で、二度と失うことのないように星座にしたそうです。こちらは88星座に残っているので幻の星座にはなりませんでした。
スポンサーのご機嫌をとった「チャールズのかしのき座」
チャールズのかしのき座を作ったのはイギリスの天文学者ハレー。ハレー彗星を発見した天文学者としても有名ですね。
チャールズとは、英国の国王チャールズ二世(在位1660〜1685)のこと。チャールズ二世は戦に敗れ、戦火のなかで逃れるときに樫の木の裏に隠れて難を逃れたことがありました。この樫の木を、当時エリート学生だったハレーが星座としてささげたのです。
ハレーがこの星座を作ったことで王は大喜び! すぐに修士の学位を贈ったそうです。ここでハレーは学生から一気に天文学者に近づき、研究の援助を得ることになったのです。
幻の星座の中には、当時の国王やスポンサーを喜ばせるためのものがほかにもありました。それによって天文学の発展の一助となったことも否定できませんが、理由が理由だけに歴史に残ることはありませんでした。
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