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2026/09/29 21:00(公開)

超エンタメなのに超深い! 映画『超かぐや姫!』のスゴさを考える。舞台が仮想空間である理由と、これは毒親・母娘問題ではないという話【アニメ・映画考察】

出典:著者撮影

 まず一言。マジでぶっ刺さりました……。仮想空間「ツクヨミ」を舞台に、歌って踊り、そして戦う少女たちの絆を描いたアニメ映画『超かぐや姫!』。Netflixでの配信のほか、2月から6月にかけて劇場でも上映され、興行収入は30億円を突破する大ヒット。さらに、9月18日からは特別上映フォーマットにて復活上映が行われ、約154万人の観客動員を記録するなど、まだまだ勢いのある作品です。

『超かぐや姫!』:著者撮影

 さて、そんなファンの心をつかんで離さない『超かぐや姫!』ですが、ryo(supercell)の「メルト」をはじめ、ボカロPたちの紡ぐ数々の名曲が蘇るなど、ゼロ年代キッズの私としては、ノスタルジーを刺激されまくりで、かなり食らいました。

 セカイ系のフォーマットや終わらない日常など、ゼロ年代的な要素をはらみつつ、現代的な感覚やテーマへ落とし込んでいるのも本作の素晴らしい点かと思います。今回は、そんな超エンタメでありながら超深い『超かぐや姫!』の魅力を考えます。

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『超かぐや姫!』を考察:困窮感、多忙感、疲労感……。息苦しさの代弁者としての彩葉

 本作『超かぐや姫!』の舞台として、なぜ仮想空間が選ばれたのでしょうか? 私が思うに「観客の解放区として機能するから」というのが、ざっくりとした答えになりますが、これだけでは判然としないので、もう少し細かく見ていきます。

 まず何よりも重要なのが、主人公・彩葉のキャラクター設定です。上記で「観客の」と書いた通り、彩葉は現代を生きる観客の写し鏡のような存在として登場します。バイトしながら学業も怠らず、つぶれそうな気力を補うために推し活をして、出口の見えない多忙な日々を送っているが、突破口もまた見いだせない……。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 困窮感や多忙感、それによる疲労感を抱えながら、彩葉自身が言うように「とりあえず考えることをやめて」なんとか今日明日を繋いでいく、そんな日常を生きている人は、もはや珍しくないかと思います。ボロアパートで暮らしているところや、働きながらでないと生活が回らないという描写はとても印象的でした。

 近年『鬼滅の刃』を筆頭に『チェンソーマン』や『日本三國』、『映画ちいかわ』など、貧しさを前提にする作品が散見されます。背景にあるのは、いわゆる1億総中流が崩れ、社会の貧困層が拡大したことに加えて、昨今ではインフレによる物価高などもあって、貧しさや困窮感は観客が感情移入するうえで、非常に重要なファクターとして機能しているものと推察されます。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』

 働いても楽にならないという困窮感により、彩葉は現代人にとって自己投影しやすく、応援しやすい対象になっています。ただし、彩葉の場合、今の貧しい生活は親子関係が主要因であって、実は経済的困窮ではないため、例に挙げた作品と比べてやや変形になりますが、お客さんを感情移入へいざなう窓口として彩葉の困窮感はうまく作用しています。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 また多忙感や疲労感なども重要です。実際に忙しいかどうかはさておき、常に意識があっちこっちへ引っ張られるアテンションエコノミーの現代において、脳疲労などの言葉があるように、ずっと忙しい感覚を持っている人も多いはず。こうした事態から抜け出すための、いろんな対処法はあるのだろうが、抜け出すための行動変容をする気力が余っていないところも、非常に共感しやすい点です。

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『超かぐや姫!』を考察:完璧主義、過剰適応、キャラの固定化……。彩葉の涙から見える「いい子」の生きづらさ

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 若者の感覚にフォーカスした場合にも、彩葉のキャラクター設定は絶妙です。彩葉はバイトも学業も完璧にこなそうとする、極度の完璧主義。作中でも指摘されるように、自分の気持ちより、周りが期待する自分を演じてしまうところがあり、授業態度や進路を含め、学校での過剰適応ぶりはとても印象的でした。

 失敗すると世間から袋叩きにあう現実のもと、「いい子でいなければ」という圧を感じている若者にとって、完璧主義や過剰適応は親近感の湧く表現だったと推測されます。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 また重要なのが、キャラ変の難しさです。彩葉は完璧な自分であろうと、そのキャラを必死で貫こうとしています。もちろん母親と喧嘩して出て来た手前、テキトーなことはできないという想いもあるでしょう。しかし一度定まったキャラを降りることの難しさも背景にあるように思われます。

