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「信長の野望・天道」連載(第5回)――上杉家リプレイ・地の巻「関東管領会系・上杉建設」伸ばせ街道! 戦国ニッポン改造論(1/3 ページ)

越後の雄・上杉(長尾)家は、どうやら建設業を営むようになったようです。

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なぜか信濃でなく関東方面に進出してきた武田家と、その脅威を逆手に取って下総進出を果たした佐竹家

 前回までのプレイで信濃北部を村上家に任せ、奥羽南部を平定した長尾家。その宿敵たる武田家は、関東甲信越に長尾家の兵が来ないと見るや北条家を潰し、瞬く間に関東を席巻しようとしている。村上家がいまだ健在なおかげもあって、世に名高い川中島の合戦(舞台は信濃北部)は一度たりとも起きていない。


 それでもやはり、長尾家の前に立ちふさがるのは武田家である。すでに伊豆、相模、武蔵、上野、下総と関東の過半を制しつつある。ことに上野は越後に隣接していて、我が本拠たる春日山城を窺う位置にある。これ以上強大化さたれたらお家の一大事、関東を舞台に、武田と一戦交えるほかあるまい。

 いま関東に生存する勢力は、佐竹(常陸)、宇都宮(下野)、里見(上総)のみ。彼らと同盟できる可能性を探ったところ、宇都宮家のみが快諾してくれた。とりあえず、南陸奥から関東に出る道が確保できたわけである。

下野(栃木県)の宇都宮家と手を結ぶ一方で、越後(新潟)から上野(群馬)に出るため、三国峠に街道敷設を進める。ただし、武田方の動きは思ったより早く、この街道が完成する前に戦端が開かれた

 ここで武田方の動きを見てみよう。古河公方の御所(下総)を陥落させた武田勢は、そこにいったん駐留して防御拠点を整備することなく、兵の疲労を回復させるや否や、そのまま常陸の佐竹討伐に向かうようだ。彼らの補給ラインは甲斐・信濃から上野を経て伸びる東山道ルートと、同盟相手である今川家の領地を介して小田原に出る東海道ルートである。一方、越後と奥羽南部を版図に持ち、宇都宮家との同盟で下野からもアプローチ可能な長尾家は、この補給線を横合いから遮断できる立場にいる。

 そこで、次のような作戦に出た。まず、武田信玄率いる敵主力軍の東進ペースを見極めながら、景虎軍軍団2万4000を会津黒川から宇都宮へ移動させ、宇都宮家に対する援護をよそおう。武田がいま攻略しようとしているのは佐竹家が奪取した下総の古河御所であるから、武田軍は宇都宮領の側傍を通過して、そのまま下総へ向かうようだ。それを見計らって、下野と下総の間まで景虎軍団を進出させ、武田軍主力の背後に出る。そうした景虎軍団の動きに呼応する形で、春日山城から上野の箕輪城に向けて攻略部隊2個軍団4万ほどを出発させたのである。

下総古河をめぐって佐竹と武田が激突。互いの援軍が入り乱れている
宇都宮に待機させておいた景虎軍団を、武田軍の後方に進出させる

景虎軍団と呼応させて、春日山城から箕輪城へ攻略部隊を送る
南北からの部隊が合流し、武田の兵站基地たる箕輪城を包囲する

 箕輪城の1万2000は南北から挟み撃ちとなるうえ、武田軍主力は箕輪救出に向かいたくても、すでに佐竹軍と交戦中で動きが取れない。常陸攻めを切り上げて引き返したところで、今度は景虎軍団が足止めするという寸法だ。かくして武田軍の後詰となるはずだった箕輪城の兵は、孤立状態のまま降伏を余儀なくされた。佐竹家は同盟こそ結んでくれなかったものの、対武田戦線では陽動という役割を立派に果たしてくれたのである。

 関東進出の第一歩を刻んだ長尾家の前に、イベントで関東管領(山内)上杉憲政が現れる。長尾景虎はその猶子となって上杉家の家督を継ぐことで、関東平定の大義名分を得た。いやまあ、それを言ったら鎌倉公方の成れの果てである古河公方もどこかでご存命の様子なので、誰が正統な関東の支配者なのか知れたものではないのだが、ゲーム内的にはありがたいお話である。幕府系の「役職」を得ると、指揮可能な兵力が増える。関東管領の場合プラス5500。普通の武将が4500止まり、大名家当主で8000止まりであることを考えると、これはかなり大きなメリットである。

関東管領への就任は、長尾家にとって貴重なイベント。最も重要なメリットは、謙信が指揮できる兵力が5500人プラスされることだ

河越城、岩付城といった、武田方の手薄な城を順次落としていく。箕輪城をめぐる戦闘で、武田方にかなりの犠牲を強いたので、抵抗は散発的だった

それでもこまめに妨害に出てくる、武田家お抱えの風魔忍者衆
岩付城の陥落で、「武田菱」の地域が「竹に雀」で分断された

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