平成一桁生まれが「社会人になってから」YouTuberにハマったワケ(1/3 ページ)
大学時代は全く見なかった。でも気付けば、大好きでしょうがなくなっていた。
YouTuberにハマった。
目新しすぎる職業であるそれを、つい数カ月前まで「子どもが見るものだ、子どもだましだ」と見くびっていて、大学時代は全くYouTuberなんて見なかった。
その私が、どうして社会人になってから急にハマってしまったのか。
実際、確かに、初めて動画を見始めたときは、異常なことに異常な労力や時間や金をつぎ込み、大した結果を生むことなくただ部屋を汚して、5分ぐらいでなんの前触れもなく終わる動画に戸惑った。
でも、「面白くないじゃん」とブラウザを閉じる気にもならず、なぜか、見るのをやめられない。
気付けば私は、YouTuberのことが愛しくてたまらなくなっていた。それはどうしてだったのだろう?
みやかわゆき
平成8年(1996年)生まれ。会社員。毎日の日課は推しYouTuberたちの新着動画チェック。
社会人1年目の出会い
私は、去年の春に大学を卒業して、社会人になったばかりの夏にYouTuberに出会った。
当時、感じていたことと言えば「お金で解決できること以外の自由は利かなくなった」という窮屈さ。
自分でお金を稼げる誇りも責任感もあるし、金銭面に関してだけ言えば学生時代より格段にやれることの幅が広がったのは事実だ。でも、就職して、少しは今までより背筋を伸ばしてきっちり生活しようと意識した途端に、反動でくだらないことを考えたりしてみたりバカやって遊んだりしたくてたまらなくなった。
「去年までにやっとけばよかったのに」と言われたらそれまでなんだけれど、こればっかりは本当に失って初めて気付いた。そんなことをしている時間はもう、全然なくなっていたのだ。
そんな中で出会ったのが、YouTuberたちだった。
彼らは、彼らが労力と時間と金を費やしてやり遂げたバカらしいことを、たった数分程度の動画に編集して見せてくれる。
私はただ、仕事や忙しい生活の合間に、それを見て笑うだけ。
それだけのはずなんだけど、「去年みたいに夏休みに友達といろんなところへ行けなかったなあ」と、大学時代の永遠みたいに長い夏休みに思いを馳せていた私の寂しさを救ってくれたのは、無人島でムチャな生活をしてこんがり日焼けする「水溜りボンド」だったり、アスレチックを駆け回る「フィッシャーズ」だったりした。
社会人になって襟を正さなきゃいけない私の代わりに、YouTuberたちは社会への体裁も名誉も品格も飛び越えて、最高に無意味でクレイジーなことをやってみせてくれる。
バカみたいなことを大の大人が一生懸命やって、ドロドロになっている姿は、やるせない失敗に見えたり、無駄なことに感じられたりするだろう。
でも、そういうものを通勤電車に揺られながら、あるいは休憩時間にタバコを吸いながら、たった5分や10分楽しむことができるだけで、私は知らず知らずのうちに子ども心を取り戻していた。
ならず者を装う美学
YouTuber本人の口からも動画で聞いたことがあるが、彼らはよく世間から「働かないで遊んでるだけ」と言われることがある。
この不名誉なレッテルこそが、彼らの美学に直接通じているのだと私は考える。
昨今の売れっ子なんかは、動画の企画力、編集力が高く、シャベリも桁違いにうまいキレ者も多い。けれど、彼らの多くは、「人を笑顔にしたい」「お金持ちになりたい」などの何か大きな意味があることを望んでYouTuberになったわけではない。
彼らは最初、自分たちの楽しいと思うことを記録しておこうと思っただけだった。
今や日本のYouTuber界のレジェンドであるHIKAKINがチャンネル「HikakinTV」を開設したとき、初投稿動画でこう語っていた。
「これからこのチャンネルで、ビデオブログをやっていこうと思う」
「ネット上に自分の記録が残っていれば、自分の息子や孫が数十年後に『ヒカキン』と検索すれば、自分が20代のときに何をしていたのか、いつでも誰でも見ることができる。自分が死んだ後も、誰かがそれにアクセスできる」
初めは記録を目的とした行動だった。娯楽として見いだされ、人の目にさらされることによって、YouTuberという新たなひとつの職業を確立した今でも、彼らの主軸には自分の好奇心を第一とする“遊びの精神”が息づいている。
チャンネル登録者数400万人突破を目前に控える、今乗りに乗っている人気YouTuber「水溜りボンド」は、元・大学生お笑いコンビという異色の経歴を持つクリエイターだが、「人を笑わせたい」という由緒正しきエンターテインメントのフィールドからやってきた彼らでさえも、「Quick Japan」のインタビューでこう語っている。
「はじめた当時は100万人突破(※編集部注:チャンネル登録者数)のために『やりたくて数字が獲れるもの』と『やりたくないけど数字は獲れるもの』、このふたつに絞ってたんですよ。でもやりたくないっていうのはバレちゃうし、それこそ全部釣りのタイトルになっちゃうじゃないですか。そうなると視聴者は『明日も観よう』ってならないから信用を得られない。で、今は『やりたくて数字が獲れる』と『やりたくて数字が獲れない』のふたつだけやるようにしています」 (「Quick Japan」vol.142)
ただ、今現在「YouTuber」と職業名がついていることに明らかなように、ただの記録だったものたちがエンターテイメンント性を帯びつつあり、動画自体の長さも長くなり、内容のクオリティーもあがり、行われる企画、検証のスケールも日に日に大きくなっていっている。
それでも、自分たちが楽しいと純粋に思えることを真剣に追い求める、視聴者に媚びたりはしない、という態度が良い。私には、消費者であるこちら側のことをあまり意識せずに作りたいものを作ってくれる彼らの自由さが心地よいのだ。これは今まで触れてきたどんなエンタメにも感じたことのない新しいワクワクと癒やしをもたらしてくれる。
たまには美術館や舞台に出向くのももちろん重要なことだけれど、日常的な娯楽には、この相互的な無責任さがちょうどいい。
「遊んでるだけ」なのがいい。でも、たとえ遊びだって、ここまできたら命を削らざるを得ない。でも、命を削ってるだなんて、死んでも言わないのがかっこいい。
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