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なぜゲームは愛されるのか――次世代ゲーム機までのミッシングリンク(2/3 ページ)

E3で発表された次世代ゲーム機――ここまで来てしまったハイスペックなハードの後ろには、脈々と繋がるゲームの血脈が存在する。KENTIAホールで見る海外ゲーマーの「愛」を“History of Video Games”で振り返る

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コンシューマーの“鏡”となった80年代のアーケードゲーム

 こうした歴代の家庭用ゲーム機だけでなく、History of Video Games会場では通路を隔てて、アーケードゲーム黄金期でもある1980年代前半の筐体が数多く展示されていた。こちらはナムコや任天堂、タイトー、セガといった日本のアーケードゲーム黎明期にも活躍した作品が多かった昨年と比べ、ATARIやMIDWAY、Williamsといった海外本来のアーケード御三家の作品が多く出展されており、舶来感がさらにアップした印象だ。ちなみに昨年はきちんと1プレイするのに1クォーターを投入しなければならなかったが(これはこれでいいのだが)、今回は全台フリープレイとなっていた。


まだゲームセンターというものがなかった頃、日本ではボウリング場やバッティングセンターに置かれていたATARIの「ASTEROIDS」。世界初のビデオゲーム「Space Wars」を発展させたゲームで、ベクタースキャン描画は今見ても非常にクール。当時のATARIは初の3Dポリゴン商用アーケード「I,ROBOT」をはじめ、トラックボールなどの新インターフェース、システム筐体の導、FM音源の搭載などなど非常に先進的なゲームメーカーだった。

一握りのクォーター(25セント)でどれだけハイスコアを記録できるか、という醍醐味を心底体験できるWilliamsの傑作アーケード「ROBOTRON:2084」。移動用、攻撃用のジョイスティック2本を捌いてプレイヤーの周囲を取り囲む敵の大群を数秒で殲滅させていく、という刹那的なゲームシステムは今も並ぶものなし。作者のJarvis氏はそのほか「ディフェンダー」「スマッシュTV」などアーケード黎明期において数多くの名作を輩出している

昨年も任天堂のアーケード用アップライト筐体が出展されていたが、今年も皆に大人気。パックマンやマリオの登場を見てもわかる通り、1980年を境にアーケードゲームはモノクロ画面(セロファンなどを張り疑似カラー化しているものもあるが)からカラー画面化され、キャラクターの表情も豊かになっていく。この辺りから日本製ゲームがアーケード、ひいては家庭用ゲーム業界を席巻することになる

 ところで、こうした展示を歴史順に追っていくと、実は非常に面白いことが見えてくる。先ほども述べたように、北米は一度ビデオゲーム業界の繁栄と衰退を一度体験している。1983年に起きた北米ビデオゲーム業界の氷河期として知られる“アタリショック”は「ゲームソフトの粗製濫造によって消費者がゲームに興味を持たなくなり市場が崩壊した」とよく言われているが、その氷河期時代(NESが登場する1986年までの間)のアーケードゲームは「ドンキーコング」「ゼビウス」「マリオブラザース」「グラディウス」などなど、日本のアーケードゲーム文化がまさに華開いた時期にあたる。

 そして、実際にそうした1980年代前半のアーケードゲームが海外のユーザーでも熱狂的に支持されているのを見ると、「本当にビデオゲームが飽きられたのだろうか?」という疑問がふつふつとわいてくる。

 当時の海外用ゲームコンソール(とのそのパッケージ)を時代順に調べてみると、日本のゲーマーと同様に北米のゲーマーたちも「自宅でアーケードクオリティのゲームが遊べる」ことが重要だったことは想像に難くない。しかしながら、1982年に発表されたコレコビジョンのヒット以降、海外メーカーは「コモドール64」をはじめ“ゲームもPCも遊べる”ホームコンピュータ路線にシフトしてしまった(かつて日本でもPC-6001シリーズやMSXが台頭してきたように)。


こちらは「Intellvision Computer」(Original)日本でもバンダイが発売していた「インテレビジョン」だが、海外ではプロトタイプとしてカセットローダやキーボードを装着する拡張システムが存在していたようだ。このように、1970年代後半のゲームマシンはホームコンピュータへの道に進もうとしていた

日本国内でも「アルカディア」の名で販売されていた「Emerson Arcadia 2001」(1982年)。NES登場以前の舶来ゲームマシンは、コントローラにテンキーが標準搭載されている。当時は日本国内もバンダイ、トミー、エポック、セガと多くのメーカーがビデオゲーム機に参入したが、任天堂「ファミリーコンピュータ」の登場がその乱立にとどめをさした

ゲームはPCで遊ぶもの、という文化が海外で定着したのも1980年代前半の話。ハイエンドゲーマー垂涎の「Apple IIe」(1979年)も、5.25インチのフロッピーと音源ボードを搭載した“ゲーマー仕様”が展示されていた

 この結果、ハイエンド/ミドルエンドユーザーはその後PC(IBM PCは1981年に登場した)に流れていくが、カジュアルユーザーの多くがローエンドゲーム機にとどまらざるを得ず「アーケードのようなゲームを遊びたいのに自分のゲーム機では遊べない(しかもソフトの価格は暴落してクソゲーばかり)」状況になっていた、と思われる。

 つまり“アタリショック”とは「最新アーケードゲームの急激な進化に従来の家庭用ゲームコンソールが追いつけなかった、もしくはメーカー側が消費者が求めるゲームコンソールを出さなくなった」ことが引き起こしたのではないか、という見方ができるわけだ。

 さらにこういう見方をすることによって、北米でなぜこれだけマリオが、任天堂が長年にわたって愛されているのかもなんとなく理解できてくる。なぜなら彼らゲーム好きにとって、NintendoはアタリVCS〜コレコビジョンで途絶えた「アーケードクオリティのゲームがまた手軽に遊べるゲームマシン」を再び提供してくれた“救世主”だっ たのだから。質のいいタイトルを出し続けてきたブランドに対する信頼も含め、任天堂がこれだけ高い求心力を持っているのは、なるほどこうした“歴史”を持つからこそなのかもしれない。


北米家庭用ゲーム産業を救った海外版ファミリーコンピュータ「Nintendo Entertainment System」(1985年)。今見ると、他のゲームマシンと比べて圧倒的に容積が小さくキュートな印象だ。会場には「バーチャルボーイ」「PCエンジン」「セガサターン」「3DO」「ネオジオCD」など歴代の日本製ゲームマシンが展示されていた

一時期は北米で任天堂のシェアを超えたこともある「Sega Genesis」(メガドライブ)シリーズの拡張パック(セガCD+セガ32X)。会場ではエクステンダーをつけ、最もヘンテコな形(?)でフル装備化された「ゲーマー心を分かっている」展示方法だったのがほほえましい。その横には携帯型メガドライブの「Nomad」も

日本じゃ見られない周辺機器もずらり。KENTIAは今年も元気

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