“個人の時代”に個人で出来ないその先へ:クリエイターズ・サバイバル アーティストの戦略教科書 第3回 loundraw×石井龍(1/2 ページ)
イラストレーターのloundraw氏と、マネジャーでありプロデューサーの石井龍氏にインタビュー。
「クリエイターズ・サバイバル アーティストの戦略教科書」とは
クリエイターに役立つ情報を発信するWebメディア「いちあっぷ」がお届けする連載企画。ねとらぼエンタでは、各インタビューの前編を転載掲載していきます。後編は「いちあっぷ」のサイト内でご覧ください。
まばゆい光の中に佇む少年少女。イラストレーターloundraw氏の描くイラストは写実的でありながらどこか幻想的な雰囲気も纏った独特の世界を描き出す。
彼のイラストレーターとしてのキャリアを支え続けてきたマネジャーでありプロデューサーの石井龍氏は、稀代の天才クリエイターを独自の哲学を持って次世代を代表するクリエイターへと導く存在だ。
イラストレーションのみならず、作詞や小説などの執筆、楽曲制作などあふれる才能を多彩に輝かせるloundraw氏と石井氏は2019年1月にアニメーションスタジオFLAT STUDIOを設立。
「クリエイターズ・サバイバル アーティストの戦略教科書」第3回。前編ではそれぞれの経歴について伺うとともに、2人の築く従来のアーティストとマネジャーとは異なる特異な信頼関係、これからのクリエイティブマネジメントに迫る。
マルチ化するクリエイターとマネジャーの関係性
―― loundraw氏はイラストレーターとしてキャリアをスタートさせたが、小説や作詞など言葉を紡ぐために筆をとることもある。マルチなクリエイターが存在感を増す現代にあっても、その表現の多彩さは特質的だ。
loundraw イラストレーションを出発点として、漫画やアニメーション、小説や音楽などジャンルを越えて幅広く活動をさせていただいていますが、人間の感情や自分の考えていることを表現したいということが軸としてあるので、それが結果としていろいろな表現につながっている感覚です。
―― 傍らでloundraw氏を支えるのは石井龍氏。肩書としてはアーティストマネジャー、プロデューサーといったものに当てはまるのだが、制作やクリエイターとの関わり方は一般的なそれとは異なっている。
石井龍(以下石井) loundrawのアーティストマネジメントとして、彼が集中できる環境を整えたり、もっと大きなくくりでいえばプロデュースも兼務しています。
いわゆる“プロデューサー”のように、loundraw個人をプロデュースしているというよりは、制作プロデューサーとしての面が強く、マネジメントしながら彼が関わる作品の制作もしている状態です。
一般的なマネジメントのイメージでは、アーティストの案件やスケジュールの管理が主な業務だと思うのですが、僕の場合はたぶんもう少し現場に寄っていて、より近い距離で制作にも関わっているというような立場ですね。
―― その時代の中でマネジメントも求められることが多様化していくのだろうか。
石井 今後マネジメントという職務には、いろんなオプションがついてくると思っています。
もちろんクリエイターの環境整備というのは何より重要な仕事ですし、その優先度の高さはこれからも変わりませんが、そこに加えて僕のように制作プロダクション的な技能を持ち合わせているような人間が出てくるかもしれません。
他にも法務関係に強い人やマーチャンダイジングに特化している人など、マネジメントといえど多様な切り口を持ったタイプの方が出てくるでしょうね。
loundrawのような、「伝えたいことや込める思いが共通していれば表現方法は問わない」というスタンスは今の時代を象徴していると思っているのですが、それはきっとクリエイター以外にも当てはまることなんです。
一つのことを突き詰めるのは大切ですし、マルチに何でもできるからよいということでは決してないのですが、自分の中に核となる軸があれば、アウトプットの方法はいくつかあるという姿勢は、クリエイターだけでなく多くの職務において増えていくのではと思います。
―― 今ではイラストレーターとしての地位を確立しているloundraw氏だが、そもそも絵を描き続けてきたきっかけは、漫画の模写を褒められたことにあるという。
loundraw 絵を描き始めたきっかけは、明確に覚えてはいませんが、一番古い記憶にあるのは『名探偵コナン』の模写を褒められたことです。
家系が学術系の道に進むことが多くて、僕も美術館や博物館に行くことが多かったので、教師やプログラマーなどの道に進むだろうなと思っていました。なので漫画家やイラストレーターになろうとは考えておらず、そもそも選択肢すら浮かんでいませんでした。
そうして絵を描き続けて、大学に入るころにはお仕事をいただくようになりましたが、それでも本業にすることは考えておらず。生活や将来性などを考えると、副業で絵を描けたら幸せだな、程度に思っていました。
就活するかしないかという時期の大学3年生の終わりごろに、所属事務所であるTHINKRから東京に出てくるならマネジメントという形で協力するけどどうかと声をかけていただきました。人生においても滅多(めった)にある機会ではないし、挑戦できるならやってみたいと思って、専業のクリエイターとしてやっていくことになりました。
イラストレーターとして東京へ出てきましたが、個人的には正直、イラストレーション以外の道が開けるとも思っていませんでした。イラストレーターとしてどう活動を広げていくかは考えていたので、他のやり方でもアプローチできるのであればやってみたいといろいろな表現に挑戦している感覚なので、表現法は増えていても、軸となるマインド自体はずっと変わっていないですね。
loundraw 東京に出てからは石井さんとずっと一緒に仕事をしているのですが、最初のころは石井さんと「loundrawとはどういうクリエイターなのか」という話をしていたんです。
