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ブログやSNSは“ネットの空気”をどう変えたのか? 平成最後の夏、「ネット老人会」中川淳一郎が振り返る(1/3 ページ)

この平成、オタクのものだったネットはブログやSNSの登場でどのように一般、芸能人のものになっていったのか。サイバーエージェント・藤田晋社長に取材しながら、中川淳一郎が振り返る。

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 今ほどSNSやブログといったネットのツールが威力を発揮する時代はないだろう。なにせ、災害の現場の様子はスマホで撮影した動画や写真をテレビ局が使わせてもらい、芸能人の結婚や妊娠の発表も全てブログやSNSで行い、マスメディアを代替・補完するまでの存在になったのだから。 

 さて、そんな状況下、「平成最後の夏、○○を振り返る」がブームになっているので、平成最後の夏(というか初秋)にここで振り返るのはSNSやブログといったネットを介したコミュニケーションツールである。「いやいや、SNSやブログは平成にしかなかったでしょうよwww」というツッコミが入るだろうがその通りである! ただ「平成最後の夏、SNSやブログを振り返る」と言いたかっただけである。

 SNSやブログで起きた珍騒動やら、ネットで話題になった出来事を振り返るとともに、適宜「ネット時代の申し子」たるサイバーエージェント・藤田晋社長の回想も混ぜ込んでいく。いわば「インターネット老人会」である。さて、振り返る前に全般的な年表を振り返ってみよう。

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中川淳一郎、カニでピース

年表(1989年=平成元年)

1991年 ティム・バーナーズ・リーがWorld Wide Webを提唱
1992年 日本で最初のホームページが発信
1994年 Amazon.comが誕生
1995年 Yahoo!が設立
1996年 Yahoo!JAPANが設立
1998年 Googleが設立
2001年 広帯域高速通信サービスが普及し「ブロードバンド元年」と呼ばれる
2002年 ブログが流行し始める(Movable Typeが発端)
2003年 はてなダイアリー、livedoor Blog、Seesaa Blog、ココログがブログに参戦
2004年 MySpace、Flickr、Facebook、mixi、GREEなどのSNSが流行。同年9月にAmebaブログがサービス開始
2005年 YouTubeがサービス開始
2006年 Twitter、ニコニコ動画がサービス開始
2007年 Ustreamがサービス開始。AppleがiPhoneを販売開始
2008年 GoogleChrome正式版を発表
2010年 iPadなどの電子書籍リーダが流行し「電子書籍元年」と呼ばれる。Instagramがサービス開始。以降、Facebook、Twitter、LinkedIn、Instagram、tumblr、vine、Google+、Evernoteなどが流行。プロブロガーやYouTuberが職業として認知されるようになる。スマホも大普及し、ソーシャルゲームも隆盛に
2013年 バカッター騒動
2016年 Pokemon GOが世界的に流行
2018年 はてなが「はてなダイアリー」の2019年春終了を発表、「はてなブログ」に統合へ

 ここには入れていないが、個人的には2000年のAmazon.co.jp誕生がもっとも印象深い。当時同社の日本上陸の広報活動を博報堂の社畜だった私はお手伝いしていたのである。2000年10月は300時間残業をし、これにブチ切れて11月1日の上陸発表記者会見当日の朝、ともに徹夜で仕事をしていた隣の席の女性社員に「オレ、会社辞めます」と宣言し、「いいんじゃない」と言われ、無職になったのである。

 私自身は2001年3月で会社を辞め、何をやっていたかといえばTシャツのネット通販である。IBMの「ホームページ・ビルダー」というソフトを購入し、kerojapan.comという通販サイトを立ち上げ、毎日フェイクニュースを書いては集客を図ろうとしていた。例えば「ケロジャパン、東京・国分寺の農業集団ゲロジャパンと抗争」や「悪徳集団“蛇腹団”が東京・国立の国立大学施設を占拠」などを書き、Tシャツ購入に誘導しようとしていたのだ。結局秋までに36枚しか売れず、ネット通販長者の夢を諦め私はフリーライターになった。

ヤバイTシャツサイト「kerojapan.com」。Internet Archivesにも残っている

 当時の活字メディアの王者といえば紙メディアである。そんな中、ネットのことなどよく分からないが、当時台頭し始めていた「サイバーエージェント」という会社から「ウチはネット広告会社なんですけど、htmlメルマガのサービスを開始したので、ライターをやってもらえませんかねぇ?」と言われ、IT関連の仕事に人生初参入をした。Amazonの仕事はITといえばITではあるものの、あくまでも「『ニュースステーション』(テレビ朝日系)にベゾスCEOの生出演を仕込みます!」とか「主要全メディアにベゾス氏と幹部のOne-on-Oneインタビューをセッティングします!」みたいなことをやっていたので基本はメディア対応でありIT業務ではない。

