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事後分析:「ワンダと巨像」における情緒的キャラクターコントロールGame Developers Conference 2006(2/2 ページ)

「ワンダの巨像」(英題:「Shadow of the Colossus」)の開発チームは、本作を形成するゲームデザインの特徴を挙げ、それに伴い開発現場でどのような作業分担が行われたのかをGDC 2006においてセッションを行った。開発者の視点から哲学的かつ感覚的に取り組んだ経緯を振り返る。

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ゲームデザイナーとアニメーターの立場では?

 続いてゲームデザイナーの細野淳一氏は、キャラクターの制御でいえばリソースの管理やモーション分岐の実装、馬や巨像のAIの制動など、通常プログラマーの仕事とされているものをデザイナーが担当していると語り始めた。

キャラクター専用エクセルで管理。Cの列が今現在のモーション、Dの列がコマンド、Eの列が次のモーションと制御されている

 主人公だけでも1000近いモーションをデザイナーが管理しているのだが、これらの制御はマイクロソフトエクセルで構築されたデータベースを使用している。これらのデータベースの利点はプログラマーからゲームデザインに関する資料が切り離されているため、資料の入れ込みから反映まで比較的短時間で実現できることだった。しかし、致命的なバグをデザイナーが乗せてしまう可能性も高いと話す。事実、デバッグ報告の約1/3はデザイナーが乗せたバグなのだとか。

 巨像の上でのリアリティある動きを実現するための、何気ない工夫もこだわりを感じさせる。地面に設置する角度によって、キャラクターが違う着地の仕方(前後左右4種類)をする本作だが、なにげにこういう細かい動きは他作品では見受けられないと説明する。このような工夫は随所に施され、遊びやすくもしている。プレーヤーのスピードに合わせて巨像が速度を調節するシステムなどは、巨像に飛びつきやすくするためだけでなく、臨場感を生み出すための馬での併走の場面を作りやすくする効果もあったと実際に画面で解説。こういう細かいひとつひとつのこだわりが、そのゲーム世界へプレーヤーを引き込む要因となっていると胸を張る。アイディアをデザイナー自らが、仕様から実装まで関与できる環境を構築したことが、このような挑戦的作品を実現できたと話を結んだ。

 次に語り出したアニメーターの田中政伸氏にとって本作は、リアリティの追求に終始したとのこと。巨像のような物体を動かす際、その“重さ”を表現できなくてはならない。例えば、プレーヤーがジャンプしたいとき、本作ではボタンを押すと一度腰をかがめてからジャンプしようとする。開発チームは、“ボタン入力に対するレスポンスの良さ”と“操作性の良さ”は必ずしもイコールではないと捉えている。でなければ、重さを持ったキャラを表現できないからだ。質量やエネルギーを感じられてはじめて、リアリティーある動きが物語に加えられると説明する。

 本作では、アニメーターが、ツール上で作成したものをゲームに移植できるシステムが採用されている。田中氏はそれに則し、馬や4足歩行の巨像、弓を放つモーションなどを担当した。どんなにリアルを追求しても、それはゲームクリアに直接関係しないと思う方もいるかもしれない。しかし、動きの不自然さに気づいてしまい、それを理由に冷めてしまうユーザーもいるはずだと田中氏はじめ開発チームは考えた。極力不自然さを取り除き、自然なモーションを取り入れることで、興味をもってくれるユーザーもいるはずだからと。

 アニメーターの福山敦子氏も同じく自然に見えることにこだわった。それというのも、「ICO」に関わる以前までは、ゲームに登場する女性キャラに大いに不満を持っていたのだ。女性であることを誇張されているものも多く、そんな紋切り型の女性像にはうんざりしていたと言う。そんな思いから、ICOのヨルダが誕生したのだ。

 本作はキャラクターを個性的にするために、モーションキャプチャーではなく、手づけによるアニメーションで製作されている。もちろんモーションキャプチャーでも、今以上の表現は可能ならば使ってみたいとは思っているが、現状は手づけの表現が好ましいと感想をはさむ。アニメーションはテクニックだけではなく、アニメーターがいかにそのキャラになりえるかであり、より深く思考し、自分ならどう動くかを考えながらキャラクターと向き合わなくてはならなかったと、ドラマの役者との共通点を挙げる。ワンダでは苦労させられたのだそうだ。

PS2では「ワンダと巨像」は過ぎた技術だった?

 杉山氏は前途したことを踏まえ、それでは“プログラマーじゃない人にパラメーターを渡せば質はあがるのか”“プログラマーはシステムに特化させるべきなのか”と、逆に問いかける。

 確かにプログラマー以外にパラメーターを渡せば、ゲームデザイナーやアニメーターは、調整の幅が広がるだろう。しかし、そのことによってパラメーターの作業に追われたり、多次元化してしまい調整もままならなくなってしまう事態に陥ることが予想されるといいことばかりではないことを挙げる。事実、開発中にも実際に起きたことだとか。どのような作業をすればクオリティーアップがはかれるかは、つまるところ各セクション間での話し合いがもっとも大事なことになる。

 また、プログラマーはシステムに特化すべきか、との問いには、確かにプログラマーはすべてを作りたい欲求があるし、あこがれがあると吐露しつつも、物理シミュレーションですべてが解決するものではないとも発言。現状、計算では割り出せないものもあるからだ。顔の角度でその人の印象が変わるように、将来的にはAIに演技指導することになるかもしれないが、現状は“情緒的”な部分をゲームデザイナーやアニメーターに振り、彼らを信じ、あとはプログラマーはクオリティーアップにつとめるべきだと考えていると締めくくる。

日本では目的を達成した際、目を入れるダルマというものがあると紹介。本作の開発は、まさにダルマに目を入れていくような作業のようなものだったと、プログラマーが改めて天職なのだと理解できたとのこと

 杉本氏は開発の後半、馬の手綱やたてがみ、人の髪の毛やマントのダイナミックスやコリジョンの判定を調整するのがすごく楽しかったと語る。これはプログラマーとしてのアウトプットがそのままクオリティーに直結していたから。個人的欲求を叶えられる現場であることがいかに大切かを今一度強調した。最後に質疑応答ではPS2ではかなり無理があるのではないか? との答えにくい問いに、そうかもしれないと認めながらも、現状できる最大限のパフォーマンスを実現できたと返答した。

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