訳ありげな12歳の美少年・真修に惹かれていく30歳女性・聡子の心情と、二人の距離感の変化を美しい筆致で描く『私の少年』。美麗な作画と重厚な会話劇も魅力の同作ですが、なんと、作者の高野ひと深さんがマンガを描き始めたのは、大学3年のころなのだとか。「超絶ワナビー時代」を経て、「自我」が芽生えた経緯とは? そして映画「バーフバリ」と『私の少年』の思いがけない共通点とは……。本編の出張掲載とともにお楽しみください。
前編:「私は大変なことをしている……」 漫画『私の少年』を描くうちに気付いたこと
編集者は「崖から落ちそうなとき」に助ける人
――今日は、『私の少年』連載にあたっての資料も持ってきていただきました。
担当・三村(以下、三村) これは移籍1話目のネームですね。真修の顔だけ、下書きを丁寧に入れてもらったバージョンです。
――下書きの時点で美しさがすごい! これはアナログで書いているんですか?
高野ひと深(以下、高野) iPadの「Procreate」というアプリを使っています。作業はプロットの段階から、ほとんどデジタルでやってますね。こういった感じで時系列を整理したり……。
――おお、画面を3つに区切っている。
高野: 頭がまとまってるときはさらっと短くメモを書くだけでいいんですけど、このときは混乱していて……。流れが固まったところで、セリフを書きだしていって、プロットを作ります。
――脚本みたいな形式のプロットを書くんですね。ほとんど会話だけ。
高野: キャラに会話してもらっているのを横で聞いて、ガーッとPCに打ちこんでいくイメージでつくります。聞いていて「あ、今コップをとったかな?」って思ったら、その動作も書いておきます。で、「この会話で5コマくらいかな」と思ったら、シュッと線を引いて、ページ区切りのしるしをつけておく。作業のなかでも、プロットが一番時間がかかりますねえ……。それに、文字が多いマンガになりすぎる!(笑)
――あとがきには、真修の少年らしい美しさをブラッシュアップするための話がありましたよね。三村さんは、どういう指摘を戻すんですか?
三村: 絵に関してはほとんど言わないですね。ぼくは子どものころから絵が超絶下手なので(笑)、そんな恐れ多いことはできない。事前の打ち合わせでしっかりとアイデア出しをしたり、プロットの段階で「高野さんが乗れてないんじゃないかな?」という部分を見つけてお伝えしたり、ということを心掛けています。
高野: 第20話と第21話あたりは、本当にご迷惑をおかけしました……。私の、倫理観との戦いがちょうどMAXになっていて、二人が全然会話してくれないんですよ。「でもとにかく形にしないと!」となって、なんとか提出したんですけど、三村さんから「聡子の気持ちが初めてわかりませんでした」と戻されて。
――わかっちゃうんですねえ。
高野: そのとき初めて、三村さんに弱音を吐きました。「もう聡子の気持ちが私にもわからなくて。描けないんです……。どうしよう……。でも頑張ります」って電話して。その後考え直して、「聡子の気持ちがわからないなら聡子視点で書くのをやめればいいんじゃん」とひらめきました。そこから真修視点で描き始めたらさーっとプロットが書けて、三村さんも一発「いいね!」をくださった。
――良かった!
高野: 私が混乱して崖から落ちそうになっているところを助けてくれるような、そんな編集さんです。
暗黒の「超絶ワナビー時代」を経て、マンガ家に
――デビューから3年ですよね。マンガ家になって変わったことはありますか?
高野: 読者さんのことをすごく意識するようになりました。私が描きたいものでも、これは誰も望んでないだろうなと思うと、考え直す。「サービス精神」にもつながるのかな。
――でも読者を「まひ」させたくないと言ってましたよね。自分が描きたいことと、読者の読みたいもののバランスは、どうやってとってるんでしょう。
高野: プロットを考える前段階で、「描きたいこと」「描かないといけないこと」「描いたほうがいいこと」の3つをそれぞれダーッと描いて、取捨選択してますね。描きたいことはすぐ埋まりますが、描いたほうがいいことでいつも悩む……。『私の少年』は現在、三村さんだけでなく、小林さんという若手男性編集者の方にも入っていただいているんですが、きゅんきゅんできるシーンのアイデアは、小林さんに助けていただいております。
三村: リア充なんですよね、あいつ。青春の思い出がたくさんある。
――きゅんきゅん担当なんですね!
