「信長の野望・天道」連載(第5回)――上杉家リプレイ・地の巻「関東管領会系・上杉建設」:伸ばせ街道! 戦国ニッポン改造論(2/3 ページ)
越後の雄・上杉(長尾)家は、どうやら建設業を営むようになったようです。
武田の関東遠征軍を一掃したいまこそがチャンス。小規模な守備兵力しかおらず、修復も進んでいない武田方の城、すなわち武蔵の河越城と岩付城、下総の古河御所、相模の小田原城を順に奪取していく。岩付城を落としたところで我が家の城は10となり、急成長がすぎるということか、このゲームの名物「包囲網」イベントが発動した。周囲の大名家に2年間ほど無条件につけ狙われるこのイベントだが、東に接する敵は武田家のみであり、東北方面はすでに守りやすいラインで進撃を停止、守備部隊を置いて城の改築を進めていたため、さほど影響はなかった。包囲されようがされまいが、武田を食い破らない限り上杉に未来はないのだ。
今川家は武田家と並ぶ規模まで成長しており、武田家と同盟関係にあるため、両者が一致協力して反撃に出てくることが最大の懸念事項だったのだが、幸いなことにそうした展開にはならなかった。同盟の継続交渉に応じてくれなかった宇都宮家、ときどき下総にちょっかいを出す里見家といった、関東情勢の不安定要因を潰しつつ、武田を西に逐っていく。武将の数と質がものを言うこのゲームで、いったん武田を追い込んだ以上は、自らの手で滅ぼさなければならない。例えば残る城が一つになった時点で、ひょこっと斎藤家あたりに取られてしまうと、武田家に残った優秀な人材がそっくりさらわれてしまう。そんなわけで甲斐の躑躅ヶ館、信濃の高遠城と追い込んで、残るは飛騨の桜洞城のみとなったとき、二度目の「包囲網」イベントが発動する。
北からは安東家と斯波家、西では武田、斎藤、今川の三家がタイミングを合わせて攻め寄せる状況は一見たいへんだが、そもそも今川以外は城を一つしか持たない大名家であり、軍隊の規模はタカが知れている。攻め寄せる敵の半数から同数程度の兵に鉄砲を持たせ、城の「護衛」を命じておけば、大事にはいたらない。武将の特性と「戦法」に目が行きがちなこのゲームだが、序盤はともかく、十分な数の鉄砲が揃う中盤以降は、上杉家でさえ鉄砲が大活躍するのである。
そんなこんなで周囲の大名家が無駄に兵を消耗させた段階で、予定どおり飛騨の桜洞城を落として武田家を滅ぼした。1563年3月のことである。武田家在来の(?)武将はもちろん、ここまでに武田家が滅ぼしてきた北条、長野、太田といった大名家に由来する武将達もまとめてリクルートして、今後は上杉家のために働いてもらおう。
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