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「山奥ニート」という現代の遁世 棚園正一さんに聞く“人生の心の保険” 「いろいろな生き方があって良い」(1/3 ページ)

自身の小・中学校時代の不登校経験を描いた『学校へ行けない僕と9人の先生』でも知られる棚園正一さんに聞きました。

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 社会や人から距離を置き、山奥の限界集落で集団生活を送る人たち――そんな現代的な遁世の軌跡を描いた漫画『マンガ「山奥ニート」やってます。』が光文社から6月26日に刊行された。

『マンガ「山奥ニート」やってます。』
『マンガ「山奥ニート」やってます。』

 同作は、「山奥ニート」を主催する石井あらたさんの実録エッセイを漫画化したもので、JAグループの家庭雑誌『家の光』で連載されたもの。「どうやって生きていけばよいか分からない人たちが、山奥の過疎集落で、他の人たちと共同で、生活する」ことを描いた。


社会や人から距離を置き、山奥の限界集落で集団生活。写真中央の赤い屋根の建物が山奥ニートの共生舎(写真提供:棚園正一

 出費を切り詰めながら、最低限必要な生活費を稼ぎ、好きなことをして生きる――山奥での生活を選択した人たちの軌跡を「ギュッと圧縮した走馬灯のよう」にした同作。北関東の山奥で狩猟しながら半自給自足生活を送る俳優の東出昌大さんは、同作に「生きてりゃいい。けど、ニートだろうが「楽しく生きてる」なら最高じゃん!!!!」と帯コメントを寄せている。

 あとがきで石井さんは、「山奥ニート」という選択を“人生の心の保険”と表現。「この作品から何かを感じて、それが新たな選択肢の土壌となり、異なる価値観に理解を深めるきっかけとなることを願います」と結んでいる。

コミカライズを手掛けた棚園正一に聞く「山奥ニート」

 コミカライズを手掛けたのは棚園正一さん。自身の小・中学校時代の不登校経験を描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)で知られる。不登校時代に漫画家の鳥山明さんと出会ったことで世界が大きく変わったことも注目された。

 山奥ニートに興味を持った背景を棚園さんはこう語る。

棚園 最初は単純に「山奥ニート」という言葉に引かれました。アウトドアとインドアのような、真逆に感じる2つの言葉がくっついて、ひとつになっていて面白いなと。

 そして、『学校へ行けない僕と9人と先生』に通じるテーマが潜んでいると感じました。いろいろな生き方があって良い。自分以外の人を主人公に、そのテーマを描きたいという想いがありました。

共生舎
緑深い山奥に建つ共生舎

 コミカライズは、『学校へ行けない僕と9人の先生』が刊行されたころ、石井さんに直談判したという。


棚園  2015年の秋に石井さんがイベントでたまたま名古屋に来られた際に会いに行ってお話しさせていただきました。

 ただ、その後、自分は他の仕事が決まって、なんとなく山奥ニートの構想から離れてしまっていたのですが、その間に石井さんは自身の体験をまとめたエッセイを光文社から出版して、それがベストセラーになり、雑誌『家の光』でコミカライズの話が進み、漫画を担当する作家として指名してくださいました。

 本当にありがたい話です。原作を読んだとき、「面白い!! これを漫画にしたい!!」と気持ちが沸き立ったことを覚えています。

 山奥ニートの暮らしぶりも興味深かったのですが、特に山奥に行き着いた人たちのドラマに強く引かれました。それが同じニートであった石井さんならではの視点でつづられているのが新しく感じたんです。淡々とした語り口なのですが、誰も否定しないし、認めるところから始まっているような暖かさを感じました。コミカライズさせてもらえるならば、ぜひとも、その人たちのドラマを中心にしたストーリー漫画にしたい!! そうやって漫画版の形が定まっていきました。

 石井さんの書かれた『「山奥ニート」やってます。』があってこそ、描きたいものが、さらにはっきりして漫画にできたのだと思います。

 コミカライズを任せていただけたことに本当に感謝しています。

共生舎
共生舎は今も変わらずそこにある

 棚園さんは、「山奥ニート」の取材を通じ、次のように話す。


棚園 取材に行ってみると、そこにいる人たちはそれぞれさまざまな事情がありました。夢を持つ人や、自分なりの考えを持つ人もいました。当然のことですが、誰一人として同じような人はいません。

 共通しているとすれば、「現代社会の価値観に少しだけ窮屈さを感じている人たち」。でもそれは特別変わったものではなくて、日々の暮らしで誰もが程度の差はあっても感じているであろう気持ちです。