 それが分かるのは、終盤に彩葉の友達である2人(芦花と真実)から、「あたしらはさ、彩葉が生きてれば、それでいいから」と言われて涙ぐむ場面です。このセリフはなかなか深いところがあって、つまり「完璧じゃなくてもいい、ありのままのあなたでいい」と言ってくれているわけです。もう少し踏み込んで言うと「完璧キャラじゃなくてもいいんだよ」と励ましてくれているとも捉えられます。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 重要なのは、ここで彩葉が涙ぐむ点です。涙ぐむくらい、本当は完璧でいることがツラかったし、適応していることが苦痛だったわけですよね。自ら選んだ道とはいえ、もういろいろ限界だったので涙腺が崩壊したと考えるのが自然でしょう。実際に、そこから彩葉は完璧主義を止め、進路や自分の振る舞いを変えて、自分軸で行動していきます。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 キャラを降りて本当の自分になることが、それだけ勇気がいる、リスクのある行為なのだということが伺えます。クラスの中で一度決まったキャラを、途中で変えるのって、彩葉でなくとも大変ですよね。こうしたキャラが固定されてしまうことの息苦しさも、感情移入を誘ううえで大事なポイントかと思います。

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『超かぐや姫!』を考察:なぜ仮想空間なのか? あらゆる不自由から解放してくれる「ツクヨミ」

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 このようにして彩葉は、現代にまん延する息苦しさを漏れなく引き受けているところがあり、現代人の苦しみの代弁者となっています。しかし、息苦しいという言葉は巷で良く聞かれるものの、少し漠然とした概念ですよね。

 息苦しさとは、言ってしまえば“不自由さ”から来ていると私は考えます。経済的困窮によって、移動の自由や職業選択の自由、趣味の自由は制限されますし、疲労感や多忙感によって、行動変容の自由は制限され、仕事場や学校では失敗する自由やキャラ変の自由が制限されることがあるかもしれません。

 息苦しさの正体は、こうした不自由の積み重ねであると私は考えています。その点で言うと、仮想空間「ツクヨミ」は、先ほど挙げた自由に関してほぼ全てクリアしています。

 仮想空間なら、見たこともない広大なフィールドにも自由に移動でき、おそらくジョブチェンジもできるでしょうし、体力なども回復しやすいでしょうし、キャラのカスタマイズだってできるはず。もちろんゲームですから、失敗してもやり直せます。いつからどんなキャラになってもいいという、人格の自由が担保されているのは、特に大きいと考えます。まだ食事はできないようですが、それでも現実社会に比べて、はるかに自由度が高いと言えます。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 変わることを許容されているし、個性をアピールすることも歓迎されており、心理的安全性の高い空間です。不自由な現実からの解放区と言って良いでしょう。

 現代人の息苦しさの代弁者である彩葉を主人公に設定したからには、その解放区が必要になるのも必然で、本作の舞台に仮想空間が選ばれたのもしっくりきます。彩葉に感情移入しつつ、彩葉を通じて、ツクヨミが与える自由と解放感を共有できるわけですからね。

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

 つまり「観客の解放区として機能するから」仮想空間が舞台装置として選ばれたのだと、私は推測します。「ゲームなんかやってないで勉強しろ」という意見は、ごもっともかもしれませんが、彩葉ほどでないにしても、息苦しい現実の、それこそ息抜きとして仮想空間はいま大事な役割を担っているのかもと、考えさせられました。

『超かぐや姫!』を考察:毒親問題ではなく、カテゴリーの外にある親子の話

『超かぐや姫!』入場者特典 ギャル感が強まっているお三方

 本作の中核テーマの1つが、親子関係です。彩葉は母親との折り合いが悪く、家を飛び出して、生活費や学費を稼ぐことを条件に一人暮らしをしている高校生。正直、かなり無理ゲーな状態に置かれており、かぐやが怒ったように、私も友人なら「その母親はおかしい」と言ってしまうと思います。

 もう少し踏み込んで「毒親じゃないの?」という表現も、十分あり得るでしょう。ただし、本作で描かれているのは“毒親問題”ではないと私は考えます。毒親とは、過干渉や支配、暴言、暴力、ネグレクトなどで子供を傷付ける親のことですから、客観的に判断すれば彩葉の母も当てはまりそうな気がします。