高野: キラキラなんですよね。私の中学時代なんか、『NARUTO』のカカシ先生のことしか考えてなくて、友達と巻物みたいに長い手紙を書いていたというのに……。
――交換日記ってことですか?
高野: 妄想をずっと書き連ねた手紙ですね。「こういうの良くない?」って書くと、あちらから続きが返ってきて。
――それはイラストで? 文字で?
高野: 文字です。私が絵をまともに書きだしたのって、大学3年生のころなんですよ。
――えっ。非常に美麗な絵を描かれるので、昔から絵を描くのが好きなんだと思っていました。
高野: 全然! “超絶ワナビー時代”があって、悩んだあげくマンガを描き始めたんです。
――なんですか、その時代は……。
高野: なんとなく大学入って、勉強もそれほど真剣にやらないで、就活もやりたくなくて、毎日バイトとゲームだけしてたんですよ。そうしたら途中でバイト先が突然つぶれることになって、新しいバイト先を探さないとな? と思ったんですけど、またイチから人間関係を構築することを考えたらしんどくて。授業も単位とり終わっちゃってるし、そこからはゲームだけをひたすらプレイする生活に入りました。でも、ある日突然不安になってしまって。
――「ゲーム廃人」という言葉があるくらいですからね。
高野: 「え、こわいんじゃない? この状態」「私って、何者でもなくてやばくない?」と気づいてしまったら、止まらなくなってしまいました。「超絶ワナビー」の誕生です。
そこで「何とかしなきゃ!」と思い、先にマンガを描いていた友人に「マンガの描き方教えて」って頼んだんです。そうしたら「今からアナログの機材集めるとなるとお金かかるから、Comic Studioを買うように」と言われて、今に至ります。そのためマンガを描き始めたときからずっとデジタル派です。
――その友達、立派な方ですね!?
高野: 本当に素晴らしい子で、今でも親友です。その子こそが、中学時代私とカカシ先生の手紙をやりとりしていた子で。
――そこに伏線があったんですか(笑)。
「テーマ」を探すうちに芽生えた自我
高野: それでようやくマンガを描き始めたんですけど……何も描きたいものがないんですよ。デビュー前に、プロのかなり有名な作家さんが原稿を見てくださる機会があったのですが、そのときにも「この人は何が描きたいかわかってない。でも何かおもしろかった」というコメントをいただいて。そのとき初めて、「あ、マンガって、自分の『描きたいこと』を描かないといけないんだ」と思い知らされました。
そうして「テーマ」をどうしようと考えているうちに、自分の生きづらさをいろいろさかのぼって思い出して。そのとき、私は「人間」になってしまったんです……。
――マンガを描くようになって、自我が芽生えたと。それまでは生きづらさを感じてなかったんですか?
高野: ふわっと傷つくタイミングも、もちろんあったんだけど、まったく言語化してなかったんですよね。誰かの言葉が刺さったときでも「いや、いつもはやさしい子だし……」と流していて。でもマンガ家になる過程で、「あれって、悲しんでもよかったのかも?」ということを次々思い出していきました。
とはいえ、私の主観だから、きついところしか思い出せなくなると怖いじゃないですか。やさしかった瞬間のほうも覚えておきたいし、もっと客観的に物事を把握したい。そう思って、日記を始めました。
――どんなことを書いているんですか?
高野: 当初は、フラットな記録を残すことが主目的だったので、「疑問」を書いていましたね。いつかアンサーがわかったときに書きこめるようにしてるんですが、そういうクエスチョンがどんどんたまっていくうちに「私、こんな答えの出ないことばかり、何でいちいち気にしてるの!? ウーーッ」とフラストレーションがたまりだしました……。
――高野さん、真面目すぎます(笑)。
高野: 紆余曲折あり、今は“なんでもかんでもノート”になってます。打ち合わせメモもここに書いています。
――どういう文章がつづられてるんですか?
