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【「ソウルハッカーズ2」否定寄りレビュー】取捨選択を間違えて差別化しきれず、女神転生とペルソナを継承するには力不足 ターゲティングも誤ってしまった(2/6 ページ)

悪魔や神話、前作に対する無邪気さと続編としての在り方が信頼を損ねている。

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前作にも神話にも興味を感じられず、新規にも振り切れていない

 まず当然の帰結として、本作は「ソウルハッカーズ」の続編として発表されている。発表時、アトラスファンの周辺は大いに荒れた。動画のコメント欄、Twitter、海外の掲示板、その他を調べても、発売前から賛否渦巻く状態だ。正確に言えば、発表直前までは期待感に溢れていた。当時、Twitterを検索してアトラスファンの反応を探っていても、喜ばしい反応で埋まっていたことを覚えている。それが崩れたのは、正式にゲーム画面が公開された生放送だ。コメント欄は荒れに荒れ、界隈(かいわい)は大きく揺らいだ。海外ユーザーですらも賛否両論だった。それもそのはず。UIは明らかに「ペルソナ5」を意識したものであり、悪魔を装備品として扱いつつ、パーティは人間のサマナー4人となるバトルも従来のサマナーとは大きく異なるものだったからだ。あまりにも様相を変えたことで、本作は発売前から批判を浴びた。

 個人的には、そうした変化自体は受け入れるべきものだと考えていた。新作として面白いものであれば、前作から大きく変わること自体は望ましいことだからだ。だからこそ、自分は発売前に「遊ばないでこれじゃないと言うのはやめよう」と周囲に語ってきた。アトラス作品が変化することで、発売前に荒れることはこれまでにもあったから信じていたのだ。

 しかし、実際に発売された作品は期待を大きく下回っていた。ゲームとしてはそこまで悪くないが、変えた割にはあまりにも凡庸。変化の意味を感じられなかった。既存のシステムを縮小再生産したものに「ソウルハッカーズ風」の世界観。「ペルソナ2罰風」の大人という立ち位置。「ペルソナ3風」の絆(相互理解)という要素がソウルレベルとして導入され、女神転生シリーズ及びペルソナシリーズとの差別化に成功したとはいえなかった。

 今になって思い返してみれば、発表時に続編として期待したことそのものが間違いだったのだろう。あえて詳細は書かないが、発売決定記念特番中の発言や限定版のアニバーサリーブックにある「新生ソウルハッカーズ」という言い回しを見ても、正当な続編ではなくリブートに近い物であることは明白だった。掲載されている企画書を見ると、当初は「デビルサマナー」として作ろうとする意識が見えるのだが、出てきた物は今のリブートに近い形の何かだ。それでは、ファンの大半に愛されることがないのは当然かもしれない。

 いっそのこと新作として振り切っていれば良かったのだが、下手に古参を意識しているために中途半端になってしまっている。「女神転生」になりたいのか、「デビルサマナー」の冠をはずしてもサマナーとしての続編にしたいのか、「ペルソナ」にあやかりたいのか、「幻影異聞録♯FE」のリベンジをしたいのか、自分たちの新たなIPとしての「ソウルハッカーズ2」にしたいのか。完成した作品は、どこを向いているのかよく分からない内容だ。

ソウルハッカーズ2 レビュー

 作り手は敬意を込めているつもりで、単語や世界観を使っているのは遊んでいても分かる。しかし、それは全体的に浅かった。例えば、本作には「ビジョンクエスト」と呼ばれるダンジョンを攻略してから回想シーンを見る仕組みが存在している。これは、前作の根底に置かれた神話がネイティブアメリカン・アルゴンキン族の伝承からくるもので、夢から啓示を得る先住民族の通過儀礼をシステム化したものだ。前作では、バーチャル世界のメタバースである「パラダイムX」を夢の世界と見立てて、他者が志半ばで力尽きるまでの人生を追体験した。魂の旅路を行い、夢(VR)の啓示を得る形でネイティブアメリカンの「ビジョンクエスト」を再現していたのだ。ゲームにおいてネイティブアメリカンの儀式を再現するにはどうするか。そこを考えたうえで、当時なりに文化を尊重した使い方をしていた。

