「金をため込む老人は日本のガン」――そんな強い言葉に感化され、振り込み詐欺に手を染める若者を描いたドラマ「スカム」が放送中です。
同作は、鈴木大介さんの小説を原案として、社会から見放され、絶望的な状況に追い込まれた若者たちが、振り込め詐欺に手を染めていく姿を描いたオリジナルストーリー。作品の舞台設定は2009年、2000年代初頭に現れた振り込め詐欺が巧妙なものに発展した時期で、また、リーマンショックの影響などで職を失った一般層が詐欺業界に流入した時期でもあります。
杉野遥亮さんが演じる同作の主人公、草野誠実もまさにそうした人物。一流企業から新卒切りの憂き目に遭い、ローンの返済や家族の治療費に苦しむ中、望まずも振り込め詐欺稼業に手を染めていきます。
若者の貧困率が高齢者を大きく上回り、世代間格差が叫ばれる中、悠々自適に人生を謳歌(おうか)する高齢者たちへのぼんやりとした羨望(せんぼう)。そして、「貯蓄0円のヤツから200万円だまし取るよりも、貯蓄3000万円のヤツからだました方がいい」「金をため込む老人は日本のガン」など犯罪する側の論理に基づく言葉に感化され、特殊詐欺犯罪に手を染めていく若者たち。現代社会への違和感や閉塞感を覚える人には共感できる社会派ドラマに仕上がっています。
そうした刺激的な内容となっている同作ですが、目を引くのは、1人の人物が「企画プロデュース」「脚本原案」「監督」の三役をこなしていること。そこにはどんな意図があるのか、エイベックス・ピクチャーズの原祐樹さんその人に聞いてみました。
―― ドラマ「スカム」見ました。作品タイトルが英語表記だと「SCAMS」で、scam(詐欺)とscum(クズ野郎)のダブルミーニングっぽいのもいいですね。私は特に、「金をため込む老人は日本のガン」など劇中のメッセージにしびれたのですが、原さんはこのメッセージにどんな見解をお持ちですか?
原 やむにやまれぬ事情があるとしても犯罪の話ですから、嫌悪感を抱く人もいるでしょうね。ドラマの中で描いているのは、あくまで、犯罪に手を染めている人間の視点での「金をため込む老人は日本のガン」という考えで、僕自身がそう思っているわけではないです。でも、貧しい若者から見るとある種の事実。逆に高齢者からすると理不尽に感じるでしょうが、それも正しいんです。あくまで見方が違うだけですから。
このテーマは現代の日本社会をよく表していると思っています。僕がこのドラマで伝えたいのは、犯罪に手を染める若者も、だまされた高齢者も、結局はどちらも被害者で、そういう構造を作ってしまった社会に問題があるんじゃないかと。相手が置かれている状況をお互いが理解して、改善できるように考えていく方が建設的だと思うんです。
―― 原さんは社会の閉塞(へいそく)感のようなものを強く感じる性格、または世代ですか?
原 そうですね。僕は、リーマンショック後の新卒切りや内定取り消しが騒がれた時期にエイベックスに入社しましたが、同時期に、父親が末期ガンで余命1年を宣告され、大学に行くために借りた数百万円の奨学金も背負っていました。
幸い、父はその後5年近く元気に生きてくれましたが、ある日両親が「このままあと数年生きてしまうと、死んだ後に支払われる保険金の金額が大幅に下がってしまう。そうなると、家のローンを返済できなくなってしまう。だから早く死なないと」と話しているのを見て、「貧乏人は長生きすることすら許されないのか」と社会の理不尽さに怒りを覚えたし、ものすごく悲しかったんですよね。
鈴木大介さんの小説『老人喰い:高齢者を狙う詐欺の正体』を読んだのはそれから数年がたってからですが、漠然と感じていた社会の違和感や閉塞(へいそく)感の理由に答えが出た感じがしました。きっと同じような気持ちを抱いている若者はたくさんいて、そういう人たちにとって共感される物語が作れると思いました。
―― 若者と高齢者、お互いにとって救いのあるストーリーになっているといいなと願うばかりです。
原 基本的には悪いことをしている犯罪者ですから、ピカレスクものの典型として、何かしらの報いを受けるのは当然。完全なハッピーエンドになることはないでしょうね。
クリエイティブとビジネスをセットで考えられるプロデューサーになりたい――
―― 題材も好きですが、今作で私の興味を引いたのは、原さんが「企画プロデュース」「脚本原案」「監督」と1人3役をされていることです。こうした体制になるときは、どれか1つの役割では解決しない問題があるから、だと思うんです。プロデューサーと監督を兼務されたのはなぜですか?
原 兼務により、“クリエイティブとビジネスの両立”ができると考えたからです。具体的には、「クオリティーと投資の適正な判断」や「ターゲティングや宣伝の目線を踏まえたクリエイティブの調整」ができます。クリエイティブとビジネスをセットで考えられるプロデューサーになりたいと思っていますので。
―― 日本だと、プロデューサーがクリエイティブに口を出しすぎると煙たがられますし、監督や脚本家の中にはビジネスを見据えていないのだろうなと思わせる方もいます。つまり、プロデューサーはビジネスをみるもので、脚本家や監督はクリエイター、といったすみ分けがあるわけですが、それが原さんには違和感があると?
