映画「MOTHER マザー」レビュー 長澤まさみが共感度ゼロな毒親になる、もはや実写版『連ちゃんパパ』な暗黒映画(1/2 ページ)
「MOTHER マザー」は長澤まさみが共感度ゼロの毒親になってしまう、もはや実写版連ちゃんパパと呼んでも差し支えない“暗黒映画”だった。
7月3日より、映画「MOTHER マザー」が公開されている。実際の殺人事件をベースとし、長澤まさみが主演をつとめた本作は、“毒親”※によるクズエピソードがオンパレードな内容だった。そして、令和の時代に発掘され話題を集めたマンガ『連ちゃんパパ』を強く連想させる作品でもあった。
どのようにこの世に遍在する最悪が噴出しているのか、たっぷりと記しておこう。
1:クズエピソードのオンパレード
本作の主人公である毒親は、完全に母親として、いや人間としてもアウトだ。仕事をサボって(すぐに辞めて)パチンコにのめり込んでいて、すでに借金をしている両親にカネを借りに行って追い出される。映画が始まって5分程度でこれである。
続いて、この毒親はゲームセンターで出会ったホストの男と意気投合し、幼い子どもをアパートに放置したまま何週間も2人で遊びまくって、生活保護も使い切る。もちろん、子どもを小学校に通わせることすらしていないし、電気もガスも止められてしまう。
しかも、この後に2人はある出来事をきっかけとして、子どもと共に逃亡生活を送ることになる。その過程のクズっぷりは、もはや「笑うしかねえ」と乾いた笑いが出るほどだ。ここまででも、映画の序章に過ぎないのだから恐ろしい。
そして、本作と多くの符合があるのが、前述の『連ちゃんパパ』である。同作では平凡な高校教師だった男が、失踪した妻を探す道中でパチンコに手を出し、その後に様々な悪事に手を染める。かわいい絵柄とのギャップのある悪魔のような所業の数々を見れば、SNSで「クズの見本市」「ゴミが人のようだ」「マンガでわかる真の邪悪」などの凄まじい形容がされたことも当然だとわかるだろう。
この映画「MOTHER マザー」と、マンガ『連ちゃんパパ』との共通点を箇条書きであげると以下になる。
- 基本的にクズエピソードのみで構成
- 共感度ゼロの毒親×2
- その毒親がパチンコ依存症
- 子どもと一緒に旅に出る
- 良識のある人物もいる(相対的に毒親のクズぶりが際立つ)
- 物語は基本的に悪い方向にしか向かわない
- 「ひょっとすると良いこともするのでは」という希望は、だいたい次のシーンでぶち壊され絶望へと変わる
- 毒親に振り回される子どもがひたすらにかわいそう
- “妹が生まれる”事実も最悪な気分にさせてくれる
両者のさらなる共通点は、(こうした題材の作品に使う表現としては適切ではないかもしれないが)作品としてしっかり“面白い”ということ。地獄の底を覗き込むような感覚、最悪だと思ってもさらなる最悪が待ち受けている様は、そのエスカレートぶりも含めてエンターテインメントとして楽しめてしまうのだ。
2:長澤まさみでなければ成立しないキャラクター
本作で主演を務めるのが長澤まさみであるということも重要だ。長澤まさみの優雅・かわいい・カッコいい・美しいといったパブリックイメージを完全相殺するほどに、前述した毒親のクズエピソードはキッツイのだから。
逆に言えば、長澤まさみでなかったら、本作は作品として成立しなかったのではないか。彼女が本来持っているキュートさ、親しみやすさは、「ひょっとすると良い母親にもなれるのでは」という“希望”をかすかに感じさせる。それは観客を良い意味で翻弄させてくれるし、ある程度はクズエピソードの不快さも和らげてくれる上、何よりも彼女を母親として慕ってしまう息子の気持ちに共感させる効果すらある。
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