売れてる割に語られない「スーパーマリオランド」:ゲイムマンの「レトロゲームが大好きだ」(1/2 ページ)
今回は、ゲームボーイのローンチタイトル「スーパーマリオランド」(任天堂)。419万本も売れているのですが、その割にいまひとつ目立たないような気がします。個人的には好きなんですけどね。
最新鋭のゲームとも遜色ないおもしろさ
12月23日のお台場は、もっとカップルでごった返しているかと思っていたが、昼間はまだ意外と混雑していなかった。
駅の近くにあるパナソニックセンター東京の1階に、ニンテンドーゲームフロントがある。任天堂ゲーム機の最新ゲームが楽しめる。お子さんたちでにぎわっていた。
この日試遊できたゲームは、ゲームボーイアドバンスの「通勤ヒトフデ」「スーパードンキーコング3」、ゲームキューブの「マリオパーティ7」「伝説のクイズ王決定戦」、ニンテンドーDSの「ポケモン不思議のダンジョン」「おいでよ どうぶつの森」「ソニックラッシュ」「マリオカートDS」「だれでもアソビ大全」など。
通勤ヒトフデをプレイする。おもしろい。今度買おう。
……じゃなくて、今回のゲームは「スーパーマリオランド」である。
数あるマリオシリーズの中で、なぜこれを取り上げるかというと、419万本も売れたゲームの割には、語られることが少ないような気がするからだ。
その理由としては、「スーパーマリオブラザーズ」のゲームボーイ版という位置づけや、2カ月後に発売された「テトリス」が、マリオランドを上回るヒットになって、ゲームボーイ本体の売り上げを牽引したことが挙げられるだろう。
携帯型ゲーム機のゲームなので、久しぶりに現地でプレーしてみることにした。
とはいっても、さすがにニンテンドーゲームフロントでやるのは気が引けたので、パナソニックセンター前の路上で、ゲームボーイカラーを取り出して、スーパーマリオランドをプレーしてみた。
さっき見た最新鋭のゲーム機と比べると、グラフィックはさすがに見劣りするのだが、16年前のゲームなのに、プレーしている感覚は、意外なほど最新のゲームに引けをとらない。
それはやはり、ゲーム機の性能が良くなり、できることが増えていっても、本質的な“おもしろさのエッセンス”は、それほど変わらないからではないだろうか?
もっとも、通勤ヒトフデなどの新しいゲームにも、そのエッセンスがあるからか、“昔は良かった”という感覚には陥らなかった。
ゲームボーイのローンチタイトル
ゲームボーイは、1989年4月21日に発売された携帯型ゲーム機。スーパーマリオランドは、本体同時発売ソフト、今でいうローンチタイトルだった。
ちなみに、ゲームボーイのローンチタイトルは、ほかに「アレイウェイ」、「ベースボール」、「役満」があった。
年号が昭和から平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊した1989年。ゲーム界も変革期を迎えつつあった。
前年末に、PCエンジンが新しい記憶媒体「CD-ROM」を商品化させ、新時代の到来を予感させた。また、セガは前年、16ビットのゲームマシン「メガドライブ」を発売している。
一方任天堂は、ファミコンの後継機種となる16ビット機「スーパーファミコン」を発表していたものの、実際の発売は予定より遅れ、結局翌年11月までずれ込んだ。
そんな時期に任天堂が発売したのは、まったく新しいタイプのゲーム機だった。
この頃、テレビにつなぐタイプのゲーム機としては、もちろんファミコンが圧倒的なシェアを誇っていたのだが、一方で細々ながら、旧来の液晶ゲームも作られ続けていた。
私は当時高校生だったが、修学旅行に何人かのクラスメイトが、昔のゲーム&ウォッチを持ってきていて、けっこう人気だったような記憶がある。
旅先や屋外などでゲームをしたいというニーズが、少なからずあったのだろう。任天堂はうまくそこを読み取って、ファミコンのようにカセットを変えることでいくつものゲームを遊べるゲーム機、「ゲームボーイ」を発売、成功させたのだ。
(ただしゲームボーイより以前、1985年にエポック社が、カセット交換式の「ゲームポケコン」という液晶ゲームを作ったが、あまり普及しなかった)
ゲームボーイはその後、後発のゲームギア、PCエンジンGT、リンクスの追撃をかわし、一時期低迷期もあったものの、「ポケットモンスター」の大ブレイクで復活。
その後ゲームボーイカラーなどを経て、ゲームボーイアドバンスに移行するが、ゲームボーイアドバンスSPに至るまでは、スーパーマリオランドを始めとする、初代ゲームボーイ用ゲームもプレイできた。
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