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なぜ『ダンダダン』には“高倉健”が重要な存在として登場するのか オカルト・SF・ラブコメ「何でもあり」の物語が描くもの水平思考(ねとらぼ出張版)(1/2 ページ)

高倉健から読み解く『ダンダダン』のテーマとは。

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 オカルト漫画であり、SF漫画であり、能力バトルでありラブコメでありつつ、大友克洋、荒木飛呂彦、さらにはウルトラマンやバルタン星人などのデザインをしたデザイナーである成田亨といった先達のクリエーターたちからの影響を濃厚に感じさせる作品。そんな風に紹介されたら、一体どんな漫画を想像するだろうか。そもそもそんなにも雑多な要素をぶち込まれた一本の漫画作品など実在しうるのだろうか。

 その漫画は、実在する!

 それは毎週火曜日にほぼ休むことなく毎週更新され、そのあまりに高密度な作風によって毎週のように大きな反響を巻き起こしている。それが今回紹介する漫画、『ダンダダン』作品ページ)である。

ダンダダン 『ダンダダン』1巻/2巻(Amazon.co.jpより)

ライター:hamatsu

hamatsu プロフィール

某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。

Twitter:@hamatsu



 ネット上の媒体である少年ジャンプ+にて、連載開始するやいなや大きな話題を呼び、またたく間に猛者がひしめくジャンプ+連載陣のトップ集団入りを果たした『ダンダダン』であるが、この漫画ほど面白さを言葉で説明することが難しい漫画もないだろうし、読んでさえしまえばこれほど分かりやすい漫画もない。

 ざっくりこのストーリーのさわりを紹介してみると、

 両親がおらず、霊媒師の祖母に育てられた幽霊の存在を信じる少女と、オカルトマニアでオカルト雑誌を読みふけり、宇宙人が地球に来ていることを信じる少年がふとしたきっかけけで出会ったものの、幽霊を信じる少女は宇宙人を信じず、宇宙人を信じる少年は幽霊を信じないことから対立が生じ、互いに信じるものを相手に認めさせるために心霊スポットとUFOスポットにそれぞれ出向き、そこで宇宙人と心霊現象に同時に遭遇してしまったことから、なんやかやあって地球人を調査しようとする宇宙人と、人間を呪おうとする怪異が激突する中で、主人公の少年少女もまたさらされる脅威に立ち向かうための能力を獲得し、当初あった対立の溝が埋まり互いの距離感を縮めていく――

 ――という、急転直下型のボーイミーツガールストーリーである。

 うん、言葉で説明してみるとやっぱり訳が分からない。

 だが、この漫画は読んでしまいさえすれば、冒頭で述べた、オカルト、SF、能力バトル、ラブコメやその他もろもろの要素を、本作は圧倒的な画力と見事な構成力によって、余計な説明ゼリフを排した具体的なアクションの連続として、『ダンダダン』というタイトルそのままに読者の身体に一つ一つのセリフを、コマを、容赦なくたたき込んでくる。

 だから本作の魅力を知りたければ、何も言わずジャンプ+にアクセスして読めば良いのである。幸いジャンプ+はアプリであれば1回は無料で読める。今すぐアクセスして読んでみよう! オススメです!! 以上、紹介終了!!!

 なんてことだけで終わってしまうのであれば、わざわざこんな文章を書く必要は無いのである。なぜあらためて『ダンダダン』についての文章を書くのかと言えば、一見無軌道に暴走しているかのようにも思える本作が、実は明確な主題を持っている作品だと私は考えているからだ。

 本作の第1話の冒頭と最後にはある有名な人物の名前が登場している。それは「高倉健」である。彼こそが、『ダンダダン』という漫画の鍵を握る非常に重要な存在であると私は考えている。

