千葉・南房総ではなぜ、安価な「あわび」の駅弁を提供できたのか?:安房鴨川「あわびちらし」(1250円)(1/3 ページ)
千葉・南房総へ行ったならばぜひ食べたい海の幸。60年も続くロングセラー「あわび」の駅弁、いかがですか?
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
【ライター望月の駅弁膝栗毛】:あわびちらし
海辺のお宿に泊まると、夕食にしばしば登場するのが「あわび」料理。刺身、バター焼き、そして踊り焼きなど、さまざまなバリエーションで楽しむことができて、食卓が盛り上がります。そんな「あわび」を60年以上前から、駅弁としてお値打ちな価格帯で販売してきたのが、千葉・勝浦が発祥の老舗駅弁業者「南総軒」です。なぜ、南総軒では、あわびを使った駅弁を販売することができたのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第36弾・南総軒編(第2回/全5回)
真夏の空の下、安房鴨川駅を発車した特急「わかしお」号が、東京を目指してスピードをグングン上げていきます。平成5(1993)年にデビューした255系電車は、いまもグリーン車連結の9両編成。女優さんとミュージシャンのテレビCMも放映された“房総ビューエクスプレス”の愛称とともに、内房線の「ビューさざなみ」、外房線の「ビューわかしお」として登場しました。いまは「わかしお」の他、総武本線の「しおさい」としても活躍しています。
「わかしお」の始発駅・安房鴨川の駅弁を手掛けているのが、昭和4(1929)年創業の「合資会社南総軒(なんそうけん)」です。もともとは勝浦駅の駅弁屋さんで、「わかしお」の運行開始に合わせて、鴨川に進出しました。いまは安房鴨川駅近くの国道沿いに本社を構え、駅弁はもちろん、南房総一帯の仕出し等も手掛けています。「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第36弾は、南総軒の越後貫薫夫(おごぬき・しげお)会長にお話を伺いました。
越後貫薫夫(おごぬき・しげお) 合資会社南総軒 会長/昭和20(1945)年1月4日生まれ(77歳)。千葉県勝浦市出身。2代目のお父様が亡くなったあと、経営に携わる。病のために早くして亡くなった3代目のお兄様の後を継いで、4代目の代表社員(社長)に就任。現在は代表社員を息子の正剛(まさよし)さんに譲り、会長を務めている。
千葉・勝浦の有力者が出資して作られた駅弁店「南総軒」
―南総軒はもともと、勝浦の駅弁屋さんでしたが、創業のきっかけを教えてください。
越後貫:南総軒の初代社長は、祖父・越後貫輝(おごぬき・てる)と言います。南総軒は、勝浦の有力者が集まって出資して作られました。祖父はとりまとめ役といったところです。父から聞いた話では、昭和4(1929)年の南総軒創業以前、越後貫家は、勝浦を拠点に乗合バス(路線バス)をやっていたと言います。父や小湊にいた叔父がハンドルを握って、勝浦から、日蓮聖人ゆかりの誕生寺へ参詣者の輸送などを担っていたようです。
―バス会社からなぜ、「駅弁店」に?
越後貫:設立された経緯は私が把握している史料ではわかりませんが、昭和4(1929)年に房総線(いまの内房線・外房線)が全線開通した際、お客様のサービス向上のため、(機関区も置かれていた)勝浦駅での構内営業が求められたのではないかと思われます。そこで、交通に携わっていた祖父の存在もあって、当時の東京鉄道局の承認を得られたのではないかと。屋号も旧上総国の南にある勝浦ですので、「南総軒」となったわけです。
Copyright Nippon Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.