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未知なる世界であがき、もがけ。ドライなデザインについて来られるか?(3/3 ページ)

「シルバー事件」「花と太陽と雨と」など、ゲームの定型を意図的に破壊することで独自の世界を追究してきた「グラスホッパー・マニファクチュア」。その個性派が、メジャーメーカー、カプコンの三上・小林両プロデューサーとタッグを組んで作り上げたアクションAVG。発売前の評価は高かったが、はたして真価はいかに!?

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高いハードルを乗り越えることの価値

 ゲームとは娯楽であり、生きていくために必須の存在ではない。しかし、古代ローマの民衆が「パンとサーカス」を求めたように、娯楽がまったくない世界に生きることを人間は好まない。

 ここで問題になるのが、娯楽の発信者の立場だ。民衆の望むものを作るのが正しいのは当然としても、そのために自分を曲げるか否かかとなると、これは難しい。芸術と娯楽の境界といってもいいのかもしれない。

 プレイヤーの視点から見た場合、魅力的な世界観を味わうために、取っつきの悪いシステムを無理にでも修得しなくてはならないタイトルというのは面倒に感じるかもしれないが、わかりやすさばかりを意識しすぎて、プレイヤーにひたすら優しく作るのも、それはそれで問題があるのではないか。

 特にプレイステーションが登場し、ライトユーザーという層が強く意識されるようになってから、そうしたプレイヤーに寄りすぎたゲームが急激に増加して、ゲームから解く楽しみを奪っていったという側面があるだけに、一概に結論を出すわけにはいかないだろう。

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 キラー7は、ゲーム業界全体を見渡しても、かなり特異なポジションに立っている作品だ。議論も巻き起こるだろうし、賛否両論が出るのも必至だろう。

 だが、ここで重要なことは、それが作り手であるグラスホッパー・マニファクチュアの個性だということだ。いい悪いを論じる前に、それが彼らの特徴であり、アイデンティティであることだけは認めなければならない。そして、その名前を脳裏に刻み込むのだ。映画にしても音楽にしても、あるいは酒や煙草にしてもそうだが、あらゆる娯楽は嗜好品である。買う側が好みで選ぶのだ。

 事実、例えば花と太陽と雨とをプレイした人なら、キラー7が遙かにユーザーフレンドリーであり、ゲームとしての面白さもアップしていることがわかるだろう。グラスホッパー・マニファクチュア初体験の人は、この集団の個性に面食らったかもしれない。作る側だって、自分たちが万人に受け入れられるとは思っていないはずだ。ひょっとしたら、そんなことなど望んでいないかもしれない。

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 商業性を意識しつつも、それを拒絶し、もがき続ける。そこまでして個性を追求する姿勢。ゲーム業界が下降気味で、プレイステーションの全盛期だった1996〜1998年あたりに比べれば、ソフトの本数が著しく出なくなっている今、そうした作品を作ることは極めてハイリスクな行為だ。だが、それでも彼らはそれを捨てなかった。あえて危険を犯した。キラー7の真の価値はそこにあるだろう。

 肯定するにしろ、否定するにしろ、グラスホッパー・マニファクチュアの個性は認められてしかるべきだ。異端の道を歩む者に、支持と批判が同時に寄せられるのは仕方のないことだろう。だが、誰もその個性を否定することはできない。ゲームも他の文化的なメディアと同じく、アイデンティティを表明する手段となり得る。そのことを証明していることこそ、キラー7の最大の価値なのだ。

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キラー7
対応機種プレイステーション 2/GC
メーカーカプコン
ジャンル多層人格アクションアドベンチャー
発売日発売中(2005年6月9日)
価格7140円(税込)
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