困った。映画「関心領域」のことを書こうと思ったのだけど、ちょっと正直、この映画のことをどう書いていいのか分からないのである。というのもこの映画、本当の主役というか、確信の部分が画面に映らない。ただ音だけが聞こえてくるのである。
映画の主な舞台はルドルフ・ヘスの家だ。ヘスはホロコーストにおいて最大の犠牲者を出したことで知られるアウシュヴィッツ収容所の所長であり、彼は家族や使用人たちと共に収容所のすぐ横の豪邸に住んでいた。映画が淡々と見せるのは、主にヘスとその家族の自宅での暮らしぶりである。
特別なことは何も起きない。ヘスはナチスの親衛隊の高官であり、暮らしぶりは豊かそのものである。日に日にドイツが不利になっているはずの戦況がまるで関係ないように、ヘスは休日に妻や子どもと川に遊びに行ってボート遊びをしたり、寝る前に妻に対して冗談を言って笑わせたり、誕生日を家族や親衛隊の部下たちに祝ってもらったりする。
親衛隊の将校というのは当時のドイツでは官僚みたいなものだから、当然ながら転勤もあり、それを巡って妻ともめたりもする。カメラはほぼ常にフィックスなので、「ナチスの高級官僚の普通の日常の中にカメラが置かれている」という雰囲気が濃い。まるでリアリティーショーのようだ。
だが、それらの出来事の全ては「アウシュヴィッツ収容所のすぐ横」というロケーションで繰り広げられている。当然ながら、収容所とヘスの家は高い塀で仕切られているから、ヘスの家の中を映しているカメラに収容所の内部が映ることはない。しかし、音は塀を飛び越えてくる。何気ない日常会話や、眠りにつく前のベッドの中や、庭で子どもが遊んでいるときも、ずっと収容所からの音が聞こえてくる。
収容所から聞こえてくる音は多様だ。銃声や怒号。ユダヤ人が送り込まれてくる収容所内の引き込み線を行き来する、何台もの機関車の音。そして夜昼なく稼働し続ける、焼却炉が立てる音。映画の中では、これらの音がずっと鳴り続けている。「ずっと」というのは例え話でもなんでもなく、本当にヘスの家が映っているときはずっと何かしら収容所からの騒音が響いているのだ。とにかく耳障りなため、たまにヘスが馬に乗って遠出をしたり、川でボート遊びをしたりしてくれると、ちょっとホッとする。自宅を離れた自然の中では、収容所からの音は聞こえない。
同時に、ヘス一家の生活の中に見え隠れする、徹底したユダヤ人への差別と収奪、そしてそれを全力で視界から消し、考えまいとする様子も見て取れる。ヘスの家には、なにやらみすぼらしい身なりのおじさんが、食料などの生活物資と一緒に衣料品が入った袋を持ってくる。袋の中には女性物の衣料品が何点も入っており、中には高級そうな毛皮のコートが入っていたりする。
毛皮のコートを持っていくのは、ヘスの妻であるヘートヴィヒである。コートのポケットには使いかけの口紅。その口紅の匂いを嗅ぎ、異常がなさそうだと判断したらこれまた自分のものにしてしまうへートヴィヒ。ヘートヴィヒだけではなく、家の使用人たちもこれらの衣料品を持っていく。
この衣服を持ってきた、妙にみすぼらしい身なりのおじさんは誰なのか。ヘス一家は、なぜ金も払わずに高級そうな衣服を手に入れられるのか。使いかけの口紅は、一体誰のものだったのか。それらは劇中では一切語られないが、ヘス一家やその他の登場人物の会話を聞いていれば、自然と「収容所のユダヤ人から奪ったもの」だと察しがつくようになっている。にもかかわらず、劇中の人々はそれらの品物の出どころについて一切触れようとしない。当然のように衣服を仕分けし、高級なものはヘスの妻がいの一番に持っていく。どこの誰が着ていたものなのかも全く気にせず、自分のものにしてしまう。
