二元論を抜けた先にあるエモーション 「左門くんはサモナー」は間違いなく名作である:ねとらぼレビュー
週刊少年ジャンプで連載中「左門くんはサモナー」(沼駿)はおもしろいですよ!!
「これは私が地獄に堕ちるまでの物語である!!」
沼駿「左門くんはサモナー」は、このモノローグから始まる。回想の主は女子高生の天使ヶ原桜。あまりにも良い人すぎるため「仏」と称されている彼女は、その善人ぶりを理由に悪魔に付け狙われていた。……いや、正確に言えば、彼女に目をつけたのは悪魔の方ではなく、悪魔を召喚している「召喚術士(サモナー)」の方だ。彼こそタイトル通りの主人公、サモナーの左門召介である。
左門くんはあらゆる悪魔を呼び出せる天才サモナーだがひねくれ者で、好きなものは「悪魔に屈する欲深い人間の破滅」、嫌いなものは「善人」という厄介ぶり。転校早々「趣味は悪魔召喚です!」と正直に表明してしまったせいで秒速でクラスから孤立していた。天使ヶ原さんはそんな彼を心配してあれこれ話しかけるが、左門くんにとってその好意は逆効果だったらしい。「天使ヶ原さんのことが大っ嫌いでさ」「地獄に堕ちるぐらい最悪の人間になってから… 死んでよ天使ヶ原さん」そう言って左門くんは楽しそうに笑い、悪魔を差し向けてきたのである。かくして天使ヶ原さんの受難の日々が始まった。
全体的な作風は、ジャンルで言うならコメディーだ。偏屈で友達がいなくてカスのような性格の左門くんが他人を馬鹿にすることに全力を尽くす過程を、キレキレのギャグと絶妙なパロディーネタを盛り込んで描いていく。声を出して笑ってしまうので電車の中で読むには危険だ。
そのまま読んでももちろん面白い。しかし、「左門くんはサモナー」はそれだけの漫画ではない。むしろ魅力の本流は、ただ読み流しているだけでは見逃してしまいそうな、ささやかな部分に現れていると言える。それは、キャラクターを1人の人間として描く、異常なまでに丁寧な「人間描写」だ。今回はそこを掘り下げていきたいのである。
「(前略)これは彼がどんな人間なのかを知っていく物語でもあるので、もしも天使ヶ原さんが第1話時点の情報だけで左門くんの人となりを判断し決めつけたとしたら、物語はそこで終わっていたでしょう」(第1巻96ページより)
この作品は、基本的に天使ヶ原さんの視点で語られる。「左門くんはサモナー」というタイトルは単純な主人公の説明だが、同時に天使ヶ原さんが左門くんについて最初に知った情報でもある。サブタイトルが毎回「左門くんは◯◯」という形で名付けられるのも、天使ヶ原さんが少しずつ、左門くんについての認識を深めていく様子を示しているのだ。第一印象は最悪だった左門くんは、本当はどんな人なんだろう? 読者は天使ヶ原さんと一緒に彼の人間性を探っていくことになる。
作者いわく、「左門くんは弱さの象徴」なのだという。彼は召喚術を使って魔方陣1つであらゆる悪魔を呼ぶことができ、作中でも屈指の強さを持つキャラクターに見えるが、「弱い」とは一体どういうことなのだろうか。作者はこうも語っている。
「『悪が必ずしも最悪の結果を生むのか』『強力な武装(例えば召喚術)はその人の本質的な強さに繋がるのか』といった逆説(パラドックス)は、この作品のテーマの一つです」(6巻68ページ Q&Aより)
左門くんが召喚術に手を出した理由について判明する6巻にこの一節が記載されていることは、物語のキーポイントだろう。
実は、左門くんの実家は悪魔払いのプロ・祓魔士(エクソシスト)の名家であった。幼少期から祓魔士としての英才教育を受けてきた左門くんにはろくな人間関係がなく、彼は次第に「友達が欲しい」という強い欲求を抱くようになる。その結果、左門くんは家族に隠れて悪魔の召喚に手を出した。召喚は成功し、望み通りの悪魔が現れる。その悪魔こそ、ゾロアスター教最強の悪神であるアンリ・マユだった。
「絶対悪」アンリ・マユを呼び出すほど破滅的な左門くんの孤独はどんなものだったのかは、作中に左門くんの主観情報が全くないので推察するしかない。判明しているのは、アンリ・マユもまた孤独を持て余す数千年を過ごしており、「仲良くなりたい」と無邪気に告げる左門くんにすんなりと惹かれたということだ。しかし二人の間には決定的なすれ違いがあった。左門くんが求めていたのは友達だったが、アンリ・マユが求めていたのは恋人だったのだ。
「余の友となりたくばこの余に並ぶ強さを身につけよ」。アンリ・マユが気まぐれに出したその条件は、幼い左門くんの心に永遠の目標として刻まれた。召喚術を究めて強くならなくては、彼女は友達になってくれない。絶対にアンリ・マユと友達になりたい。彼にとって召喚術は、「これしかない」という弱い心のよりどころだったし、同時に意地であり、不思議な愛だった。
その過去を踏まえて、もう一度考えてみる。友達がいなくて他人にはマウンティングしてばかり、「善人は嫌い」と豪語する左門くんは、それでも天使ヶ原さんが一緒にいることをそのまま許している。左門くんの根本には、長い間抱えていた寂しさがあるのではないか。プライドが高いのにどこか自虐的なのは、人と仲良くなる経験が決定的に欠けているからかもしれない。たった1人の友達を得るために最強のサモナーになった彼は、とんでもなく屈折していながら、尋常でなく真面目で一途だ。ここまで来て、まだ左門くんはただの「悪人」だと言えるだろうか?
印象深い2つのシーンがある。左門くんが天使ヶ原さんに大嫌いだと言う場面と、アンリ・マユについて好きだと言う場面だ。それらに対して天使ヶ原さんは2回とも「知ってる」と答える。きっと今まで左門くんの内面について「知ってる」と言った人はいなかった。友達1人作るのにも一生を懸けていた左門くんに初めて自分から近づいた天使ヶ原さんの存在は、彼の世界に少しずつ変化をもたらしていく。
「これは私が地獄に落ちるまでの物語である!!」
最終的に天使ヶ原さんが地獄へ行くことは本人が述べている。でも、きっと彼女が行く地獄というのは、左門くんを通じて関わった悪魔たちが暮らす暖かい場所なのだろう。天使ヶ原さんもまた、左門くんを知ることによって新しい世界をのぞくことになった。「善人と悪人」では割り切れない奇妙な友情がお互いを変えていく、ひねくれまくったボーイミーツガールが最強に面白い。
現在、週刊少年ジャンプ本誌では、アンリ・マユをめぐるシリアスパート「ベルゼビュート編」が展開されている。本作では異例のシリアスパート「マステマ編」(7巻・8巻収録)では、人々に試練を与えて乗り越えさせ、天国に導こうとする悪魔・マステマとの激突が描かれたが、今回左門くんに立ちはだかるのは「糞山の王」ことベルゼビュートである。一口に敵・味方と言い切れない悪魔と左門くんの複雑な関係に彼の過去が絡み合い、物語はさらに立体感と手触りを増して加速する。
非日常は日常の延長線上にあり、敵と味方は曖昧に入れ替わり、善と悪は見方によって変化する。世の中は二つに割れないし、人は矛盾を抱えて生きていく。天使ヶ原さんの言葉を借りるなら、「左門くんはサモナー」は、それを「知ってる」作品なのである。
(C)沼駿/集英社
(正しい倫理子)
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