ダンダダン 第1話より

 既に述べたようにあまりに多彩なコンテンツのさまざまな要素がこれでもかと詰め込まれた本作だが、その中にあっても「高倉健」という存在は異彩を放っている。だが、この「高倉健」こそが『ダンダダン』という作品を読み解く上での重要な鍵であると私は考えている。そもそも重要でなければ、第1話においてあれほど印象的な登場の仕方はしないだろう。 

 なぜ『ダンダダン』には「高倉健」が重要な存在として登場するのだろうか。


「高倉健」のいない世界で

 そもそも「高倉健」とはどのような人物か。

 「高倉健」は日本映画、特に任侠映画の代表的なスターであり、戦後の日本映画界における最も有名なスターである。 

 彼の映画でのイメージを一言でいってしまえば、それは「男が憧れる男」ということになるだろうか。実際の映画をよくよく見てみると意外と幅広くさまざまな役柄を演じてきたりもしたものの、おおむねのイメージとしては、寡黙で不器用だが「弱きを助け、強きをくじく」を体現するかのような存在ということになるだろう。

 そしてそんな「高倉健」を理想の男性として一種崇拝すらしているキャラクターが本作の1人目の主人公、綾瀬桃なのである。

 彼女にとって「高倉健」とは唯一無二の理想の男性であると同時に、彼女自身もまた彼のように生きたいと考えるロールモデルでもある。女性でありつつも男性である「高倉健」のように生きたいと思い、同時に高倉健のような男性と付き合いたいとも考えているのが本作のポイントだ。

 だが、その「高倉健」的な男性を求めようとする気持ちは一種盲信的ですらあり、危うさを孕んでもいる。第1話の冒頭の時点で、顔が若干似てるというだけで内面的には全く懸け離れているどころか似ても似つかないクズのような男と付き合っていたものの、あっさり破局する始末だ。

ダンダダン 第1話より

 一方で、彼女にとって「高倉健」とは、理想の男性であると同時に自身が生きていく上での模範であり、規範でもある。彼女はとある危機的状況に立たされた人物に接した上で、こんなことをいう。

ウチがLOVEなケンさんだったら こういう時どうするだろうって
いつも迷ったらそう考えることにしてて 今までそれで後悔したことないの
んでさ
ケンさんなら 100%(ひゃくぱー)助けるんだわ
だからウチもそうする


 困った人を見たら助けずにはいられないという綾瀬桃は、まぎれもなく物語のヒーローの資格を持った人物である。そして「高倉健」の生き方に感銘を受け、彼のように生きようとするその姿は、『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部における通りすがりの不良に命を助けられ、自分もまた彼のように生きようとした東方仗助のようであるし、期せずして自分が助けたギャングがその恩を返してくれたことで自分もまたギャングになろうとする第五部の主人公、ジョルノ・ジョバァーナのようでもある。

 しかし、彼女にとって「高倉健」とは理想の男性の姿でもある。そしていくら「高倉健」を崇拝したとしても、彼女が生きる現実に「高倉健」はいない。彼が活躍した時代は半世紀以上も昔のことであり、彼が体現していた「男らしさ」とはあくまでも虚構の中の一種のファンタジーにすぎないからだ。

 よくよくこの『ダンダダン』という漫画を読んでみると、女性に対して平気で暴力をふるい、性のはけ口としてしか見ないような、いわゆる「有害な男性性」を体現したかのような男性キャラクターが多く登場していることに気付かされる。

 なぜそのような男性が多く登場するのかと言えば、そういう男性が実際の現実に当たり前に存在しているからだろう。そのような現実を前に、究極の理想である「高倉健」を求め、そして誰よりも「高倉健」であろうとするのが綾瀬桃というキャラクターなのだが、そんな現実に打ちのめされて絶望しつつある彼女の前に「自分、不器用なんで…」という「高倉健」のあまり有名なセリフを発する本作のもう一人の主人公こそが、その名もずばり「高倉健」なのである。

ダンダダン 第1話より
ダンダダン 第1話より

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