「GODZILLA 決戦機動増殖都市」が公開されて1週間がたった。スピルバーグ監督作「レディ・プレイヤー・ワン」への登場が記憶に新しいメカゴジラを大々的にフィーチャーしたポスターから、否応なく期待が高まっていた一作だったが……。
メカゴジラ、起動せず
「怪獣惑星」エンドクレジット後に表示された「決戦機動増殖都市」のポスターには、何らかの巨大な機械、ロボットと思わしきパーツが横たわっていた。これはのちに怪獣惑星中のフッテージ映像で、ビルサルドの技術によって創られた対ゴジラ最終兵器「メカゴジラ」だと明らかにされた。
メカゴジラは「怪獣惑星」以前の時間軸を描いた「GODZILLA 怪獣黙示録」「GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ」において登場が示唆されたものの、起動に失敗(理由は明らかになっていない)。ゴジラの熱線を受けて破壊されたと描写されている。
本作のポスターにも「人類最後の希望<メカゴジラ>が起動する」としてシルエットが登場し、公開日にはフィギュア商品の全景も解禁された。アニメーションの利点は、実写では絶対に動かすことのできないものを動かし、命を与えることができることだ。となればこのメカゴジラが動き出し、そのまま人類最後の希望として立ち上がるのだろうと思われた。
とはいえ本シリーズは3部作なのだから、まあいい線まではいくけれど負けてしまうのだろう。それでも最終的に第3作につながるような、例えばゴジラを真の意味で倒すためのヒントを得るだとか、登場人物の誰彼が消えるだとか、そのような結果になるのだろう、と推測して劇場に向かった観客は度肝を抜かれることになる。
既にご存じの方も多いだろう。本作、メカゴジラは動かないのである。
ナノメタルと呼ばれるビルサルドの技術をもとに創られたメカゴジラは、ゴジラの熱線攻撃によってやはり破壊されていた。しかし「ゴジラを倒せ」とプログラムされたメカゴジラの頭部AIは、人類が地球を捨ててより2万年の間孤独な戦いを続けていた。外部のマテリアルを同化して自己=ナノメタルを増殖させ、自らをゴジラ破壊のための都市要塞として再構成していたのである。
その産物である「メカゴジラシティ」が本作の主な舞台となる。ハルオ、ユウコ、ベルベの3人はパワードスーツを大幅に強化した新兵器・ヴァルチャーに乗り込みゴジラを誘導。ゴジラを硬化ナノメタルで拘束後、前作の「ゴジラ・フィリウス」を倒した際の作戦を再実行することになる……というのが本作のざっくりとしたプロットだ。
前作「怪獣惑星」はとにかくシナリオが弱かった。「怪獣黙示録」にちりばめられた魅力的な設定に対し、直情型の主人公がただ無責任に突っ走り、味方を危険にさらし、周りの人間もその選択をひたすら肯定し続ける。もちろん、ラストのツイストにある程度の衝撃はあった。そして歴代のゴジラ映画も、残念ながら全ての脚本が格段に優れているというわけではない。であれば本作に期待されるのは、実写では到底制作不可能なCGアニメーションならではの戦闘・状況となるはずだが、本作は到底満足いく結果になったとはいえない。
変化のないキャラクター、おざなりな脚本
本作は脚本の練り込みが明らかに足りていない。まず問題なのは、前作のエンドクレジット後映像にも登場したミアナを始めとする、2万年後の地球に適応し生存していた人型種族・フツアだ。りん粉、卵、テレパシー……とくれば当然思い浮かぶのは「モスラ」シリーズの小美人だが、彼女たちはそれを示唆させる以上のキャラクターではない。
ミアナとマイナの性格が対立していることに物語上の意味はなく、ハルオとユウコのキスシーンを目撃することも何ら彼らの関係性に効果を及ぼさない。かなりの時間を割いて本作に関わる彼女らの存在は今後のモスラ登場を予感させ、ナノメタルとの橋渡しをするためだけにある。それ以外はあくまでもシーン単体にそれっぽさを持たせることしかできていないのだ。
一方、前作でただの合理的な軍人として描かれた宇宙人・ビルサルドについては若干の掘り下げが行われる。ここではナノメタルと一体化することに一切の恐怖を抱かず、個人の肉体の生存にとらわれずに動くことができる――という、到底人間とは相いれない存在であることが明かされた。つまり同じ目的を持っていたはずの者が、実は自身と全く違う概念で動いており相互理解には程遠かった、という恐怖だ。
脚本の虚淵玄の過去作品になぞらえるのであれば、彼は「翠星のガルガンティア」におけるクーゲル中佐、ストライカーといったところだろう。確かに脆かったとはいえ、これまでに築いてきた共闘関係が根底から覆ってしまうことになる。だが、ここでもハルオは変わらないのである。
彼がここで覚えるのは前作のゴジラに向けられたのと全く同じただの怒りでしかない。モデリングを使用した画一的な表情は常に同様であり、宮野真守の単調な演技もそれに拍車を掛ける。登場人物の変化というものは、それまでにどれほど魅力的に描けていたかに決定づけられる。その点からも、本作のビルサルドの転換について及第点を与えるのは難しい。
そして物語最終盤、ビルサルドの主張する特攻作戦のためユウコは体内にナノメタルを注入される。そこでハルオはようやく「人間として勝つこと」が大事なのだと言い始めるが、どう言い繕ってもキスされた相手が死にそうだから言い訳しているようにしか見えない。
その人間くささが魅力的になるような描写のされ方がここまででされていればまだよかった。だがこれまでの彼は何かと叫び、命令するだけで周囲の人間がちやほやしてくれるだけの描かれ方しかされていないのである。映画前半でやってくる救助船と乗組員への対応など、ブラック企業の中間管理職の振る舞いにしか見えなかった。
ユウコも極めてステレオタイプな存在としてしか描かれず、彼女の内面についても描写があまりに少ない。ゴジラ討伐作戦も「誘導・固定・一定箇所への攻撃」と前作のそれをほぼそのままなぞるだけであり、目新しさも全くといっていいほど感じられない。
またヴァルチャーによる特攻がもしもの可能性としてあり得たのであれば、なぜラグなく行えた試験飛行のように遠隔操作をしなかったのか? という疑問も当然残る。そして残念ながら本作はそれに答えてくれない。
脚本が雑。キャラクターとしての魅力が全員に欠けている。この状態でどんな「はずし」を行ったところで、面白くなりようがない。しかもゴジラを要塞都市で追い詰めるという本作の作戦は、舞台が現代の東京である「シン・ゴジラ」に先行されてしまっている。企画のスタートが同時期であったとしても、見慣れた電車や高層ビルがゴジラに反旗を翻すという画期的な映像がもつ衝撃に比べれば、その魅力の差は歴然だ。
完結編の公開にむけて
極めて残念な出来だった本作だが、既に最終作「星を喰う者」が予告されている。ゴジラシリーズ屈指の人気怪獣、ギドラの登場を示唆させたエンドクレジット後の映像は確かに期待を煽る。本作ほぼ唯一の魅力的なシーンといっていいだろう。
いまだ地上を支配するゴジラ・アース。そして影をのぞかせるモスラとギドラ。「怪獣黙示録」「プロジェクト・メカゴジラ」に登場した数多の怪獣たち、またメトフィエスが意味深に残した、ハルオに対するあからさまな伏線。
これまでの不安を払拭させてくれることを願う。人間ってのは、諦めきれないから。
(将来の終わり)
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