西はアフリカ戦線から東はロシア戦線まで大戦全期を通じて幅広く活躍し,実に3万5000機以上が生産された。
当時では先進的だった本機の設計思想は,当の独軍に新しい戦闘ドクトリンの確立を迫るほどであったが,後続距離の短さから“バトル・オブ・ブリテン”ではその実力を充分に発揮できなかった。
“アフリカの星”と呼ばれた伝説的撃墜王マルセイユ大尉をはじめ,多くの独軍エースパイロットたちがBf-109シリーズを愛機として戦った。
高高度から舞い降りて襲い掛かり,そこで得た機速と上昇力を活かして再び高空に離脱する,縦の機動戦法を得意とする。
耐久性と改修の容易さから,迎撃戦闘機や対地攻撃機としても高いポテンシャルを示し,連合軍爆撃機隊や地上部隊に怖れられた。
869km/hという最高速度に加えて30ミリ機関砲×4という凶悪な武装を持った,まさに連合軍重爆撃機隊の天敵だった。
しかし運用思想の迷走とエンジン開発の遅れから実戦配備は遅れ,戦局を打開するには至らなかった。
攻撃の急降下時に独特のサイレン音を高らかに響かせたことから,連合軍兵士たちから“悪魔のサイレン”と怖れられた。
しかし機速の遅さから容易に敵戦闘機の餌食となり,“バトル・オブ・ブリテン”に参加した時点では,既に時代遅れの機体となりつつあった。