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少女漫画は呪いであり祝福だった 『日出処の天子』から『さよならミニスカート』まで、95年生まれの漫画家が見てきた「少女漫画の広大さ」

人生の中に少女漫画があった。

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 少女漫画。それは多くの女性が出会い、ふれあい、どっぷりと浸かり、あるいは反発し、断絶を感じてきた、不思議な文化です。自分の物語を見つけられた人も居場所がなかった人もいますが、人生のどこかで一度はすれ違うものではないかと思います。

 今回ねとらぼGirlSideでは、連載企画『少女漫画を語ろう』を立ち上げました。少女漫画について語る言葉が、この世にはまだ少なすぎるように思われたからです。さまざまな人たちに、自分の人生と交差した少女漫画、そして少女漫画と交差した自分の人生について、漫画と文章で語っていただきます。

 初回は1995年生まれの漫画家・SONOさんの少女漫画語りをお送りします。

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書いた人:SONO

 1995年生まれ。漫画家。

 キリスト教、歴史を題材にした漫画を執筆している。著作に『教派擬人化漫画 ピューリたん』(キリスト新聞社)がある。

Twitter:@0164288

うちにあった「昔の」少女漫画

なおSONOさんはつげ義春と蛭子能収の大ファンとのことです

 父親が特に漫画好きだったので、子供の頃から漫画に触れていた。はじめて読んだ漫画はいがらしみきお『ぼのぼの』(竹書房)。手塚治虫からつげ義春、蛭子能収などのガロ系作品まで幅広く読んだけど、中でも熱心に読んだのは古い少女マンガだった。

 母親の蔵書からは陸奥A子おーなり由子などの乙女ちっく系列や、池田理代子『ベルサイユのばら』(集英社)を読んだ。山岸凉子萩尾望都などいわゆる「花の24年組」吉田秋生など文学的傾向の強い作品は父親の蔵書だった。たまに叔母の漫画(新しめのハイティーン向けコミックス)も読ませてもらっていた。

 いずれも今でいえばボーイズ・ラブ、レディコミといったジャンルが成立しておらず、全て「少女漫画」の枠組みの中に存在していたカオス期の作品たちだった。私もジャンルを気にすることなく全て「少女漫画」だと思って読んでいた。

 我が家はまあまあ厳格なプロテスタント家庭だったけれど(父は牧師の息子だし)、なぜか漫画も本も「検閲」がなく、自由に読ませてもらえていた。結構過激なものもあったので、子ども心に「こんなの読んでいいのか?」と思っていた。

私の少女漫画履歴書:陸奥A子作品

Amazonより

 花の24年組が壮大な歴史物や伝記もの、SFを描く一方で、等身大の少女の日常を描くのが、陸奥A子に代表される「乙女ちっく」系。連載より短編が多い。時代は下るが谷川史子などもこの系列。

私の少女漫画履歴書:川原泉『笑う大天使』(白泉社)

Amazonより

 どすこいお嬢様学園マンガ。白泉社文庫版で全2巻。ギャグともラブコメともシリアスともつかない作風が癖になる。川原泉のマンガは哲学や歴史の要素が強くて波長が合う。

他人と共有できなかったからこそ、魂に刻まれた

 「古い少女漫画」の辛いところは、同世代の友達と語りあえないことだ。私は学校で『日出処天子』(白泉社)でどのカップルが一番好き?(A:調子麻呂と淡水)とか、『動物のお医者さん』(白泉社)で結婚するなら誰?(A:菅原教授)とか、そういう話がしたかった。

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 もちろん同じ時期に流行っていた、アニメ化したジャンプ作品(『BLEACH』とか『D-Grayman』) も読んでいたし、友達とオタクトークしていたし、それはそれで楽しかったけど、人は「人と共有できなかった部分」の方をアイデンティティとして認識しがちである。こうして「古い少女漫画」は私の魂に深く刻み込まれることになった。

私の少女漫画履歴書:山岸涼子『日出処の天子』(白泉社)

Amazonより

 私的・少女漫画の不動の第1位。飛鳥時代を舞台に、厩戸皇子(のちの聖徳太子)と蘇我毛人(蘇我馬子の息子)の恋愛を描く歴史ボーイズ・ラブ。「LaLa」に4年にわたって連載されていた。LaLaってすごい。

 当時は少女漫画=漫画の最先端という認識もあり、センスのあるやつは男女問わず日出処の天子を読んでいたという(父親談)。完全版コミックスで全7巻。

外で出会った同世代の少女漫画

『きら☆レボ』の絵が描けるだけで人気者になれた時代が……あった!!

