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なぜゲームは愛されるのか――次世代ゲーム機までのミッシングリンク(1/3 ページ)

E3で発表された次世代ゲーム機――ここまで来てしまったハイスペックなハードの後ろには、脈々と繋がるゲームの血脈が存在する。KENTIAホールで見る海外ゲーマーの「愛」を“History of Video Games”で振り返る

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 次世代ハードの発表からはじまり、嵐のように過ぎ去っていった北米ロサンゼルスのE3取材。そんな中、ITmedia Gamesでは期間中に掲載できなかったモノや出来事をいくつかレポートしてみることにする。ゲーム機の歴史を振り返ることで、今回の次世代ゲーム機への繋がりが見えてくる。


E3では、日本のモーターショーやゲームショウではおなじみのレースクイーンやコスプレイヤーたちの姿を見かけることはあまりない。とは言えまったくいないわけではなく、よーく探せばこのようにアダルトな感じでブースに華を添えているお姉様もちらほら(THQブースではWWEのディーヴァ、ステイシーが来ていたそうな)。当然周囲は人だかり

 E3はゲーム業界で世界最大規模のトレードショーと言われるだけあり、その展示スペースはとにかく広大だ。とは言え出展している各メーカーのブースはある程度カテゴライズされているため、実はその“法則”さえ知っておくと実はE3巡りもだいぶ楽になる。おそらく来年もこの法則は通じるので、来年のE3を楽しむうえでもぜひこちらを一読してほしい。

 E3は大別すると、SCEと任天堂という2大コンシューマゲームメーカーが陣取る「WEST」ホール、マイクロソフトを含むPCゲームメーカーが軒を連ねる「SOUTH」ホール、そして中小ゲームベンチャー企業が集まる「KENTIA」(ケンティア)ホールの3ホールに分かれている。ところがWESTとSOUTHをつなぐ「CONCORSEホース」とWESTホール周辺に数十あるコンパートメントにあらゆるゲーム関係のメーカーが出展しているため、結果としてそのすべてを3日間で把握するのはほとんど不可能に近い。

 結果として、E3を訪れた人の多くはハードまわりの情報や新作タイトルが集中するWEST、SOUTHに出展された主要メーカーを重点的に見ることになる。そして、3日間ではその2ホールをまわりきるのがせいぜいで、第3のブースであるKENTIAホールを見逃す人は結構多い。

 ところがこのKENTIAこそ、実は日米のゲームカルチャーの違いを感じ取れると言う意味で、かなり貴重な場所だったりするのだからE3は侮れない。北米の「ゲームシーンを知る」だけならWESTとSOUTHで事足りるが、北米の「ゲーマーカルチャーに触れたい」のであればやはり、ここKENTIAは一度は訪れておきたい場所なのである。


巨大なブース設営が目を引くWESTやSOUTHに比べると、混沌とした感じなのが否めないKENTIAホール。PCゲーム系の周辺機器メーカーも出展しているため、ここを全部見ようと思うだけで1日はかかってしまう

 KENTIAホールに出展しているのは、周辺機器や中小ソフトハウス、エレクトロトイ関連のメーカーたちだ。もちろんドイツ最大の周辺機器メーカー「CHプロダクツ」をはじめ海外の大手もブースを出展しているのだが、大半が2コマか3コマのスペースでブースを開き、アメリカンドリームを狙うベンチャー企業であふれている。誰もが初めて足を踏み入れた時は「ここはE3のカオス空間だ!」といった印象を受けるだろう。

 ただ、こうした各ブースのレポートよりも先に今年もやっぱりKENTIAで目をひいてしまったのが“History of Video Games”(展)だ。これは昨年、E3開催10周年を記念して開催された“The History of Videogames Museum”と同様のもので、1970年〜90年代というビデオゲームの歴史を当時のアーケードやコンシューマゲーム機の“実機”とともにつづる貴重な展示会場だ。おそらく昨年の人気があまりに高かったため、今年も引き続き開催されたものと思われる。

