幼少期のトラウマを今も引きずっている
私が小学生だった昭和の時代は、「誕生日にクラスメイトを自宅に呼んで、お菓子やケーキを食べて祝う文化」があった。誕生会はよほどのことがない限り、クラスメイト全員に声がかかるものなのだが、誘われた記憶がない。クラスメイトの誰からも、お呼ばれされたことがない。
べつにイジメではなく、単純に「いるかいないか分からない影の薄い存在」すぎて、名前が思い浮かばなかったのだと思う。いまだにハッキリ覚えているのだが、小学三年生のころ、隣の家の子(6年生のお兄さん)が誕生会をしてて、大人数の笑い声が我が家にも聞こえてきた。自分がそこに呼ばれる理由は当然ないのに、母親に「お隣の誕生会に行きたい」と泣いてダダをこねたことがある。母も、まさか「うちの子も混ぜてやってください」と頼むわけにもいかず、ほとほと困っていた。申し訳ないことをした。
仮にその輪の中に加わったとして、自分は何をしたのか? 誰と何をしゃべったのか? 貝のように口をつぐんでいただけに違いないのに。まあ、それくらい友情に飢えていたのだろう。その傷が癒えておらず、中年オヤジになった今も友人はゼロ。人を誘う行為が極めてハードルが高く感じるのは、そんな幼少期を送ったからだ。
もしも同窓会の誘いが届いたら……果たして自分は行くだろうか? という自問
余談だが、小中高のクラスメイトの消息は誰一人として知らない。どこでなにしているかも分からない。Facebookでのつながりもない。もはや、名前すら覚い出せない。卒業アルバムを実家から引っ張り出してFacebook検索したら、どんな気分になるんだろう。
同窓会に誘われたこともない。小中の担任の名前すらほぼ記憶にない。恩師と呼べる人はいない。高校の担任はさすがに覚えているが、卒業後の行方は知らない。知りたいとも思わない。
小中高のクラスメイトに会ってみたいか? いや、遠慮するだろう。どのツラ下げて会えばいいのか。話題がない。もし同窓会に行ったら、幹事に真顔で「……中山様ですか……失礼ですが、本当に本校の卒業生でいらっしゃいますか? 卒業年度を間違えてはおられませんか?」と尋ねられる自信がある。「●●年卒業の中山と申します。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、みなさんと同じクラスにかつて所属していた者でして……」と説明するハメになるに違いない。そんな苦行はしたくない。
小汚い焼き鳥屋で一人コーラを飲む
湿っぽい話になってしまった。申し訳ない。
最近、お気に入りの場所を職場近くに見つけた。五反田駅近くの小汚い焼き鳥屋だ。接客がいい意味で雑というか、大ざっぱ。過剰なところがなく、適度に放っておいてもらえる。5本頼んで4本しか来ないような店だ。
味は……よく分からないが、この際どうでもいい。カウンターの隅で4〜5本食べて、コーラを飲んで帰る。滞在時間は30分。まだ、誰も誘えていない。
日本中の人見知りに、幸あらんことを。
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