「“読者のニーズが”とか言ってるヤツを見ると、ムカッと腹立つんですよ」 20周年を迎えた「コミックビーム」が目指すもの:奥村勝彦“編集総長”インタビュー(2/3 ページ)
11月12日で晴れて20周年を迎えた「月刊コミックビーム」。これを記念して、同誌・奥村勝彦編集総長にインタビューを行いました。
リミッターがなかった入社当時のアスキー
―― 入社された当時のアスキーはいかがでした?
奥村 最初は面食らったね、ほとんど会社の体をなしてなかったから。俺が座った席の1メートルぐらい横で、女の子が号泣してるの。もう一人の女の子がそれをなだめていて、話を聞いてたら彼氏に振られたからって。あと会社に徹夜で泊まり込みしてるヤツが近くにいたんだけど、俺も忙しくて一週間ぐらいずっと会社にいたから観察してみたら、そいつ1日8時間寝てるんだよ(笑)。ゲームやるのも仕事のうちだったんだろうけど(※)、実際に何の役にも立ってないヤツがけっこういたよ。
―― 普通の編集部では考えにくい光景ですね……。
奥村 でも、てめえの好きなことしかやりに来てない連中ばっかりなので、他人のやること放ったらかしで、やりたいことは何でもやれた。この会社はリミッターねえなって、すんげえ楽しかったですよ。確かにお金の面ではいろいろ文句言われて、1年目につぶすぞとか言われたけど、反則スレスレの手を使ってなんとか黒字に転換したり。そういうことを毎年やって、気付けば20年ですわ。あれだけ自由に何でもやらせてくれる会社は今じゃ考えられないし、今後も当分ねえだろうなと。
―― 「アスキーコミック」時代はゲームとのメディアミックス作品が多かったですが、「ビーム」ではなくなっていきましたね。
奥村 簡単な話で、ゲーム会社が最初は何も言わなかったの。ああマンガになるんだ、バンザーイとか現場の連中は言ってた。でも徐々に、ゲーム会社内にも権利関係を扱う部署ができて、マーチャンダイズ(版権ビジネス化)し始めたわけよ。昔はメチャクチャだったもん、ゲームのこいつらは男と女ですよね、じゃあやっぱりセックスしなくちゃダメでしょうって。それでベッドシーンをやったら、ゲームの現場も喜んでた。それから2年ぐらいしたら、いちいちコンテの段階で広報の人が目を通すようになって、あらかたダメになった。しんどいだけで大して金にならねえなと、やめちゃったんですよ。
―― 漫画として面白いこともできなくなったんですね。
奥村 好き勝手やれたからといって仕事が楽だったかというと、楽だった試しは一回もなかったですけどね。でも、やっててストレスはたまらなかった。カラダはきつくてもストレスがなけりゃ人間なんとかなる、ってのは感じたね。
―― 「ビーム」の連載陣は、20年を通じて「好きなことをやる」方針がブレてませんよね。
奥村 たぶん俺らが一番怖がらなきゃいけないのは、自分らでリミッターをかけてしまうこと。今はなんでもやっていいんだって時代じゃ全くなくて、むしろ逆の方向に一目散に突っ走ってるけどね。
―― テレビもクレームを恐れて、先回りして自主規制してると言われますよね。
奥村 特に今の安倍政権になってから、その動きがすごい勢いで広がり始めてるのは間違いない。そういうのから作家を守らなきゃいけない俺たちにも、やっぱり影響は及ぶはずなんです。「今こういうのやったらヤバいですよ」と。でも、別にいいんじゃねえか殺されるわけじゃねえんだから、って気持ちでやらないと。
―― 常に挑戦していかないと表現が萎縮しちゃいますよね。
奥村 ただ、俺らは娯楽だから真正面から行くのは面白くない。ふわーんと行って、結局ヤバいところにタッチしてくる、そういう戦法を習熟していかないといけないなと。
「漫玉日記」シリーズの思い出
―― 「面白くするためなら何でもやる」といえば、桜玉吉さんの漫画ですよね。奥村さんご本人も大活躍されていて。
奥村 やってて楽しかったんですよ、単純に。結局(玉吉さんが)うつ病になっちゃって、本人はもうカスカスだとか言ってるけど、カスカスでもまだ味あるんだぜって。
―― 漫玉日記シリーズでやれることをやって、完全燃焼した感もありますよね。
奥村 昔みたいなああいうアクティブな手法は、もうストレートにはできないよね。だけどトシ食ったなりのものはまだまだ描けるし、それはそれで枯山水みたいで味がある。俺、つげ(義春)さんのマンガを昔から愛読してまして、晩年に筆を折る手前あたりの「池袋百点会」がめちゃくちゃ好きなんだよ。どんどん境地が変わってきていて、つげさんここまで行ったんだと。
―― 玉吉さんの読者は、まさに作者の生涯を追いかけてますよね。
奥村 昔の全盛期と比べりゃ数は減ってますが、まあ玉吉が描くものだから読むよと。俺にも、「この作家が書いてるものは良いのも悪いのも含めて読み続ける」って気持ちがあるんですよね。今後、そんな読み方をしてくれる若い人を増やしていけたらいいなとは思いますが。
―― Amazon.co.jpの書評でも「玉吉さんの生活を支えるために買おう」という暖かいレビューがあるんですよね。