原 はい。面白い作品を作るにはクリエイティビティが必要ですし、仕事として映像を作り続けるには、作品をビジネスとして成立させなければなりません。だから本来、クリエイティブとビジネスは同一直線上にあって、不可分なものですが、日本では「別の役職の、深く入り込んではいけない領域」とされていますよね。
僕が大学生のころ、CGの会社でインターンをしたり、制作会社でバラエティー番組のADをしたこともあるんですが、そのときから制作会社は疲弊しているように感じました。地上波の有名な番組を制作しているのに、低い制作費のせいで給料も安くて、かつ労働時間は驚くほど長い。憧れていた業界に入ったはずなのに、みんな幸せそうじゃないように見えました。制作費についていえば今はもっと悪くなっていますけど。
また、同世代のADが暴力を受けているのを日常的に見ていて、自分が目指している映像の業界はやばいなと。本当は昔からの夢である監督を目指したかったんですが、お金を出す側に入れば、あるいはプロデューサーになれば、そうした構造を変えられるんじゃないかという気持ちはそのころに芽生えました。
―― そうした構造ってどうしてできたと思いますか?
原 複合的な要因がありますが、僕の感覚でいうと大きく2つ。1つは、日本は映像製作が学問として体系だっていないこと。例えば米国のテレビドラマは、脚本家がエグゼクティブプロデューサーを務めることが一般的ですし、映画でもスピルバーグやJ・J・エイブラムスのように、監督がプロデューサーを務めていることも多々あります。
―― 「ブレイキング・バッド」のヴィンス・ギリガンも、企画、製作総指揮、脚本、監督を務めて傑作を作り出しましたね。
原 そうですね。ビジネスを見据えたクリエイティブが実行されている証拠だと思うんです。
もう1つは、日本でテレビ放送が始まった当時、テレビの映像制作に従事したのは主に新しい人たちで、映画とテレビの業界が分かれてしまったように思います。テレビはどちらかといえば低コスト・効率重視のやり方で、映画は時間を掛けてでもいいものを作ろうとするアーティスト的感覚。近年ではテレビ局も映画に参入してきて、ヒットも飛ばし、アーティストの上にビジネスマンが立つような構造ができたことで、お互いに「お前何も分かってない。口を出すな」的な感覚を両方が持つようになり、その溝が深まっていったように思います。
―― 効率重視も決して悪くないと思いますが。
原 もちろん効率重視がダメ、というわけではなく、バランスなんですよね。ただ、僕の価値観では、現在の日本の映像業界は低コスト・効率重視に偏り過ぎている印象があります。これは、長い目で見ると続かないと思うんです。
目先のことを考えれば効率重視で数を回すのはアリですが、思いのこもっていないものができやすいのと、お金を掛けないことで海外でも売れないようなものになって結果的に負のスパイラルに入っていくのは目に見えているので。
日本の映像業界の体質に思う危機感
―― 昨今の映像業界は原さんの目にどう映っているのかもう少し伺えますか。
原 大きな変革の中にあると思います。
日本における近年の映像ビジネスのプレーヤーは、3種類に大別できます。「監督や脚本家、現場スタッフなどのクリエイター」と「テレビや劇場、配信サービスなどのプラットフォームを有するプロデューサー」、そして「パッケージ制作などの2次利用を担う事業プロデューサー」です。
―― 映像ビジネスの収益の大半を担ってきた「配給」と「パッケージ」ビジネスのうち、パッケージが担っていた収益は配信ビジネスに流れていますね。
原 おっしゃるように、映像ビジネスの収益比率は「配給」と「配信」に大きく偏り始めています。つまりは、「クリエイター」と「プラットフォームを有するプロデューサー」だけでビジネスが成立するわけで、それ以外のプレーヤーが参入しづらい状態に陥ると思っています。
―― エイベックス・ピクチャーズの映像事業はどちらかといえば、事業プロデューサーとしての立ち位置だといえますが、その存在意義がなくなってしまう不安がある?
原 僕個人としての見解ですが、プラットフォームを持たない会社に所属する自分がこの未来で生き残るには、米国のプロデューサーのような「クリエイティブを兼ね備えたプロデューサー」になるしかないと思っていますし、そしてこれが映像業界で生き残るために取るべき方法の1つだとも思っています。
―― 今作はNetflixでも配信されていますよね。エイベックス・ピクチャーズならdTVでの配信がセオリーかと思ったんですが、Netflixでの配信があるとビジネス的にも固いという判断ですか?
原 Netflixがやっているエッジの効いた作品を僕が個人的に好きだったことも大きいのですが、今回の題材はNetflix向きだと最初から思っていました。日本のコンテンツは国内だけの配信で買い付けられていることも多いそうですが、今作は、Netflixも僕のおとこ気に賭けてくれてグローバル配信して頂けることになりました。
―― お話を伺ってきて節々で感じるのは、制作費の削減などで守りの方針を採るのとは違って、原さんは“攻め”の判断を下されていますよね。そうした判断を下すに至ったスカムのポテンシャルをあらためて伺えますか。
原 繰り返しになりますが、作品のテーマ的に今やるべきだと強く思っていました。
映像作品を見るのはすごく時間を使いますよね。映画なら2時間、ドラマでも総尺で少なくとも4、5時間。それだけの時間を費やすのに見た後に何も得られない作品はダメだと思うんです。そういう意味で、見たことがない裏の世界を見られたり、新しい知識や社会に対する新しい価値観を得られたりする題材だと原案を読んだときから感じていました。
また、クライムものや裏社会ものは固いファンがいるジャンルなのでビジネス的な面でも勝機がある。そして何より、“攻め”の判断を下すときに脚本ができていて、これは面白いという感覚が製作スタッフみんなにあったことです。
今回の作品を通して僕が試みたのは、“プロデューサーによるクリエイティブとビジネスの両立“です。日本の映像業界の体質を変えないと、という危機感から行いました。ですが、僕もまだ入口に立ったばかりで、一人でやっていたら実を結ぶのは10年は掛かるんじゃないかと思っています。でも、何人かでやれば数年でも実現できるんじゃないかと思うんです。このような問題意識や価値観が近い人たちがいたら、みんなでこの問題を考えていきたいですね。
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