アニメ化された『ナナマルサンバツ』は『ヒカルの碁』とどこが違うのか? 業界初の「競技クイズアニメ」に見る、“普及までの距離感”(2/3 ページ)
伊沢「お前もクイズ王にしてやろうか……!」
まずは囲碁からだ。
初っぱなから断定してしまうが、囲碁は進行状況の理解や形勢判断が難しいゲームだ。棋院のシステムなどについては漫画内で分かりやすく描かれているが、いざ対戦が始まるとどちらが勝っているかというのは登場人物の説明に頼るしかない。打った手の意味や形勢が、漫画として描ける限界を超えている。手数は多いし、ビジュアル化して形勢を伝えることは不可能に近い。ヒカルが勝っているかどうかは、佐為や和谷くんのモノローグを見て初めてわれわれ素人に伝わるのである(無論、玄人には見て分かるように作られているのだろう)。読み進めていくうちに、打ち方や戦略の用語は入ってきても、囲碁が上達するということはないだろう。
一方、現実の競技は非常に長い歴史を持ち、一般紙にも棋戦の結果が掲載され、莫大なお金が動くシステムの中にある。しかもルールは統一的で、プロとしてお金を稼ぐことが可能であり、ヤングを育成するシステムも充実しているといえよう。国際的な広がりもあり、むしろ海外のほうが日本よりレベルが高いくらいだ。老若男女等しく楽しむことができ、ルールさえ覚えてしまえば碁会所に行って幅広い世代と楽しむことができる(もちろん場によって制限などはあるだろうけれど)。もちろん、ネットでだって対戦が可能である。
やはり、マスとしての力は大きい。歴史と伝統と一般性は、人気のブーストがかかったときに背後をきっちりと固めてくれるのだ。
対して、競技クイズである。
競技クイズの大きな特徴として「ルールが可変的である」ことが挙げられる。そもそも『ナナマルサンバツ』というのもルールの1つであり、7問正解で勝ち、3問間違えると失格という形式を指している。
それゆえルールは単純であり、このような数行の説明で解決してしまう。全てのルールを構成しているのは正解か誤答かという二択の積み重ねであり、経過も非常に視覚化しやすい。誰が勝っているのか、誰がどんなファインプレイをしたかはすぐに分かる。
そして何より、一問一問が日本語で構成されており、読み手側も一緒に考えることができることが最大の特徴だ。つまり、本来受動的に作品を鑑賞するだけの受け手側も、同じ土俵で戦うことができるのだ。この特徴は、従来の文化的競技、いやスポーツ漫画を含めても非常に稀(まれ)であり、アドバンテージとなる特徴だ。しかも、アニメ化され、問題文が実際に読み上げられるとその再現度はほぼ完璧なものとなる。リアルタイムにアニメの中と戦うことができる、能動的なバトル。しかも、その積み重ねの中で受け手の実力は徐々にアップしていく。それはそうだ、一緒にクイズしてるんだもの。これ、すげえよ。
これって、漫画やアニメで得る体験としては極めて特殊なものだ。むしろ体感型ゲームに近い。しかも、「太鼓の達人」をプレイして得られる太鼓スキルよりは、『ナナマルサンバツ』を鑑賞して得られるクイズスキルのほうが大きいとすらいえる。この「成長感」は、クイズの特殊性あってのもので大きなアドバンテージである。
もちろん、囲碁にかなわない面は多々ある。クイズ界では年70程度の個人主催大会が開催されているものの、組織的統括がなされているわけではない。日本クイズ協会は存在しているが、設立まもないため徐々に普及活動を始めたばかりといったところだ。テレビ番組でない限りは大きな賞金がでるわけでもないので、プレイヤー専業で食っていけるプロはもちろんゼロ。おまけに日本語に大きく依存しているため世界戦はほぼ不可能で、少なくとも「競技化されたクイズ(詳細は過去の連載に)」が海を渡ることはないだろう。いざやろうと思い立っても、クイズスペースといえる場所は都内に数カ所ある程度で、イベント形式なのでぶらりと行ってプレイすることは不可能だ。ネットクイズの集まりもあるが、不特定多数が参加して自分のタイミングで競うようなものではない。
つまり、「うおー競技クイズおもしれ~! ルールもかんたんだし、テキトーにやってみてえ!」といっても、アクセス可能な環境はすぐそばにはないのだ。せっかくアニメが能動性を喚起する形で作られていても、その喚起された能動性を長続きさせないと実際の競技環境までたどり着くことができないのだ。
これは、致命的で、かつなかなか解決しづらい問題だ。大きな統括組織によってどうこうできるものではない。1vs1となるものが多い他の文化系競技とは違い、クイズは多人数で楽しむものであり、かつ「出題者」という第三者の存在と、それらを仲立つ「問題」が必要になる。4人くらい集めれば出題者を交代しながら回すことはできるが、その全員が問題を用意したり、均質な出題を行ったり、ということはハードである。仲のいい間柄ならある程度の妥協も含め可能となることだが、少なくとも初めての人間が集まって……というのは難しい。
問題共有サイトや公開サイトのようなものは存在する。最悪そこから持ってくればなんとかなるのだが、一度聞いてしまった問題では純粋な競技にならない場合もある。ある程度使い捨てでかつ大量生産不可能な問題。これがクイズの普及における大きなハードル、文字通りの「問題」なのである。
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