 「ニート」というネガティブな印象の言葉で一括りにしてしまうと見えにくくなりますが、しっくり来ないことを考え続け、山奥にたどり着いた人たちでした。

 漫画本編の最後に入れたあるせりふには、そのままのあなたでも大丈夫という気持ちを込めました。そこへ行ってみようかなと興味を持つパワーがあるなら、必ず先に道は続いていき、生きていけると。

 ニートを肯定しようとか、ポジティブなイメージにしたいとか、そういう訳ではありません。

 ただ、1つの言葉ではくくれない人たちがいる。それを知ることで見えることがたくさんあることを伝えられたらと思う気持ちが、描き進めるほど強くなり、制作の熱量になりました。

山奥ニート

「良い悪いなんてなくて、全部でひとつの物語」

 「山奥ニート」を主催する石井さんは2024年1月、自身は山奥ニートを辞めることを発表した。子を持つ親となり、ライフステージが変わる中での判断だった。

 折しも、棚園さんも2023年に結婚し、現在は同じく子を持つ親となっている。こうした変化は、「山奥ニート」という生き方に対する考え方に変化をもたらしたのだろうか。

山奥ニート
写真は取材中に夕食の当番が回ってきた棚園さんが作ったカレー

棚園 石井さんとも話したことがありますが、山奥ニートの舞台である共生舎の雰囲気は、自分が16歳の頃に通っていたフリースクールにどこか似ています。凝り固まっていた価値観を「いろいろな生き方があっていい」と解きほぐしてくれた場所です。

 取材すると山奥へやって来る人たちの中には、“電池切れ”のような感じでやってくる人たちもいましたが、その人たちも最初は、ただぼーっと何もせずに過ごしていても、そのうち自然と何かをやり始めて。世間で言う“ニート”のイメージとはかけ離れています。

 でも、それを僕は「復活」だとか「更生」だとか、「乗り越えた」なんて言葉で表現したくはなくて。その時間も、その人の物語の中で必要な一部だと思います。

 良い悪いなんてなくて、全部でひとつの物語。それぞれの人生模様を取材しつつ、ある部分だけを切り抜いて、人と比べるものではないなとあらためて思いました。

共生舎内部
皆が生活する空間

鳥山明さんとの出会いと別れ、棚園さんに去来したもの

 棚園さんと長く交流があり、大きな励みや影響を与えた漫画家・鳥山明さんの訃報は記憶に新しい。棚園さんは多くを語っていないが、その心中は察するに余りある。鳥山さんは生前、同作を読んでいたという。


棚園 最後に鳥山先生にお会いしたのは2022年12月でした。

 その頃、山奥ニートは第4話「ニート、シカを捌く」まで出来上がっていて、それを読んでいただいたんです。

 鳥山先生は、画面に抜きがあるといいとアドバイスをくださったり、作中のキャラをみては「へぇーいろんなやつがいるんだなー」とか、「ひえ〜、このおじいさん容赦ないなー」なんて言っていて。読み終わると「え!? もう終わり? 結構面白いじゃん。早く続き読みたいな」とおっしゃってくれました。

 こうして思い出すと、本当に少年みたいな感想で悟空みたいですね。

 13歳の時にはじめてお会いした時のことは今でも鮮明に覚えています。

 先生のお宅の玄関の扉が開いて「いらっしゃーい」って迎えてくださった時の先生の表情や声、そのときの天気や空気の匂いまで。あの日から29年、僕の人生は大きな太い道で続いている感じがします。

 先生とは、1月にメールでやり取りをさせていただいたのが最後になりました。3月にお会いする予定もあり、描き終わった山奥ニートも読んでいただこうと楽しみにしていました。かなわなかったのが残念でなりません。

 ずっと落ち込んでいたのですが、しばらくしてから先生の奥さまとお話しさせていただく機会がありました。

 その中で「彼の中で棚橋くんも忘れられないひとりになってるはずだから」と。

 こちらが救われました。自分だけでは、ずっと長く悲しい気持ちを引きずって、なかなか抜け出せなかったかもしれません。

 鳥山先生は僕にとって、目指すべき大人でした。

 もちろん同じようにはなれませんが、”こうありたい”と思える指針をいただけたことは僕にとってかけがえのない財産です。

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本記事は制作段階でChatGPT等の生成系AIサービスを利用していますが、文責は編集部に帰属します。

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