 このIT関連初仕事は「みんな特派員」というもので、htmlという「メルマガに写真を貼れるし、デザインもできる夢の技術ですよ!」という技術を使った最新鋭のメルマガだという。ここに広告を入れられるのである。基本的にはメルマガ登録者が問題視していることを投稿してもらい、それを我々記者が当事者に取材をするというものだった。「JR中央・総武線の自殺が多過ぎる、なんとかしろ!」みたいな声に対してはJR東日本の広報に取材し、その対策を聞いたりした。このレポートを受け、さらに読者が激怒したり感心するなどし、その後の編集活動の参考にするというものだ。

左はサービス立ち上げ当時の藤田社長メッセージ。右はメルマガ用に撮影した、自殺対策の新宿駅総武線ホームの鏡写真

 私自身ネットの仕事はこうして開始させたが、ここからは平成の世の中を彩った華麗なるSNS・ブログの歴史について業界に身を置き続けた老兵として振り返ってみよう。

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ブログの誕生

 まず、重要だったのがADSLの登場である。当時、64Kbpsという高速のISDN回線よりも100倍以上も早い12Mbpsを誇ったADSLに対してはパソコン雑誌も「夢の高速回線」ともてはやし、街頭ではYahoo!BBの無料モデム配布人が元気に仕事をしていた。

2001年当時の「Yahoo!BB」によるADSL紹介ページ(Internet Archivesより)

 このころテキストサイトやら「さるさる日記」などに加え、HP作成ソフトを使った個人での情報発信が始まっていたが、基本的には「コンピュータを使う人=オタク」といった認識をされていた。しかもコンピュータのことは「カタカタ」や「ピコピコ」などと言われ、一般人にとってのハードルは高かった。しかしながら、これから5年後の2006年に爆発する「ウェブ2.0」の萌芽はすでに生まれ始めており、インターネットの存在を「何かいろいろな情報を取れるものなんでしょ?」的な解釈から「どうやら交流できるらしい」となりつつあった。

2000年当時の「さるさる日記」(Internet Archivesより)

 その一番大きなきっかけがブログの誕生だ。後発ながら2004年にAmebaブログでブログ界に参入した藤田氏はこう語る。同社は2018年が創業20周年。楽天やライブドア(現・LINE)とともに初期のITベンチャー界隈の有力「雄」としてこれまで生き残ってきた。

 社長としてマジメなことを言うのかと思っていたら、思った以上にぶっちゃけた発言が多く、面白いぞ。

ブログサービスを始める前は、ネットバブル崩壊で私自身はすごく叩かれていました。HP上で『ベンチャー企業の日記』というものを書いていたけど、何を書いても叩かれっぱなしで、嫌気がさしていたんです。ある日気が変わって、匿名で絶対わからないように『東京ではたらく社長の日記』というものをライブドアブログで書いてみたら、だんだん自己顕示欲がむくむくと浮かんできました。そんなことから『渋谷ではたらく社長の日記』として、もっと自分だとわかるように書いていった(※注:サイバーエージェントの本拠地は東京・渋谷)。

藤田晋氏

そうしたら、『このブログは藤田だ!』『そうだ、藤田だ!』っていう感じで話題になっているのをみて、ブログってすごいな、潜在力がある、可能性があると感じました。これは出遅れたと思って、自社でつくることにしたんです。だから、ライブドアブログやってたんです、最初はね

 同氏の著書で元ライブドア社長の堀江貴文氏とは盟友的な関係であったことを明かされていたが、ちょっとちょっとちょっと! 藤田さん、ライブドアブロガーだったのかよ! YOU! ここまでぶっちゃけていいのかよ。それはさておき、同社広報によると2018年8月時点で約24億エントリーが公開されているアメブロは「他社サービスが公表されていないので厳密には言えないのですが、おそらく日本のブログサービスの中では最大級の規模です」とのことだ。

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 芸能人がネットで情報発信をする、ということはマスメディアが各社の編集方針に従って切り取った情報を発信することへのアンチテーゼでもある。現在のTwitter、Facebook、Instagram、そしてブログで情報発信する方がファンにも真意が伝わるし余計な記者会見をする必要がなくなったというのは画期的である。また、故・小林麻央さんは積極的にブログを更新していたが、彼女の病状を知ることは本来「取材力」を誇っていたメディアにも難しかった。完全に本人発の情報に頼らざるを得ず、そのブログ内容を引用するしかなかった側面もあったことは事実である。

 さて、コンサルタントの梅田望夫氏はティム・オライリー氏が提唱した「ウェブ2.0」について全面的に賛同をし、『ウェブ進化論』(ちくま新書)を発刊した。2006年の著書だが、これがネットのその後の進化において、圧倒的なポジティブ論調を生み出した。


『ウェブ進化論』(梅田望夫)

 そして、オレ(突然言葉が乱れて申し訳ない)は、この論調については明確に異議を呈した。散々ネットニュースの編集をした結果、そんなにポジティブなものではないことを理解したのだ。というのも、ネットがもたらす自由な言論空間はクソだらけだったのである。現在でも石田ゆり子さんがネット上のクソみたいなコメントに疲れ果ててInstagramを休止すると発表したり、熊本地震の際は長澤まさみさんが笑顔写真を投稿するだけで「不謹慎です!」と炎上するような騒動が発生した。

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