シェアした写真の思い出、プライスレス「かぐや様は告らせたい?」12話 かぐや様、スマホを買う(1/2 ページ)
生徒会のスマホ写真集とか出ませんかね……。
恋愛は告白した方が負け! 「かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~」(原作/アニメ)は、相手から自分に告白させるためにあらゆる知力体力を用いて戦うエリートたちを描いたラブコメディーの第2シーズン。とってもいとしくてとっても面倒くさい少年少女の、青春の無駄遣い物語。距離はどんどん近づきます。
最終回。2期で生徒会役員達はたくさんの思い出を作りました。特に人間不信が強かったかぐやも、思い出を残すようになりました。そんな彼女に悲劇が起こります。
かぐやとカメラ
アニメ8話で、堅苦しい伊井野ミコをたしなめるため、藤原書記が「優しさを学ぶ為に これから1時間何があっても怒っちゃ駄目ですよ!」とスマホで写真を撮影するシーンがありました。ここで伊井野はほぼはじめて、みんなで写真を、特別な意味なく撮る体験をしました。
これは四宮かぐやも同じでした。いまだに旧式のガラケーで、携帯のカメラは無駄な機能だと思っていた彼女。この騒動で彼女も強引に変顔撮影に参加させられました。「何もなくても写真は撮っていい」とぼんやり理解した彼女は、「思い返したい日々」「残したい日常」があることにちょっとずつ気付き、写真を撮るようになりました。
彼女が写真を撮らなかったのは、一つは人との距離を置いて高校1年生まで生きてきたから。厳格すぎる家の方針で生きてきた彼女、極端に合理的な生き方をしてきたため、人と遊ぶことも、ましてや無駄に写真を撮ることも、頭に浮かびすらしなかったんでしょう。
もう一つ、今回写真などで不特定多数の人が見る状況での「顔出しNG」が家の方針であると明かされています。人に自分を撮影されないで生きてきた人は、自分を撮影するのには慣れないものです。
かぐやは写真を撮るようになりました。しかし「自分も一緒に写っている写真」はそんなにありません。生徒会のみんなのスナップショットばかり。「少しだけどこにでもいる少女の様であった」というナレーション、普段わがままを一切言わない(早坂の前を除く)彼女の「みんなとの思い出を残したい」という、幼くもみずみずしい憧れが「写真」を通じて溢れているのが分かります。
いざ「記念写真」をみんなで撮るとなった時に、彼女は家の方針で自分は交じることができないと距離をおいていました。集合写真、彼女は一度も撮ったことがないそうです。かぐや「羨ましいな」。
生徒会の4人はすぐに気を利かせて、かぐやと一緒の写真を撮りたいと言い出します。と言ってもここで「貴女の仲間が望んでる事です」とあるように、御行も藤原書記も伊井野も石上も、間違いなく望んでいたんでしょう。
写真を撮るのはものすごく自己肯定感を問われるものです。写真を撮るということは、「集まる」とか「カメラを構えてもらう」とかいろいろ人の手を煩わせること。それが自分の姿を残すため、となると一気に腰が引けます。自分なんかが写ってもいいんだろうか。
かぐやは人との信頼関係にいまだに不安を抱えています。ここにいる4人のことは心から信用はしているけれども、でも向こうが自分をどこまで必要としているか胸を張りづらい。生き方の自信と、人に認められる心配は別物です。
記念写真を撮影する際「私の為にそんな」と言った彼女は、まだみんなとの距離感で迷いがあったんでしょう。しかしここで仲間という言葉を使ってもらえた。彼女は一人ではない、生徒会みんなの仲間。ぼんやり彼女が憧れていた場所が、言葉になりました。
かぐやの古びたガラケーの中には、新しく自分が撮った写真は元より、藤原書記が撮影してくれた自分の写真も大切に保存されています。このページで注目したいのは右下の、藤原書記のよく分からない写メ。これはアニメ1期、原作序盤で藤原書記が送ってきた謎メール。鶏小屋の中で倒れて「鳥葬なう」と送ってきた写真は、そのときはかぐやもさほど真面目に取り合っていませんでした。なのにちゃんと彼女は保存し、今もしっかり覚えています。
もしかしたら彼女、変顔撮影会よりも前から「仲間」との思い出を記録することの魅力を理解していたのかもしれません。
分かってしまうと、失ったときの切なさは格段に跳ね上がります。ガラケーを屋上から落として破損してしまったかぐや。今まで学生同士の他愛もない写真をバカにすらしていたのに、自分がいかにそれを大切なものにするようになっていたのかに気付かされます。