 家にもともとあった少女漫画とは別に、外の世界ではリアルタイムな少女漫画たちとも出会っていた。当時、友達の間では主に「ちゃお」(小学館)「なかよし」(講談社)「りぼん」(集英社)の三誌が読まれていたように思う。

 「ちゃお」は小学校低学年から中学年にかけて流行して、中原杏『きらりん☆レボリューション』などのちょっとギャル文化が入ったテイストの作品が多く載っていたように思う。しかしあまり読んだことはない。

 「なかよし」は小学校中学年から高学年が対象で、横手美智子・花森ぴんく『ぴちぴちピッチ』、菊田みちよ『まもって! ロリポップ』、安野モヨコ『シュガシュガルーン』など、ポップな感じのアニメ化作品が多かった。友達に借りて読んでいた。

 「りぼん」は小学校高学年から中学生が対象で、話も暗めのものやシリアスな内容が多かったため、三誌の中では一番オトナっぽいと思っていた。何より種村有菜が載っている!! ので、近所の駄菓子屋で毎月フラゲしていた思い出がある。津山ちなみ『HIGH SCORE』、種村有菜『満月を探して』、森ゆきえ『めだかの学校』、北沢薫『Ya-Ya-Yahがやってくる!』(実在のジャニーズJr.グループと、オリジナルキャラクターであるヒロインの交流を描く、今でいう夢漫画)が特に印象的である。

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 「花とゆめ」「LaLa」「マーガレット」は、中高生以上の「おねーさん向け」雑誌だと思い込んでおり、なかなか手が出なかったが、葉鳥ビスコ『桜蘭高校ホスト部』(白泉社)などをコミックス単体で読んでいた。

私の少女漫画履歴書:種村有菜作品

Amazonより

 ドラマ重視のりぼん作家陣の中でも飛び抜けてお話がドラマチックでシリアスな作家。性と死をこれでもかと描く。モノローグがバリ上手い。雑誌ではいつも掲載順が一番後ろだった記憶がある。

  私がクソデカ感情女に成長したのは絶対に有菜っちの影響……というくらい、私にとっては特別な漫画家。とはいえ後述する少女漫画ロス期が到来したため、読んだのは『紳士同盟†(クロス)』(集英社)まで。種村有菜を私に紹介してくれた友達とは、リレー漫画を描いていた。キャンパスノート30冊分くらい描いたそれが、今の漫画制作の基礎になっている。

「キュンキュン」という脳内麻薬

 当時の少女漫画のメインストリームはやっぱり男女の恋愛! 読んでいてキュンキュンする感じは麻薬に近かった。本当に脳から何か出ていたと思う。この「脳内麻薬」的側面を突き詰めていった先が「夢小説」とか「シチュエーションドラマCD」などの「乙女」ジャンルである。

 この時期の少女漫画はかつてのカオス状態から、それぞれのジャンルが成立し「のれん分け」された後だったから、逆に「少女漫画らしさ」みたいなものが煮詰められ、精錬されきっていたのではないだろうか。

人生の光としてのボーイズ・ラブ

 高校生〜大学生くらいのある時期、少女漫画が読めなくなった。少女漫画は呪いであり祝福であった。「少女である」という共通点だけで登場人物と自分を重ね合わせて「キュンキュン」を手軽に手に入れられていた時期は終わって、「少女である」ことに求められるあまりにも重い条件(明るさ、ひたむきさ、清廉さ、可愛らしさ、美しさ……)を逆に自分が背負わなければならないこと、そしてそれは不可能であると気づいた頃から、少女漫画を読んでも「自分のような女には、こういったことは無縁なんだ」という辛い感情がいつも残るようになってしまった。少女=明るくひたむきである=愛される、自分=少女ではない=愛されない、という妙な公式が成立してしまっていた。

 そんな私にとっての救いはボーイズ・ラブだった。男と男の関係を描く作品において、私は「男の相手役」としての女という視点から解放されて、「腐女子」という性でいられた。それはとても心休まる物語体験だった。