高野: 「パスポートの名義変更するのに6000円かかってめっちゃ辛いからめちゃくちゃ旅行行きたい」「中学の時のタイムカプセルに『持続可能な開発をつづけてください』と書いてあって厨二!! と憤死しかけた」みたいな感じです。めっちゃつらいと思ったことでも、後から見ると、面白く読めてしまうから不思議ですよね。
聡子を「ヒロイン」にしないバランスを心掛ける
――その日記は、『私の少年』にも生かされているんでしょうか?
高野: 生かしてないですね。自分の現実をあんまり入れてしまうと、「聡子の物語」になってしまうと思うんですね。ジェンダーとかルッキズムとかそういうことを乗せてしまうと、聡子が「ヒロイン」になっちゃうなあと。聡子がそれを一人で乗り切れるならいいけど、多分そうじゃない。だから彼女はそれらを負うことはせず、あくまで「二人の主人公」の物語を描くことに注力しています。今日記に書いていることは……おばあちゃんになったときに描けたらいいかな。
――ふと、以前インタビューで、「ネガティブな性格なので、外出するのすら怖い」という話を思い出しました。そんなにたくさん、いやなことが……?
高野: はちゃめちゃに起きますね。打ち合わせに行く途中なのに、電車で着席したら隣の人が酔っぱらいで「何座ってんだよおおおお」と怒鳴られたりとか。
――その日一日、地味にダメージを食らうやつばかりだ。
高野: 「私、ナメられやすいのかな……」と思うことも多くて。映画の「バーフバリ」にハマってからは、心のなかのバーフ指導のもと、めっちゃ弓撃ってますよ!! 「私が顔に入れ墨がある屈強な男だったらこんな目にあわないのでは!?」と夢想することは度々あります。
――突然の「バーフバリ」。ご覧になったきっかけは?
高野: 第1作目の「バーフバリ 伝説誕生」がテレビで放映されたときに録画して、しばらく放置していたんですね。で、第2作目の「バーフバリ 王の凱旋」が話題になったときに第1作を軽いノリで観てみたら、すーごく面白くて。「いいじゃんこの世界」と思って、「王の凱旋」を映画館に観に行ったら……大泣きでしたね。
――琴線に触れましたか。
高野: 2時間ずっと泣いてましたよ。ずっと「ジャンプ黄金期」みたいな映画じゃないですか。「面白いでしょ? でもこの後もーっと面白くなりますよ!」の繰り返しで、本当にクライマックスシーンしかない。最高のエンターテインメントですよね。久っっしぶりに、映画館で快楽に溺れることができたんです。
――あんなにも客観的だった高野さんが……! 「バーフバリ」の快楽は、『私の少年』に生かされてますか?
高野: それはどうだろうな……(笑)。強いて言うなら、国母の子どもの育て方と、真修のお父さんの子どもの育て方が似ているかもしれない。
――どういうところが!?
高野: 「バーフバリ」って、国母シヴァガミが子どもたちを「平等に平等に……」と育てたことで、かたやド無垢のバーフバリ父と、コンプレックスの塊のバラーラデーヴァが出来上がるという物語じゃないですか。それって、実は真修父の、真修と弟に対する向き合いかたと一緒なんですよ。「平等か公正か」ということは、実は私のなかで結構大きなテーマなんです。
――思わぬ着眼点が聞けて、また違った『私の少年』の楽しみ方ができそうです。
高野: 「よくある歳の差ものでしょ」というレッテルを貼ってしまった人ほど、一度読んでみてほしいと思っていますね。まさにこれから、読みごたえのあるテーマに近づいていくと思うので「どうせこうなるんでしょ?」というのを「おやっ」とひっくり返せるよう、これからも頑張ります。
――ありがとうございました!
(終わり)
試し読み:『私の少年』第4話
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