収奪自体やそのプロセスは、彼らの視界には入らない。自分たちが全てを奪った上で虐殺しているユダヤ人たちの姿を巧妙に思考の外に追い出し、視界に入れず、それについて話さず、自分たちのやっていることを意識の外に追い出しながら、平和で明るく清潔な生活を送り続ける。圧倒的な無関心で壁を作り、その外にあるものは存在しないものとして扱う。
絶対に、自分たちが何をしているのかを冷静に振り返ったり、ユダヤ人のことを考えたりしない。ユダヤ人の資産や持ち物を良きドイツ人が奪うのは当然だし、ユダヤ人は全員死んで当然だと心の底から信じ込んで、「家のすぐ隣で大虐殺が繰り広げられている」という状況は理解しつつ、見て見ないふりをし続ける。
しかし、隣に住んでいる以上、音は聞こえてくる。本作の騒音は収容所の広さや建築物の配置などにも配慮して注意深く作られたものとなっており、銃声一発、怒号ひとつとっても非常に解像度が高い。夜昼問わず死体を焼き続ける焼却炉の隣に住むのは並の神経では不可能であり、ヘス本人にもその子どもたちにも、静かに少しづつ影響が出始める。
本作が巧妙なのは、「アウシュビッツ収容所」の部分に他の何かを代入することができる点だ。塀一枚隔てた向こう側にある地獄のことを、われわれもまた無理やり意識から追い出して生活していないだろうか。ヘス一家とわれわれとで、何か異なる点があるだろうか。観客にそういった疑問を抱かせるような作りになっている。実際、たぶん世の中の人の大半は、悲惨な国際紛争にせよ職場の人間関係の歪みにせよ激烈な気候変動にせよ、塀の向こうの地獄を感知しながら同時に無視して生活している。「80年前のドイツ人とわれわれの間に違いはありますか?」と言われれば、考え込まざるを得ない。
しかし同時に、「地獄無視パワー」みたいなものが突き抜けている超利己的な人物も「関心領域」には登場する。ヘスの妻、当然のような顔で高級コートをぶんどっていったヘートヴィヒがそれである。彼女は夫の転勤に怒り狂い、「長年かけて生活しやすい環境を整えたのに、なんで出ていかなきゃいけないの!?」「行くならあなた一人で行って!」とヘスを無理やり単身赴任させるのである。
ヘートヴィヒは、ドイツ人の感覚からすれば東方のへき地であろうアウシュヴィッツの環境に満足し、これからもずっとそこで生活していきたいと心底思っている。自然豊かで子育てにも向いており、住環境にも不満はなく、なにより自分で設計までした庭園をなぜ手放さなければならないのか。キレるヘートヴィヒの頭の中には「でも収容所のすぐ横である」という住環境についての不満は、1ミリも存在していない。本当に完全に「いないもの」になっている。
タイトルの「関心領域」を極限まで狭め、身の回りのことだけにフォーカスして生活すれば、このヘートヴィヒのような人物が出来上がることだろう。そうならないためには、塀の向こうから聞こえてくる悲鳴に違和感をもち、おかしなことをおかしいと思う感覚を身につけるほかない。あまりにも当たり前の結論だが、当たり前のことを当たり前に実行するのがいかに難しいかは、この映画が丁寧に描いている。
「関心領域」はとにかく音響が主役の作品である。そりゃアカデミー賞の音響賞取るわ……と納得するほど音による主張が激しいので、できれば音響のいい映画館での鑑賞をお勧めしたい。ひたすら劇中で流れ続ける騒音、そして溜まりに溜まった怨嗟が爆発するような、怖すぎるエンドロールの音楽を聞けば、音のいい映画館なら必ず身の毛のよだつ感覚を味わえるはず。超ヘビーな内容だが、それでも映画館に行って2時間弱座り続け、直視するだけの価値はある作品だと思う。
(しげる)
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