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「リアルサウンド 風のリグレット」の画面写真を作ってみたゲイムマンの「レトロゲームが大好きだ」(2/6 ページ)

連載第79回は、「リアルサウンド 風のリグレット」(ワープ)。“ゲーム界の風雲児”こと飯野賢治氏の作品です。最大の特徴は、ゲーム画面が一切なく、音だけでゲームが進行すること。でも、この記事まで画面写真がなかったら味気ないので、あえてこのゲームの画面写真を、想像で勝手に作ってみました。

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外苑前から始まる物語

 まずは泉水が失踪した場所。これはゲーム中で「外苑前駅」とはっきり述べられている。地下鉄を突然降りた泉水を、博司が追いかけるも見失う。博司はその後、直前の駅(表参道と思われる)から同じ電車に乗っていた女の子(菜々)を見つけ、横断歩道の中央分離帯で言葉を交わす。

 駅の1〜3番出口の前にある外苑前交差点に行ってみると、中央分離帯はあるが意外に細く、現在は街路樹もない。赤信号の中、ここで大人2人が立って話すのは、けっこう大変だったろうと思う。菜々の飼ってるツグミのライカも、よくひかれずに生きてたもんだ。

外苑前駅1a出口の近くから、外苑前交差点を望む。ゲーム内と同様、車の交通量が多い

 ただ、外苑前駅4a出口から少し歩いて、赤坂消防署入口交差点に行った可能性もある。こちらの方が中央分離帯は広い。もし博司と泉水と菜々が電車の後ろの方に乗っていたら1〜3番出口、前の方だったら4a出口の可能性が高い。

 泉水の家は、当時表参道にあった同潤会青山アパートがイメージに近い。外苑前からそこそこ近いし、2部屋続きのベランダもある。同潤会アパートは2003年、老朽化のため取り壊されたが、跡地に建てられた表参道ヒルズに、この建物を模した一画が設けられている。

 その近くで考えると、博司が泉水の情報を聞くため、友人の三井と会ったパチンコ屋は、渋谷のマルハンパチンコタワーかもしれない。1995年、渋谷のONE-OH-NINEに出店し、パチンコ店らしくないおしゃれな内装で、若いカップルに人気だった。今では全国のロードサイドに、凝った内装の大型パチンコ店が数多くあるが、マルハンパチンコタワーはそのさきがけといえる。

 ちなみに現在、パチンコタワーの1階はクラブセガ渋谷になっているが、そこにあったコーラの自動販売機が偶然、飯野賢治氏の開発したCmodeシステムに対応したタイプだった。飯野氏が描いたウサギの絵が、ボタンについていた。

右端のビルがマルハンパチンコタワー。隣はH&M渋谷店、奥には東急本店・Bunkamuraがある
表参道ヒルズの東南端にある同潤館。旧同潤会アパートと同じく、壁面にツタがはっている

夜行列車「かえで」考

 博司と菜々は、泉水が里帰りしていると推測。夜行特急「かえで」に乗って、故郷の“あくみ町”へ向かう。さて、この“あくみ町”のモデルはどこだろうか? 名前からすると熱海っぽいのだが。

 大きなヒントとなるのが、後半の「紀伊半島より上陸」する台風が「直撃しそう」という展開。この台風が来るときに、このゲームをプレイした人なら絶対覚えているはずの電波ソング、「いちなななななないちななな」の歌(正式タイトル:天気予報の歌)が流れるのだが、それは置いといて。

 ともかくこれで、あくみ町が紀伊半島もしくはその周辺らしいことが分かる。では次に、そのあくみ町へ向かう特急「かえで」について考えてみよう。(かなりマニアックな考察になるので、退屈だったら飛ばしてください)

 「かえで」という名の優等列車は実在しない。どうやら過去にも存在しなかったようだ。その「かえで」号、東京を11時33分に発車する。ここで問題になるのは、この“11時33分”は午前か午後かということ。

 これを検証するために、鉄道博物館のライブラリーへ行って、このゲームが発売された1997年7月と、その前年・1996年の7月のダイヤを、時刻表で調べてみた。

 当時の東京発寝台特急は、東京駅を発車するのが早い順に、富士(南宮崎行き)、さくら(長崎・佐世保行き)、はやぶさ(西鹿児島行き)、出雲1号(浜田行き)、あさかぜ(下関行き)、瀬戸(高松行き)、出雲3号(出雲市行き)。もっとも早い富士でも東京発が午後4時56分なので、かえでが午前11時33分発というのは考えにくい。

 一方、もっとも遅い出雲3号は東京発午後9時16分。かえでが午後11時33分発とすると、これよりかなり遅いことになる。

 ただ、特急は出雲3号で終わりだが、その後に夜行急行の銀河(大阪行き)がある。銀河は東京発午後11時。この33分後だから、あながちあり得なくもない。ちなみに、かえでの発車と同時刻に、夜行快速のムーンライトながらが入線する。ながらの発車は11時43分。

 ゲーム内での時刻表の表記や駅構内アナウンスが“23時33分”ではなく“11時33分”なのは不自然だが、こうして実際の時刻表と照らし合わせて考えてみると、やはり午後11時33分発とするのが妥当だろう。出発してすぐに博司は寝てしまうし。

実はわたしが鉄道博物館に行くのは初めて。ハマると帰ってこられないと思って、今まで行ってなかったのだ
今はなき寝台特急富士・はやぶさに使われた電気機関車EF66。本当はEF65の写真を使いたかったんだけど、手元になかった

 とすると、かえではどこへ向かって走るのだろうか? 紀伊半島周辺を通るということは、名古屋から関西本線を経由して紀勢本線を回るルートか、または岡山から瀬戸大橋線に入って、四国東部へ向かうルートが考えられる。後者のルートだと特急瀬戸と重なるが、瀬戸より2時間33分も遅く発車するのは不自然だ。

 一方、前者はかつて存在した特急紀伊に近いルートになる。紀伊は1984年(昭和59年)に廃止されたので、直前の夏にあたる、1983年7月の時刻表でダイヤを調べてみた。

 特急紀伊の東京発は午後9時。紀伊半島に入って最初の停車駅・亀山に着くのが午前3時13分。終点の紀伊勝浦でも7時22分で、ちょっと早すぎる感じがする。

 これを東京発午後11時33分とし、あとの駅の到着時刻もすべて2時間33分遅くしたらどうだろう。亀山5時46分、津6時16分、松阪6時35分、多気6時44分、紀伊長島7時50分、尾鷲8時18分、熊野市8時57分、新宮9時31分、那智9時51分、紀伊勝浦9時55分と、紀伊半島東部の主要都市が有効時間帯に収まる。これこそ特急かえでのダイヤにふさわしい。

 東京駅の13番線は当時、東北・上越新幹線のホームだったとか(寝台特急が13番線から出るのは上野駅)、沖縄からしか見えないはずの南十字星があくみ町から見えるとか(北端の星だけは、宇和島や熊本あたりでも見られるらしい)、いろいろ問題はあるが目をつぶろう。

 なお、紀伊の東京−静岡間の所要時間は、34年経った1997年の寝台特急とだいたい同じ2時間半。また、紀伊は名古屋で電気機関車EF65からディーゼル機関車DD51への交換があったが、紀勢本線の新宮以東は今でも非電化なので、1997年に存在したとしても、やはりこの機関車交換は行なわれていただろう。

 あと、あらためて車内のシーンを聴き直してみると、菜々役が菅野美穂さんなので、寝台特急ではなくてチオビタドリンクのCMで菅野さんが乗ってた、ひたちなか海浜鉄道の気動車をつい思い浮かべてしまった。

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