 前作では、ネイティブアメリカンの儀式を参考にしたものであることから、コヨーテやウサギなどの姿に変わったレッドマンが儀式の案内人を務めていた。作中では、志半ばで力尽きたダークサマナーの人生を追体験することで、そのバックストーリーが語られ、電霊としての表現をされた神話の精霊や悪魔たちによる事件の核心に迫っていくという構成である。本作ではビジョンクエストという単語こそ共通しているものの、ソウルハックによって生きかえらせた仲間たちの回想シーンを見るだけのものとなっており、わざわざそこまでして見るほどではない陳腐なものになり替わった。第4層でのビジョンクエストは啓示としての意味が多少あるものだったが、基本的には前作から単語を引っ張ってきたものにすぎない。

 もちろん、なぜこのような形になったのかは自分の想像でしかないものの、ある程度推察はできた。本作では、現代のコンプライアンスやポリティカル・コレクトネス、特定の宗教に対する配慮をしなければならないという意図が、ゲーム開始時の警告からも感じられたからだ。神話の神や悪魔を使用するアトラス作品において、異なる文化の要素をより慎重に扱わなければならない現代のポリティカル・コレクトネスやCultural appropriation(文化の盗用)に関しては、特に気を付けなければいけないことでもあるだろう。昔よりも取り扱いが非常に難しくなっている。

ソウルハッカーズ2 レビュー 特定の宗教という一文は、これまでのアトラス作品にはなかった注意書きである

 特に、ネイティブアメリカンの文化をファッションなどに流用することや、非ネイティブアメリカンの偽の指導者(プラスチックシャーマン)によるスピリチュアル方面での間違った「ビジョンクエスト」という用語の使用や儀式は、海外で文化の盗用とされる場合がある。ゲーム業界でも、海外を中心にダイバーシティ(多様性)の推進が求められている昨今の情勢では、たとえ制作に十全な敬意を払っていたとしても、25年前の「ソウルハッカーズ」のような形でビジョンクエストを使うのは難しいのかもしれない。

 限定版に付属しているアニバーサリーブックのインタビューを読んでも、昨今の世間の風潮に鑑みて、エンターテインメントとして弄っていい許容範囲が狭くなりつつあることに触れている。そこから今風の優しい物語を作ったという狙いをくめば、神話の薄さは理解できた。主人公のリンゴが知恵の実を想起させる名前ではあっても神話ありきのキャラクターではないことや、そもそも神話やグノーシス主義をあまり根底に置いていないことも語られており、本作における神話のスタンスがライトな物であることも記されている。ビジョンクエストもアニバーサリーブックに掲載された初期構想の方が前作を踏襲した使い方ではあるのだが、「これはぜひとも実現したい」とまで書かれているものが今の形になってしまった現状を見ると、何らかの理由があってそこまでは実装できなかったのかもしれない。

 アトラス作品において神話はキーとなるものだが、神話を根底に置くことを避けるのならば、時代としては仕方がない側面もある。開発の事情に同情する面もあるのだが、そこまで行くなら金子一馬氏による悪魔イラストも神話の悪魔も使うべきではないだろう。やはり、そこはアトラスである以上、敬意を持ったうえで神話や伝承を濃く取り扱って欲しかった。なにより、これは「デビルサマナー」から続く「ソウルハッカーズ」でもあるのだから。

 しかし、本作の問題は神話や悪魔に対して取り扱いが慎重になったことではない。むしろ、神話や伝承に対してうまく敬意を払って取り入れようという熱意を感じられなかった点にある。そもそも、最初から取り扱う気が感じられない。前作にも神話に対しても意識が薄く、それが「これはソウルハッカーズでない」と呼ばれる原因にもなっているのだろう。