出典:Amazon.co.jp

 しかし、おそらく彩葉はそういったカテゴライズを拒否するでしょう。かぐやと一緒に花火を見に行く場面。母に対する心の内が明かされていましたが、「嫌いって言えたら楽だけど、そうじゃない」という趣旨のことを言っていました。

 母にも事情があることを彩葉は知っているし、理解も示しているため「嫌い」とひと言で片づけたくない。でもそのまま母の考えを受け入れることもできない。親への情と自立心の間で揺れ動く、大変繊細な思春期の姿がそこにはありました。

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 「毒親」をテーマに扱った作品は、2010年代から人気を博し、大勢の人を救ってきたのは間違いありません。とても重要な役割を担っていると思いますし、リスペクトしています。しかし同時に、そのカテゴライズを使いたくない、そういうレッテルで親を呼ぶことに違和感を覚える人も少なくなかったのではないでしょうか。

 親に対する情はあるし、感謝もしているけど、モヤモヤもしていて、どう接していいか分からずに困っているという、とても微妙なラインを本作は描いているように見えます。親を悪魔化したくない感覚と言えばいいでしょうか。

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 こうした一方的に相手が悪いわけではないという感覚は『鬼滅の刃』登場以降、特に強まった印象があります。コロナ・ショックという不運の経験と、運悪く鬼になってしまう不条理を描く『鬼滅の刃』の物語がシンクロニシティを起こし、その後の社会現象をもたらしたと私は考えています。『鬼滅の刃』でも鬼の側の事情を丹念に描き、善悪二項対立や悪魔化を避け、最近では『映画ちいかわ』でも全員の事情を描き、巧みに悪魔化を回避しています。

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 この感覚の延長に、彩葉の母親に対する葛藤があるのだと推察します。敵認定も味方認定もできないから、どうしよう……という反抗が苦手な「いい子」ならではの揺らぎを、丁寧に追っているというのが私の思うところです。

 近年『けいおん!』などで知られる、山田尚子監督の映画『きみの色』や、漫画創作に情熱を注ぐ『これ描いて死ね』、想いを表現することの難しさを描く『氷の城壁』など……。周りの状況や相手をおもんばかり過ぎて、自分の気持ちを言えずに悩む若者を描く作品が出てきており、彩葉の感覚はこちらに近い印象を受けます。

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 誰に対してもしっかり配慮と繊細さを持って接してしまうがゆえの、自己主張の難しさを扱っている作品で、毒親問題のように、親に集中的に原因があると描くタイプのものではないと考えられます。

『超かぐや姫!』を考察:母娘問題でもない。彩葉と母の関係は『巨人の星』のそれかも

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 昨今話題の“母娘問題”にも、該当しないかなと考えます。こちらは母親と娘の間で過干渉や依存、支配が起こり、生きづらさを抱えてしまう問題を指しますが、特徴の1つに上げられる共依存関係は、彩葉と母親の間には見られません。

 母娘問題には仲良くなり過ぎて、境界線(バウンダリー)があいまいになるという特徴がありますが、むしろ彩葉の母は思い切り境界線を引いているように見えます。

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 彩葉の兄が「母さんは、反抗待ちなんだから」と言ってるように、彩葉の母は自らが子供の壁になり、自分の意見を持てるよう、育てているように見えます。それが教育上良いかどうかはさておき、こうした自分が壁になり、ぶつかり稽古をするスタイルから共依存の要素を見出すことは難しく、むしろ父性的な振る舞いが伺えます。

 早く父親を失っていることが関わっているかもしれませんが、彩葉の母はあの家で、父親的な役割を担っていた可能性もあります。つまり娘の壁になり、俺を倒して先へ行けという接し方で、これは関係が癒着する母娘問題というより、父を超えて自立する父殺しの話というほうがしっくりきます。

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 言ってしまえば、彩葉と母の関係は『巨人の星』の星一徹と星飛雄馬のそれだったわけですね。壁を乗り越えてから、彩葉と母の関係は、母娘問題的なベッタリした感じではなく、友人的な爽やかなものとして描写されていたかと思います。

 よって、毒親問題とも母娘問題とも言えない、レッテルの外の親子の話だったと私は考えています。敵を設定する方が物語作りは簡単ですが、カテゴライズできない複雑性を設けながら、こうした深いテーマがエンタメとしてすっと入ってくるところに、本作の凄みを感じます。

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