絵を描くことが全てなのか、それとも別に表現したいものがあるのか、ゴールはどこなのか。そういう話し合いを重ねる中で、いわゆる一般的なマネジャーとしてスケジュールの管理だけをしてもらうのは最適な関わり方じゃないなという結論にいたり、今のような特殊な関係になっています。
loundrawという個人をいかに最大化していくかということを一緒に考え、チームとして取り組んでいるという感覚なので、直接制作活動に関わること以外も考えなければならないこともあります。そういう意味では負担は大きくなるのですが、僕としてはこのやり方のほうが結果的によいものが生み出せるという感覚があります。
―― loundraw氏の多岐にわたる活動を支えるマネジャーでありプロデューサー。石井氏もまた特異な経歴の持ち主だ。
石井 大学3年生のときにインターンでこの会社に入ったところからキャリアがスタートしています。当時はPUBLIC/IMAGE.ORGという自社メディアの編集が主な仕事で、外部のメディアの編集も手掛けていました。そこから2.5Dというライブストリーミングスペースを立ち上げ、番組ディレクターとしてコンテンツ制作をすることになり、THINKRの設立に併せて本格的にデザインプロデュースやマネジメントもするようになっていきます。
ディレクションやプロデュースなど、より制作の現場に関わるようになりましたが、基本的には受託で何かを作ることが多かったです。ですが、何かを作るときに受託としての関わり方ですとどうしても携われない領域が出てきました。
加えて編集者になったころから何か物事が変わる場面や、時代が一人の才能によって変化する瞬間を見たいという欲求があり、マネジメントとしてクリエイターたちと行動をともにすることでそうした要望がかなえられると思いました。これまでさまざまなことに取り組んできたように見えますが、自分としては根元にある思いは変わっていないと考えています。
―― 現在のようにカルチャーに傾倒する前は、プロアスリートを目指すレベルで本格的にスポーツに取り組んでいたという。
石井 水泳、サッカー、野球に打ち込んでいて、どの競技もいわゆるプロフェッショナル育成コースのようなところに所属していました。野球でいうと、そのころのチームメイトや対戦していた選手たちはプロになっている人も多いです。
本格的にスポーツ一筋でしたが、高校生のときに一気に辞めたくなってしまって。5歳くらいからずっとスポーツ漬けでしたし、友達と遊ぶ時間も一切なかったので、たぶん折れちゃったんでしょうね。
それまでプロアスリートを目指す選手たちがいるような環境で切磋琢磨(せっさたくま)していたはずが、スポーツからフェードアウトして翌週にはスーパーでアルバイトをしていました。今思えば自分が甘かったと思いますが、当時はメンタル的にも結構やられていて、そのころに小説や漫画、音楽などの芸術やエンターテインメントに救われたんです。
そもそもアスリートを目指していたころも、1人のスター選手というよりは、それが集うチーム感に憧れていて、表舞台に立ちたいわけではないけど、そのクルーになりたいと思っていました。
なので“カルチャー”と称される分野に触れ始めてからも、最初はバンドに憧れていたので、何かしらバンドに関わるチームの一員になりたいと思い始めたんです。
―― 美術館や博物館によく通っていたloundraw氏とスポーツに打ち込んでいた石井氏。少年時代の風景は大きく異なるが、ともに創作に取り組む2人の現在のマインドはきれいに一致しているように見える。
石井 完全に一致しているわけじゃありませんよ(笑)。アーティストサイドの彼らは“選ばれし者”ですから、タッチできない領域はどうしてもあるんです。
ですが、僕はそこも見てみたいとも思ってしまうタイプなので、loundrawはもちろん、多くのクリエイターさんとの仕事を通じて、間接的にも彼らの見る特別な世界を間近で知れるのはうれしいし、いい仕事だなと思いますね。
―― 一見特殊な2人の関わり方。「いい仕事」と語る石井氏に対して、loundraw氏の抱く感触は。
loundraw 心強いなと思っています。当然、最終的な称賛や批判を受け止めるのは全て僕なのですが、そもそも1人ではここまでたどり着けませんでした。
たくさんの人が時間を割いてくれているのもありがたいですし、それに対して責任も感じています。ただ、日々の積み上げを1人でしているわけじゃないというのは、大きなモチベーションにもなっているんです。
単純に仕事の規模が大きくなってくるとプレッシャーも増えますし、1人でもなんとかなるぜ、とも思えなくなってきました。だからこそ、なおさら周りに人がいてくれるのはありがたいですね。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 自分に正直な漫画を毎回全力で描く
『うしおととら』『からくりサーカス』などの藤田和日郎さんにインタビュー。 - 漫画を描いていない時も漫画家は漫画家
『I’ll〜アイル〜』『テガミバチ』などの浅田弘幸さんにインタビュー。 - 巨匠・モンキー・パンチ、“漫画の神様”手塚治虫を語る 「手塚先生がいなければ漫画家になってなかった」
「手塚治虫文化祭 〜キチムシ‘16〜」の開催を記念し、手塚るみ子さんとの対談が実現した。 - 不登校と漫画と鳥山明――漫画を描き続けて自分と世界が変わるまで
漫画家・鳥山明氏が「思った以上に漫画を描く事が彼を救っていたようだ」とコメントを寄せた棚園正一氏の『学校へ行けない僕と9人の先生』。強烈な孤独とそこに射した一筋の光を描いた同作品の誕生秘話を聞いた。 - 連載を取り消された漫画家の復活劇――『あいこのまーちゃん』が書店に並ぶ日
「不健全図書」に該当する可能性を指摘され、連載中止となった漫画『あいこのまーちゃん』。同作の単行本化に向け、クラウドファンディングやニコニコ生放送、273時間の作画配信などさまざまなことにチャレンジしてきた漫画家・やまもとありさ先生とは一体どういう人物なのか。ロングインタビューでやまもと先生に迫った。