昨年に引き続き貴重な“History of Video Games”展


1982年に発表されたATARI 800 HOME COMPUTER。ゲームもPCも遊べるホームコンピュータとして、Apple IIのライバルとして登場した

 この“History of Video Games”、何がすごいかと言えば歴代アタリのVCSシリーズからNES(Nintendo Entartainment System:初代ファミコン)に至るまで、ビデオゲームの歴史を作ってきた1970〜90年代の家庭用ゲーム機、携帯ゲーム機、アーケードゲームたちが直にさわれて遊べてしまう(カセットを入れ替えて遊ぶこともできる)展示スタイルとなっていることだ。そして、会場を訪れている人々を見て痛感したのが、こうしたオールドゲームに対する“文化の深さ”だった。


見よこの無造作な展示っぷり。日本で言えば保存状態の良い「カセットビジョン」や「ぴゅう太」が対応カセットとともにむき出しで置かれ「さあみなさん、好きなゲームを遊んでいいですよ」というフリープレイ状態に近い(年増の人にしかわからなくてすいません、でも日本ならガラス張りのショーケースに入れられそうなものだ)。あまりに無造作なのでセキュリティの人は大変そうでした

 知っての通り、ビデオゲームの歴史(と文化)は日本よりも北米のほうが5〜10年先行している。アーケードゲームの世界では1971年に世界初の商用アーケード「COMPUTER SPACE」、1980年代に「スペースインベーダー」と「パックマン」で大ブームが起き、家庭用ゲーム機の世界も1972年の「オデッセイ」の登場から1977年の「アタリ2600」(VCS=Video Computer System、いわゆるカートリッジ交換型のゲーム機)で空前のビデオゲームブームが到来している。

 のちに海外では1983年の“アタリショック”でゲーム市場が崩壊し、現在のゲーム史につながるNES(日本では1983年発表、北米では1986年発表)の時代が始まるが、この“ファミコン前史のゲーム文化を持つ”ことこそが日本と北米の違い、ゲーム文化の成熟度にも通じている。

 日本でもこうした歴代ゲームの展覧会が昨年「テレビゲームとデジタル科学展」として開かれたが、日本はこうしたことをアカデミックにまとめがちなのに対し、こちらではあくまでゲームは遊んでナンボ、触ってナンボのエンターテインメントに徹しており(ゲーム好きにとっては素直に)うれしい。まあ、単純に土地柄と言うのもあるかもしれないが。

 なお会場の規模的には、去年のほうが世界初の商用ビデオゲーム第1号「COMPUTER SPACE」、第2号「PONG」のプレイアブル筐体などもあったため、今年はややおとなしめ。その代わり、昨年にはなかったコンソールも登場しているので、そうしたレアなものを中心にこちらで紹介しておこう。


今年のレアもの第一弾は「ATARI VIDEO MUSIC」(1976年)。ステレオサウンドを通すことでちょっとサイケなCG映像をテレビ出力するアタリのビジュアルエフェクターで、ゲインをいじることでドット絵がリアルタイムに変化する。ディスコやサイケデリック世代を意識し、1970年代ならではのデバイス。翌年1977年にはアタリ初のビデオゲーム「ATARI 2600」が発表される

おそらく民生品のゲーム機史上最強のプレミアものと言えるのが、ゲームカートリッジ交換式のモニタ一体型ゲームマシン「ADVENTURE VISION」(1982年)の現物品。同年に発売された「Vectrex System」(高速船)はベクタースキャンモニタを採用していたが、こちらはなんとFL(LED)モニタを採用し、まさにエレクトロトイの芸術とも言える造り。こちらだけはさすがにショーケース入り。残念!

家庭用ゲームコンソール史を語るうえで欠かせないVCSこと「ATARI 2600」(1977年)。会場では「Odyssey Console」(1972年)、「Coleco Vision System」(1982年)などのVCS前後の世代と、「Turbo Grafix」(PCエンジン)や「Sega Genesis」(メガドライブ)を含めた「Nintendo Entertainment System」(1986年)以降のブースに分かれて設置されていた。当時のアメリカのリビングに合うよう、VCS世代はウッドパネルが多用されたデザインなのが面白い

コンシューマーの“鏡”となった80年代のアーケードゲーム

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