ガラケー時代にはネット上に保存するクラウドサービスのような便利なもの、なかったんです。写真は完全消失です。
思い出の共有
新しいスマホは手に入れた。でも写真は戻らない。ぼうぜん自失な彼女に対して、生徒会のメンバーは「いつも通り」を選択しました。
「いつも通り」を提案したのは藤原書記です。こういう時の彼女は本当に安定感があり、ブレない。もちろん気を使っているんだけど、フラットにいつも通りになれる子です。
生徒会のライングループを作ってから、共有アルバムに写真をアップするように提案したのも藤原書記。今回も彼女が「写真」を通じた仲間の絆を作れるよう、大きく場を動かしました。
一斉に写真を送る藤原書記、石上、伊井野。気が付けばものすごい量に。そこには自分のガラケーで撮った時と同じ瞬間を、別の角度から切り取った写真が並んでいます。
写真を失った時、大抵の人は落ち込むというもの。その際心を取り戻す方法として「思い出自体が大事だと諦める」とか「あらゆる手段で復旧する」とか、いろいろな考え方があるはずです。フィルムカメラだったら同じ写真をまた写真屋に出してもらう「焼き増し」なども手段の一つ。
「かぐや様」では思い出の諦めも、復元も、複製もしません。「相手の別の写真をみんなでシェアする」という展開になりました。
これは「自分が大切にしていたものを相手も大切にしている」という、多角的な進展。彼女が撮影していたのは、自分が第三者的に日常を収めていたものでした。今回彼女に届いた写真は、そんなかぐやすらも包含する日常の写真です。それは他の子も同じだったはず。恐らくこのクラウドには、同じ瞬間に4人が見たバラバラな光景が混じっているでしょう。そこに自分が写っているならば、相手が自分のいる時間を大切にしてくれていたということに他なりません。目に見える絆です。
「かぐや様」シリーズのキャラクターたちは、痛みを伴いながら大きく成長します。今回なんだかんだでかぐやの写真自体は戻ってきてはいません。ただかぐやが「かえって前より一杯になってしまいました」と笑顔になれたのは、ものすごく大きな成長です。4人は彼女に何も言っていませんが、写真に込められた気持ちの共有で、より強く信頼関係は強まったようです。人との絆が一つ、また一つと、不安から確信に変わっていきます。
笑顔検出での撮影。ここで強制的に笑顔になるよう持っていった石上、伊井野、藤原書記のナイス連携。人前ではのびのび笑えない彼女だからこそ、大義名分があったら、喜びを素直に表現できるというものです。みんな、かぐやがうれしいって、分かってる。背中を押してあげるのも大事なこと。この一枚は、幸せの共有。
御行のちょっと恥じらいつつ気取っている感じがいいですね。ピースしちゃってまあ。
これにて、「かぐや様」アニメ2期は終了……。
じゃない。シコシコした。いろいろいいところ見せておきながら余韻ブレイカーなのが藤原書記。ありがとう爆発オチ。
「かぐや様」2期は前半は御行とかぐやの葛藤を中心にしつつ、後半は伊井野と石上の大きな成長を描写していました。その悩みはいずれも、人間関係。全員誠実で、一生懸命で、不器用。恵まれてほしいと願いたくなる子ばかりです。
中でも一年生組の伊井野と石上は、過去のヘビーすぎる心の傷からの回復がたっぷり描かれました。それをぐっと持ち上げてたのが御行とかぐやと藤原書記、2年生組なのがたまらない。1期のメインメンツが後輩2人を救う、先輩・後輩の魅力たっぷりな熱い展開でした。
人間関係には「完全正解」はありません。死ぬまで悩み続けるものです。伊井野はまだ考え方が固くて、あがり症が治ったわけではありません。石上は過去の問題を内に抱えたままで、現在進行形で傷つき続けています。御行とかぐやは、精神的に成長してきたものの、恋愛面の進展はまだまだゆっくり。
じっくり、丁寧に、ギャグ分激盛りで、でも締めるところは締めてくれるのがこの作品の醍醐味(だいごみ)です。
となれば、アニメ3期が見たい。原作も18巻まで来て(今回の内容は9巻最後1話分+10巻最後2話分)話もたっぷり続いているので、アニメ化を心から期待しています。まだまだ活躍していないあの子とかあの子とかあの子、見たいです。御行とかぐやの恋の行方で、ときめきたいです!
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