SF(すこし・ふしぎ)映画の最高峰「ドロステのはてで僕ら」をきみは見たか? 大絶賛の5つの理由を全力で解説(2/3 ページ)
映画「ドロステのはてで僕ら」は、全編ほぼワンカット・リアルタイム進行の映画の最高傑作であり、この世で一番面白い70分間だった。
何しろ、タイムテレビで映るのは「今から、この(全く同じ)ことを2分前の自分に教えてやれよ!」などといった“2分後の未来”からの指令だ。タイムテレビを見た者はその2分後の自分と全く同じ言動をすることを“強制”されている、と言ってもいいだろう。その登場人物の2分後の未来へのつじつま合わせのための奮闘は、演じている役者たちの努力そのものに完全に重なっている。
助監督をつとめた鍋島雅郎も、「未来や過去のテレビと、現在の演者が掛け合わないといけないから、0コンマ何秒単位で管理をしなければならなかった」と語っている。撮影時には追い打ちをかけるように、玄関周りで謎の漏水があったり、隣の元コンビニに工事が入ったり、3日間連続で雨が降ったりといった想定外のトラブルも発生し、余裕をもって設定したはずのスケジュールはずれにずれていたそうだ。撮影が行われたのは連日およそ18時すぎ〜翌6時という深夜で、全ての撮影が終了したのは、撮影の予備日として設定していた7日目の日が昇る前という、本気でギリギリのタイミングだったのだという。
本作の予告編の最後にある“NGシーン”では、主演を務めた俳優・土佐和成の、セリフを間違ってしまった時の、心が折れるほどの本気の落ち込みっぷりが伝わってくるだろう。
「作品の向こうに作り手の必死の姿が見える」ということ、「登場人物の奮闘がイコール役者たちの努力である」ということ、何より(擬似)ワンカットの映画であり、そして低予算のインディーズ映画ながらべらぼうな面白さに満ちていることは、あの「カメラを止めるな!」に通ずる。「『カメ止め』の衝撃と感動再び!」というほどの期待を抱いて見に行っても、十分に応えてくれる作品である。なお、その「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督も本作を絶賛するツイートを投稿している。
3:小さな範囲のSF(すこし・ふしぎ)の魅力
先日に地上波放送もされた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が名作と謳われている理由の1つには、「小さな範囲のタイムトラベル(パラドックス)を描いていること」が挙げられるだろう。世界の危機や人類の起源といった壮大なことではなく、「自分の母親と父親は若い頃に何をしていたんだろう?」という誰もが抱いたことのある疑問に答えるかのようなミニマムな内容であり、だからこそ感情移入がしやすかった。
この「小さな範囲だからこそ面白い」というのは、「ドロステのはてで僕ら」に通じている。しかも、こちらで分かるのはたったの2分後の(もしくはもう少しだけ先の)未来であり、登場人物がいるのも1階にカフェがある雑居ビルのみという、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」よりもさらにタイムトラベルまでの時間も短く、舞台も狭い、という内容にもなっている。
主人公が抱えている悩みも「気になる女性をライブに誘いたいけど、その勇気が出ない」というありふれた小さなもので、だからこそ万人が共感できるものになっていた。何気ない出来事や映り込んでいるものがしっかりと伏線として回収される物語の妙、何度見ても新しい発見があるほどに作り込まれていることも、両者で共通していた。
小さな範囲だからこそ、日常の延長線上にタイムトラベルがあるからこそ面白い、というのは、サイエンス・フィクションという意味のSFというよりも、“すこし・ふしぎ”のSFにも近いといえる。
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