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 それに、ボーイズ・ラブ作品において愛される男というのは必ずしも明るくないし、ひたむきなわけでもない。ダメな、弱い人間がたくさん出てきた。それが心地よかった。安心して没入できるファンタジーを持つことは、人生のいつの段階においても大切なことだ。

「少女漫画」の広大さ

 でも、よくよく考えてみると、ボーイズ・ラブ漫画というのはもともと少女漫画という枠組みの中から生まれてきたものだ。私は、それにかなり早くから出会っていたはずだった。そう考えてふりかえってみると、じつに豊かな題材と表現が少女漫画の中にはあったのだった。

 そこで描かれているのは必ずしも「男女」の「恋愛」だけではなかった(仕事とか友情とか)が、それはきちんと「少女的ファンタジー」として描かれていた。

 例えば『動物のお医者さん』の佐々木倫子の漫画『林檎でダイエット』(白泉社)なんて、大学生と就職浪人の姉妹が「ダイエットのために」「ひとつ恋愛でもしてみよう」とする話であって、ロマンチックのかけらもない。でも、姉妹のする「恋愛ごっこ」「美人姉妹ごっこ」には少女的ファンタジーを現実でなぞる楽しさと、ずれていくおかしさがある。そのように、たとえ「キュンキュン」するものではなくとも、いろいろなタイプの感情の動きがあった。

私の少女漫画履歴書:佐々木倫子『動物のお医者さん』(白泉社)

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 北海道の獣医学部を舞台にしたコメディ。単行本は花とゆめコミックスで全12巻。

 学園ものといえなくもないが、主な登場人物が主人公の祖母や指導教授、あとは動物だったりするので、今から考えるとどういう物語形態に分類されるのかわからない。佐々木倫子の漫画はほとんど恋愛が描かれず、仕事、もしくは家族や友達・同僚との生活が主なテーマになる。「乙女ちっく」と違うのはその日常が奇妙にドラマチックであるという点。

 恋愛を題材にしたいわゆる「王道少女漫画」だって、いろいろなタイプのヒロインがいて、いろいろなタイプの恋愛があった。なにより、捉え方は開かれていたはずだったのだ。例えば神尾葉子『花より男子』(集英社)で、ヒロインのつくしちゃんが道明寺を選ぼうが、読者である私は花沢類が好きだと思うのは、別に自由だったのだ。友達と少女漫画を語るときには、そういうことを主張したってよかったのだ。

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 「少女漫画」という枠組みを狭く考えすぎていたのは、私の方だったのかもしれない。それに気づいて以来、また少女漫画を読んでみようかなという気になれた。少女的ファンタジーの復権である。そして実際に最近の少女漫画を読んでみたら、内容の進化にとても驚かされた。「恋愛以外」を描く作品も増えたし、牧野あおい『さよならミニスカート』(集英社)のような、「少女性」への懐疑を社会に投げかける作品が生まれてきた。

 さらには、つねにメインストリームで描かれてきた「男女の恋愛」も、描かれ方が変わってきたように感じる。咲坂伊緒『思い、思われ、ふり、ふられ』(集英社)、やまもり三香『椿町ロンリープラネット』(集英社)、ななじ眺『ふつうの恋子ちゃん』(集英社)など、2000年代の少女漫画の主流だった「相思相愛・カップル成立」をゴールとするストーリーではなく、むしろその後、現実の社会の中での「関係性の構築・維持」を重点的に描く作品が多く登場している。この風向きの変化は、作り手が主な読者層である若い女性へ送ろうとしているメッセージが変わったことを意味しているのではないだろうか。

 このGWは、そんな懐かしくて広大な少女漫画世界に、「帰省」する週間にしたいと思う。

私の少女漫画履歴書:咲坂伊緒『思い、思われ、ふり、ふられ』(集英社)

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 少女漫画みたいな恋愛に憧れているけど、自分に自信がなく、「男の子」が怖くてまともに顔も見られない由奈と、恋愛慣れしているけれど、ちょっとワケありな家庭環境を抱えている朱理。異なるタイプの2人の主人公が「現実」のなかで、「生身の異性」とどのようにコミュニケーションしていくべきなのか、悩み、考え、行動していく物語。全12巻。

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