 例えば、本作ではアルゴンキン族およびネイティブアメリカン文化の要素は一切採用していないのだが、それなのに「ビジョンクエスト」は残っている。文化の盗用と指摘されることを恐れるならば単語自体も変えるべきだし、本作の物語に沿った神話や伝承からインスピレーションを受けた、リスペクトのある単語にするべきではないだろうか。

 なぜ、前作のシステムが「ビジョンクエスト」だったのか。今現在、ビジョンクエストという単語をこの形で続編に継承するのが適切なのか。考えたうえで、今の形に変わったようには見えない。現在の安易な回想シーンでしかないビジョンクエストにしてしまった時点で、前作ファンの半数が喜ばないのも当然だろう。さらに、製品として実装された形のビジョンクエストは、シナリオ上の構造的欠陥にもつながっている。本来は、第2層のビジョンクエストで過去を掘り下げてから戦うべきアロウとカブラギも、プレイヤーにはよく分からない相手のまま倒してしまい、あとからビジョンクエストで漠然とした過去が語られるのには驚いてしまった。そこに限らず、プレイヤーに対して情報を提示する順番が前後した構造が多いのだが、どこに視点を定めていいのか分からずあまり効果的ではない。

 神話に限らず、前作の何が受けていたのかも無視されているように感じた。本作は25年ぶりということでキャラクターに力を入れているが、それとは逆にロケーションは殺風景だ。地下鉄が連続で続く展開や、キャラクターが違っても同じ風景のソウル・マトリクスなどは典型的な使いまわしである。前作の「ソウルハッカーズ」にあったダンジョンは、天体博物館やスーパーマーケットといった身近な建物から、VRパークやVRホラーハウスといった仮想空間の世界まで、多彩なロケーションが魅力だった。主観視点で作られた当時のゲームと、今の3Dでは工程や苦労も異なるのでダンジョンが減ることは仕方がない。だが、そこでリアリティーを出そうとする工夫が感じられなかった。コスト面の苦労ばかり伝わってくるゲームに、通常版で9878円、限定版で1万7380円の価格はやや高い。DLCを含めれば2万円を超える。本作にそこまでの価値を見いだせる人は少ないだろう。海外の意見でも60ドルは高いというものが目立ち、値段に見合ったものと見られていない。

 私は、天体博物館という偽りの星(プラネタリウム)を利用してグリゴリの堕天使・コカベルを呼び出そうとする演出や、バイパスに出現する都市伝説の悪魔など、ロケーションと神話、伝承が物語とシンクロする部分もソウルハッカーズの魅力だと思っていた。本作には、それがまったくない。シナリオが薄いと言われがちな「真・女神転生V」も神話の要素を組み込んでいたし、「ペルソナ5」でも反逆の意思を持つ歴史上の人物や伝承がペルソナとなり、七つの大罪と絡めたボスの外見や物語には神話へのリスペクトがあった。

 本作でもコヴェナントやAionといった神話の単語は使っているし、作中のイベントでも既存の伝承との関連性を話してはいるが、突き詰めるとその単語や神話である必然性はない。契約の証が虹でも物語としての意味がなく、コヴェナントを別の何かに置き換えても成立する。同じ町のなかで所持者が集まっている理由も説明がなく、前作では幹部級しか知らない目的をモブのサマナーたちまで知っている状況も、1つの物語としての説得力に乏しい。ラストダンジョンですらも、神話的な理屈があるとは思えなかった。突入したときにリンゴやサイゾーが例える内容も、直接的にそう見えないほどにはつながりを感じられない。AIの主人公という要素やクリア時のトロフィー名などから推察すると、神話のエピソードや単語とは無関係に後半のテーマを表現したかったのであのようなエリア名や形になった、という作品の意図を考察できなくはないのだが、他社の作品でも見たような謎のダンジョンで終わってしまう可能性も高いだろう。