奥村 俺はやっぱり、最終的には書いてる本人の人格が決め手だと思っていて。もちろん「こいつ面白え、最高だ!」って漫画家でも、描いたものが面白いとは限らない。だけど「こいつ本当につまんねえ」ってヤツのマンガが面白いってことはやっぱりねえんだよな。十分条件じゃねえけど必要条件というか。
―― 玉吉さんと20年以上お付き合いしているのも、本人が面白かったからなんですね。
奥村 味があるね、喋ってて辛気臭い話しかしてないけど。お互い遠慮がないから、ボロクソ言い合ってはいても、会話にはなってる。面倒くさいからお互い怒らないし、何でも言える仲なんですよ。俺の持ってる(担当してる)古手の作家さんもぜんぶ20年以上の付き合いなので、恵まれていたのかな。
―― 人間として付き合っていけることが大事なんですね。
奥村 若い作家さんが来ても、こいつと何年付き合えるかなと思って見ちゃってるのよ。やっぱり一生付き合えるような作家に何人出会えるかというのが、編集者の命運を握るのかな。赤塚(不二夫)さんに、家族込みでボロクソに描かれた武居(俊樹)さんみたいにね。「武居の娘は親父と同じ顔をしている、もちろんブスだ」と描いた原稿をポンと渡された武居さんは、そのまま載せてたね。作家が俺らを試してるんだったら、それ以上のことやってやろうと。そしたら作家も賭け金を釣り上げてくるじゃないですか、お互い釣り上げていったほうが、最終的に面白いマンガができるんじゃねえのと。
―― 奥村さんも体を張っていて、「ビーム」誌上で愛人を公募してましたよね。
奥村 その後に「枕営業募集中」もやろうとしたんだけど、さすがに当時、上にいた人が「枕営業はマズいですよね、愛人はいいと思うんですけど」って。愛人はプライベートなことだけど、枕営業は会社として仕事回しちゃってるわけだからマズいぞと。それは確かにそうだなと思って止めました。
―― 「ビーム」本誌の企画ですが、ヤクザの格好をさせられて、都庁の前で日本刀(模造刀)を振り回させられたこともあったそうですね。
奥村 あの広瀬のバカがさ、「こういうコラムを書きます。つきましては写真が必要なので、オープンカーに地球防衛隊のシールを貼って都庁の前で日本刀を振り回してください」って言うわけ。でもここでバカ野郎と言ったら俺は広瀬に負けるな、よし、やろうじゃねえかと。そんでオープンカー持ってるヤツに無理やりクルマ出させて、都庁の前でがーっと撮影して。ただ、そのときの都庁前って機動隊の車がいっぱい停まっていて。なんでかっつうと、前の日に都庁に爆弾が郵送されてたんですよ。ハッと見たら機動隊が全員こっち見てたから、ものすごい勢いで走って逃げたね。で、いざコラムが載ったら写真こんな小っちゃくて、あんだけヤバい橋を渡ったのにうそーんって。
―― 広瀬さんも漫画のヒロポンそのままにアッパーな人だったんですね。
奥村 めちゃくちゃだったもんな。クリスマスのときに校了でガーッとやってたとき、広瀬はどこだと言ったら、バイクで原稿取りに行きましたと。それで待ってると、警察から電話かかってきて「事故りました」って(※)。ああ、なら原稿だけ取りに行かせるから、帰ってこなくていいよと。広瀬は保険にも入ってなかったらしくて、その後の処理も悲惨だったらしいね。
―― 「しあわせのかたち」で出たときはかわいらしいキャラクターだったのに。
奥村 かわいい後輩ではあったんです、面倒くさかったけどね。酒飲んだらゴミ袋を積み上げてるところにダイブしたり、会社の便所で思いっきしゲロ吐きやがって、それで詰まったところに何回も水流すもんだから、ゲロがあふれてそこら中ゲロだらけになっちゃって。しかもそのゲロが紫色なんだよ。お前ゲロ吐くのはいいけどなんで紫色なんだよ、って言ったら「なんかヘンなもの食べたみたいで……」だって。
―― 広瀬さんの引っ越しの話や、部屋の改装の話は面白かったですね(※)。
奥村 あれは本当にやったことが、そのまんまマンガになってるんです。玉吉は玉吉でワケの分からない日活映画のポスターとかブルーライトとか買ってきて、部屋にいっぱい蛍光塗料で絵を描いて、これで夜中に電気消したらキレイだよと。俺は俺でコンドームいっぱい買ってきて、部屋中にペタペタ貼って、これで君がセックスしたときにすぐ取れるだろうと。そしたら広瀬が後でクレーム付けてきて、奥村さんの持ってきたコンドーム、サイズが小さくて入りませんって言うんだよ。お前、見栄張ってるだろう、って玉吉と俺で着けてみたら、ホントにちっちゃいわこれって。日々そういうことやってたので、退屈はしなかったですね。
―― 今のリアリティ番組よりぶっ飛んでますよね。
奥村 ギャグの必然性みたいなところで、エスカレーションするのはしょうがないですよね。同じレベルのことを何回もやってると飽きちゃう、その上を行かなきゃと。だから、ギャグマンガ描いてる人の作家寿命は非常に短いんですね。どこかで別な方向に行かないと、10年持たないんじゃないかな。「漫玉日記」シリーズも最後のほうはどんどん欝(うつ)になって、ちょうどいいタイミングでやめられたのかなと。
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