2019年5月29日、元サッカー日本代表の本田圭佑さんが「僕が10000円払うので、僕にサッカーを教わりたい人っていますか?」とツイートして話題になりました。5日後の6月3日、本田圭佑さんは「教える人を選ばせてもらいました」と報告。そして、同様の企画を今後も続けていくと宣言しました。
この企画の注目ポイントは、言うまでもなく、教える側の本田圭佑さんがお金を支払う点ですよね。普通なら生徒側がお金を払って教えをこうのに、教師側がお金を払ってワールドカップを目指してもらうのです。斬新な企画です。前代未聞の企画です。今まで、こんなことを考えた人がいたのでしょうか。
いました。それも2500年も昔に。
その人の名は、サモスのピタゴラス。そう、皆さんご存じ、中学の教科書に出てくる「ピタゴラスの定理」の人です。
どうしてピタゴラスは、本田圭佑さんの“お金を払って教える”と同じことをしたのか
数学史に名を残す彼ですが、ただの数学者ではありませんでした。数学者にして哲学者、政治活動家にして宗教家。彗星の尾のような長く美しい髪をしていたと言われ、多くの人から慕われる人物でした。その慕われっぷりは、彼を中心とした「ピタゴラス教団」なる団体ができるほどでした。
ピタゴラス教団は現代でも有名なので、知っている方も多いでしょう。いわく、数を信仰する宗教団体であったと。確かにそのような一面もありましたが、実はその他にも、政治団体や哲学者集団といった一面もありました。そして彼らは学問、特に数学の研究を行っていました。これは、ピタゴラス自身が知を愛しており、彼を慕う教団員もまたそうだったからです。
さて、そんな多くの人に慕われていたピタゴラスも、最初から慕われていたわけではありませんでした。
彼が弟子を集め、教団を作り始めたのは、彼が56歳のとき。エジプトやギリシャなどを巡り、天文、幾何、代数、音楽、その他さまざまな学問を究め、故郷のサモスに戻ってきた後、布教活動を始めたのです。
ピタゴラスが広めようとしたのは学問でした。自分が学んだ全てをサモスの人々に分かち与えようとしたのです。しかし、今も昔も、学問が好きな人は少数派です。人々は、ピタゴラスの言葉に耳を貸しませんでした。
ですが、ここはピタゴラスの故郷。彼はなんとかして、祖国に学問を広めようと画策しました。そこでひらめいたのが、本田圭佑さんもやっていた「お金をあげるから教えさせてくれ」作戦なのです。
ある日のこと。ピタゴラスはサモスの体育場である若者を見つけます。体格に優れ、ボールを巧みに操る若者でした。そして何より、とても貧乏な若者でした。そこでピタゴラスはこの若者を呼び寄せ、こう提案をしました。
「これから君に、体育に必要な食費と世話を十分に、継続的に与えよう。ただし条件がある。私の知る代数と幾何を、少しずつでよいから、持続的に教わり続けることだ」。
若者は承諾しました。代数と幾何に興味はなくとも、聞くだけでお金がもらえるならば断る理由はありません。ピタゴラスは彼に毎日少しずつ、図形の性質を教えました。そして1つの図形を教えるごとに、3オロボスを与え続けました。
するとどうでしょう。初めはお金目当てだった若者が、少しずつ学問への興味を抱き始めたのです! 教え方がうまかったのか、はたまた学問の持つ魅力のためかは分かりませんが、こうしてピタゴラスは祖国で1人の弟子を手に入れたのです。
“教える側がお金を払う”はなぜ合理的なのか
……と、ここで終わらないのが、ピタゴラスの真に賢いところです。若者が学問に興味を持ち、楽しんで授業を受けるようになった頃、彼はこう切り出しました。
「今まで君に、1つの図形ごとに3オロボス払っていたが、実は私も貧乏で、もうお金が払えなくなってしまったんだ。だから、授業は今日でおしまいだ」。
若者は「いえ、たとえ3オロボスなしでも、先生から諸学科の教えを受けられます」と答えました。それに対し、「しかし私自身、自分が生活するためのお金すらないのだ。だから本来なら、生活費を稼ぐために働かねばならない。一銭にもならない授業を続けることはできないのだ」とピタゴラス。
こうまで言われては、無償でもいいから続けてくれとは返せません。しかし、どうしても学問を続けたかった若者はついにこう言いました。
「それなら、今後は僕が先生にお金を支払います。つまり、1つの図形ごとに3オロボスを、僕が払いましょう」。
そもそも学問というものは、一度話を聞いたくらいで面白さが分かるものではありません。ピタゴラスが若者にしたように、長い時間をかけてじっくりと説明して、ようやく面白さが分かってくるものなのです。ですから、彼の「最初は教える側がお金を払って、学ぶ動機づけをする」という作戦は、理にかなっていたのではないでしょうか。
ちなみに、このピタゴラスの最初の弟子はボールを操るのが上手だったとか。ピタゴラスは魂の転生を信じていたそうですが、もしもこの弟子が現代に転生したら、サッカー選手になっているかもしれません。そして、師が自分にしたのと同じ方法で、弟子を得ようとしたり……なんてね。
※実際に教わった高橋さんは、もらった1万円を「使わず飾る」と話していたとか。すでに「お金はいらないから教えてほしい」という状態になっていたわけで、“大成功だけど、作戦はある意味、不発”といったところでしょうか
主要参考文献
- イアンブリコス『ピュタゴラス伝』佐藤義尚/訳(国文社、2000)
(キグロ)
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