記憶を取り戻すと、砕け散る――愛を失ったアンドロイドの宿命 Lv. 近衛りこ:美しいだけの国 ――東京レッドライン(1/2 ページ)
アレキサンドライト――#4。
愛されてないと思った
<『惑星ソラリス』>
序
人間は無機物から生まれ無機物に戻る。
加速度的なテクノロジーの進化により、鉱石から誕生したアンドロイドが試験的に造り出された近未来。
人格を移植された電子人形は突如告げる。
「依頼人を殺す」
I
書かなければ、苦しむこともない。
苦しまなければ、物語を紡ぐこともない。
この物語は愛されることに敗北したきみの人生の物語だ。
きみは自由きままに今日も見知らぬ誰かに身を委ねているけれど、
決して汚れない。
どれだけ嘘を重ねても必死で生きようとするきみの魂は美しい。
「娘は婚約者に殺されたんです」依頼人の男は言った。
「私。あの男を殺すわ」娘の人格を移植されたアンドロイドは言った。
2046年。超環境型人工知能が透明に人々の生活を侵食する近未来。
哀しみを得ることさえ奪われた、世界だった。
私はもうじき死ぬ。
II
放射能の蒼白い残り火がちろちろと燃える低所得者の廃墟地区(スラム)。
萎れた花は美しい。そんな事をぼんやりと考えながら、道ばたに芽吹いた侘しい草木の前で立ち止まっていると、声がした。
「着きました」
タイプRが住宅の前で私に言った。団地を回収してつくられた、廃墟の中では比較的マシな集合住宅の一室だった。
インターホンを鳴らすと、案の条、留守だった。
「出ませんね」
「住所はあっている」
音声解析端末のスコープをのばし、タイプRが吟味する。
「物音がします」
「居留守ってことか?」
「これ、破壊します」
そう言ってタイプRが背面からバズーカを取り出し、扉を破壊しようとする。
「やめてください」
「なぜですか?」
「大ごとにはしたくないんです」
「心配いりませんよ」
「心配です。みんな死んでしまいます」
「大丈夫です。どうせ殺すんですから」
僕はもう一度インターホンを押す。出ない。タイプRがバズーカのスイッチをガチャガチャ押し始めた。……弾を抜いておいてよかった。
『ガチャリ』
試しにドアノブをまわすと、扉が開いた。
あたりは暗闇に包まれていた。
異臭の放つごみだらけの室内。とてもエリートの住む特権階級の住宅とは思えない。何かが、おかしい。
しかし、100万は大金である。アンドロイドを修理する――人形整備士の自分には、雨の坂道を転がり落ちてでも手に入れたい金額である。
ただでさえ、タイプRの維持費がかかっているのだ。
――最愛の娘が死んだのです……。
依頼人の言葉が脳裏をめぐる。
足を進める度に、意識の闇はどんどん深くなる。
メルクリウス社に身体をテクノ化された男。
メルクリウス社に務める娘の婚約者。
――娘はドレス姿で血まみれの状態で見つかりました……。
幸福を約束されたかに見える若い女は廃棄場に捨てられていた。
その手には、紙切れが握りしめられていた。
未来転生保険とは何だろう?
なぜ、男は婚約者の男が自分の娘を殺したのではないかと疑っているのだろう?
あらゆる事柄にメルクリウスの影がちらつくのは偶然だろうか?
――婚約していた男にそそのかされたのです……。
照明は落とされている。
それでもかすかにフロアの奥から光がこぼれている
足を動かす度に、だんだん光は大きくなる。物音も大きくなる。テレビを見ているようだ。
「マクドナルドさん?」
不安を誤魔化すように、婚約者の名を呼びかける。
応答はない。ただ音だけが響いている。
――娘の死の真相を解き明かして下さいませんか?
その「娘」の人格が移植されていることを、タイプRは知らない。
記憶を取り戻すと、砕け散る――それが鉱石から生まれた新型のアンドロイドの宿命なのだ。
タイプRは無言で歩みを進めている。
何かを計算しているようにも、していないようにもみえる。
何かを勘づいているようにも、勘づいていないようにも思える。
『むしゃむしゃ』
突然パンを食べ出したので、おそらく何も考えていないのだろう。
だが、第5世代人工知能ブームによって生みだされた人類の叡智の結晶を、侮ってはならない。思考の多元的な並列処理が可能になり、別の動作をしながら別の事柄を思考している可能性がある。
「マクドナルドさん、いらっしゃいますか?」
さらに呼びかけても、返事はない。
しかし、確かに人の気配がある。
音がだんだん大きくなる。
不安がだんだん多くなる。
嫌な、予感がする。
そして、見事にそれは的中した。
フロアの奥の、扉をあけると、光がこぼれた。
「ああっ、」
僕は、思わず声を発した。
ブラウン管のテレビから垂れ流された映像が、場違いにも陽気な音楽を奏でるフロアの中央。
ソファにもたれかかりながら、婚約者の男は死んでいた。
頸動脈から胸元まで切り刻まれて、機械化された身体がのぞいている。
背後から、声がした。
「この顔……どこかで……?」
タイプRが、曖昧に言った。
それは初めて知る、感情のこめられた声だった。
何か二の句を飲み込んでいるように、見えた。
手元を確認すると、男の手には、アレキサンドライトの婚約指輪が、握りしめられていた……。
アレキサンドライト。
それは、タイプRの誕生石だった。
石言葉は、秘めた想い。彼女は、どんな想いを秘めていたのだろうか。
だが今となっては、それは知るよしもない。
婚約者の男のテクノ化された肉体は壊れている。
もう全ては終わったのだ。あらゆることは過ぎてゆくのだ。そしてそれらは決して再生できない。
そんなことは、分かりきっているはずなのに。
タイプRは、男の死体を前に、動こうとはしなかった。
――電子化された男の細胞が、バチバチと火花のように蒼白い輝きを放っていた。
僕はその蒼白い電子の火花に揺らめくアンドロイドの、美しい横顔を見つめていた。
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