 「デビルサマナー」シリーズは古墳や遺跡がラストダンジョンになるパターンが多かったが、配置されたボスの悪魔には作品としての統一感や意図があり、シュメール起源説などのオカルト的な理屈や神話が下敷きになっていた。それにより、導線が細くても先人の遺産という歴史上の説得力があったが、本作は神話をあまり根底に置かないことで逆に唐突感が出て分かりづらくなっている。作品のテーマから、作り手の頭のなかを解釈するしかない。

 神話の要素が薄いので、中ボスとして新たな解釈をされた神や悪魔が出ることもなく、敵は人間のサマナーばかりとなっている。召喚する悪魔も金子一馬氏のデザインを流用したものであり、本作独自の神話はそこにない。終盤に幹部級の悪魔は登場するが、顔を見せただけだ。ファントムソサエティが出ても、新たなグリゴリの堕天使は登場しない。前作で名前しか出なかったコカベルが今度こそ出るか、といったファンならではの楽しみもなかった。DLCのボスすらも、ほとんどが金子悪魔の色違いだ。さすがに、ここまで新規悪魔への興味がない女神転生の派生作品は珍しい。敵がシャドウに変わった「ペルソナ3」でも、新規のペルソナがいたというのに。「ソウルハッカーズ」は人との戦いだけではなく、悪魔を使役する主人公。人を利用する悪魔の組織。第三勢力の悪魔。三つどもえの戦いが行われており、人と悪魔のバランスも魅力だったのだが、作り手はそう考えていなかったらしい。ペルソナとも女神転生とも違う差別化のカギは、そこにあると思っていたのだが違ったようだ。

 広報のアカウントで悪魔をクリーチャーと呼んだり、リンゴの召喚セリフで「下僕(げぼく)よ」と言わせたり、悪魔に対する粗雑な扱いは枚挙にいとまがない。そのような姿勢が悪魔を装備するスタイルにもつながっているし、神話や悪魔の扱いに対して慎重になっている意味がなくなってしまうのではないだろうか。

 ヴィクトルとの会話における魂と肉体の関係、パーソナルイベントで見られるAionの時間に対する概念など興味深いテキストもあるのだが、メインとなる部分での悪魔や神話への軽率な向き合い方は不安を感じるものでしかなく、あまり使わないようにしてもライト寄りに振り切れていない。新規層を求めてカジュアルやライトに寄せるのは構わないが、ここまで悪魔を丁重に扱えないのならば、出す必要すらなかったと思う。「ペルソナ3」のシャドウのようなオリジナルの敵にしたほうが安全だ。そのうえで「女神転生」「ペルソナ」を継ぐ新規IPだったなら、今よりも良い反応が得られただろう。「デビルサマナー」の新シリーズでも、まだ甘く見られていたはずだ。

 ゲームそのものは、バグなどもなく完成している。しかし、大半に刺さらないので反応が悪い。「ソウルハッカーズ」ファンには底が浅く見えてしまい、「ペルソナ」を継承するにはシステムの粗さやカメラワークのセンスが足りない。新規を狙うには、凡庸なのに値段が高い。サマナーシリーズの利点を捨てたことで差別化できておらず、あらゆる層を狙うあまりに、あらゆる層に刺さりにくいものとなってしまった。休眠IPを復活させるうえで今の時代に合わせるのは当然なのだが、変えるべきところを間違えている。それが、世界的な反感を買ったのは否めないだろう。何よりも、この形で作ることを良しとしたことが驚きだ。自分たちのIPの力を信じきれていない。Steamのユーザーレビューを見ても、世界にいるアトラスファンたちの半数に「ソウルハッカーズ2」として求められていたものが現状の形ではないと分かり、「ペルソナ5」から入ったユーザーも満足させることはできていなかった。

 私自身「幻影異聞録♯FE」は好きだったので、次の作品(ソウルハッカーズ3でもいい)でスタッフにはリベンジして欲しい。だが、休眠IPの復活が悲しみを生むのなら、過去作にはあまり触れてほしくないのも本音だ。作り手の狙いとのズレはそれだけ根深い。

 

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